1. HOME
  2. コラム
  3. 古典百名山
  4. 「美」の目的なき合目的性 イマヌエル・カント「判断力批判」

「美」の目的なき合目的性 イマヌエル・カント「判断力批判」

Immanuel Kant(1724~1804)。ドイツの哲学者。

大澤真幸が読む

 本書は、『純粋理性批判』『実践理性批判』に続くカントの「第三批判」である。この「批判」は、「けなす」という意味ではない。人間の認識能力について、どこまでが可能で、どこに限界があるかを、反省的に吟味するという意味である。
 第一批判は、悟性(難しげだが英語で言えばunderstand)に関わる。悟性は自然の中にある普遍的な法則を認識する能力だ。第二批判は、理性に関係する。この場合の理性は、普遍的な原理から「何をなすべきか」を導き出す能力である。第二批判は、人間の倫理的選択、つまり「自由」に関連している。
 第一批判と第二批判の間にギャップがある。自由は、「目的」ということを前提にしている。自由とは、何かの手段ではなく自分自身が目的だという趣旨だからだ。ところが悟性の対象である自然には、目的などない。因果関係があるだけだ。目的はどこから出てきたのか。
 この疑問に答え、第一・第二批判の間のギャップを埋めるのが、本書「第三批判」である。ここでまず論じられているのは、直感的判断、「美しい」と見る趣味判断だ。美の定義が本書の主題を言い当てている。美とは「目的なき合目的性である」。
 美しいということは、特定の目的にふさわしい形や機能をもつということとは関係ない。便利だが不恰好(ぶかっこう)なものもある。つまり美しいものは、何かの目的のために存在しているわけではない。にもかかわらず、ある対象に関して、私たちはそのあり方に、「ふさわしい」という心地よい印象をもつことがある。それこそ美しいということである。目的はないのに、合目的性の形式だけがあるのだ。目的の発生を考える上で、美に関する直感的判断力にカントがまず着眼した理由はここにある。
 直感的判断力の話題をさらに「目的論的判断力」という話題に拡張しつつカントは賭けをしている。世界に目的があるはずだ。人間こそその究極目的ではないか。ならば世界は人間を歓迎しているに違いない。(社会学者)=朝日新聞2018年9月15日掲載