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なりすまし、自我のもろさ描く 篠田節子さん「鏡の背面」

篠田節子さん

 篠田節子さんが新刊『鏡の背面』(集英社)を出した。「日本のマザー・テレサ」になりすました女性の謎を追う長編サスペンス。オカルトあり、ホラーありの大作で、人間の内面をどこまでも掘り下げる。

 デビューから28年。毎年のように作品を出し続けてきたが、本作は2年ぶり。「時間がかかってしまった」。認知症の母の見守りに加え、自身にも乳がんが見つかった。
 「もしかすると最後の作品になるかも、と思いました。それだったら、なおさら変なものを出すわけにもいかないと、ラストスパートをかけた」。手術当日も著者校正をした。その後、母は施設に入った。自身の手術も無事終わり、本作を完成させた。
 物語の舞台は、薬物依存症の患者や虐待被害の女性たちが暮らす施設。そこで火災がおき、創設者の小野尚子が母子を助けようとして死んだ。裕福な育ちながら、問題を抱える女性のために人生を捧げて「先生」と慕われた女性だった。ところが、遺体は別人だった。
 誰が、いつ、何のために入れ替わったのか――。施設のスタッフとライターの知佳は、元記者の長島の助けを借りて謎に迫っていく。やがて、連続殺人犯と目されたひとりの女性が浮上する。

謎解きにとどまらず「人間」突き詰める

 本作のテーマの一つは自我のもろさ、不可思議さだと篠田さんは言う。「私たちの自我は思っているほど強固なものではなく、実は容易に変わるものではないか、という気付きが出発点です」
 小野尚子と20年以上入れ替わっていた女性は、やがて自我を忘れ、本物を超えた偉大な人物になってしまう。「人は、時と場合によって本音と建前を使い分け、仮面をかぶって正体を隠します。ただ、仮面をかぶっているうち、フィードバックが起き、内面そのものが変わってしまうこともある。柔軟性に富んだ生き物である『人間』を書きたいという気持ちがありました」
 スタッフとライターが遺体の正体を追ううちに、尚子の実像と虚像が入り交じり、混乱していく。その様子を細やかな筆致で描き込み、もう一つのテーマという「人間の善、救いとは何か」についても掘り下げていく。
 「新人のころだったら謎解きだけですっきりしていたかもしれないけど、事実を受け入れられるかどうかという葛藤まで書かないと、やっぱりリアリティーは出ない。結果的に、ここを書き込んだことで『ドラマ』になった」
 参考文献には、整形手術をしたり偽名を使ったりしながら15年近く逃げ続けた福田和子元受刑者や、首都圏連続不審死事件などに関連する著作が並ぶ。「実際に起こった事件を、誰がどのように書いたのかということに興味があった。書き手と対象の距離感をはかるために読んだ」。筆者が男性か女性かによっても対象の写し方が異なる。本作でも事件を追う知佳や長島ら、登場人物の距離感や視点の違いが謎解きのカギとなる。
 1997年、男性優位社会の中での働く女性を描いた『女たちのジハード』で、直木賞を受賞した。現代をその時代と比べ、「女性が活躍する制度は整ってきているけど、機能はまだしていないですね。育休制度は必ずしも整っていない。子育てで正社員を辞めざるを得ず、パート勤めをしても、正社員と同じように働かされて……」。
 本作は、読み応えのあるエンターテインメント作品でありながら、薬物依存などと闘う現代の女性の姿をも浮かび上がらせる。「自立できず苦しんでいる人たちは、世の中で忘れられがち。そうした時代の側面も描きたかった」
 最後まで読み、タイトルの意味がわかった瞬間、身の毛がよだつ。人間という存在への濃密な洞察がつくりだす、未知の感触を味わってほしい。(宮田裕介)=朝日新聞2018年9月19日掲載