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そっけない描写に戦争の真実 ヘミングウェイ「武器よさらば」

Ernest Hemingway(1899~1961)。米国の作家。

桜庭一樹が読む

 わたしは戦争を知らない世代の人間だ。だから、実際そうなったときどんな気持ちになるのか、よくわからない。
 でも、ヘミングウェイは、それを知っている。 
 舞台は第一次世界大戦中の北イタリア。アメリカ人志願兵のフレデリックは、看護婦のミス・バークリと出会い、戦場の恋に落ちる。二人は手に手を取ってスイスに逃げるのだが……!?
 著者は一八九九年、シカゴ近郊生まれ。大戦勃発時は十五歳だった。主人公と同じく志願兵としてヨーロッパに渡るが、負傷。戦後、傷心を抱えてパリに旅立つ。
 このころ、ほかにも、フィッツジェラルドなど、多くのアメリカ人青年が海を越え、フランスで小説を、詩を書き、絵を描いた。おおきな戦禍を経験したトラウマをむりに飲みこみ、時に享楽的に、時に破滅的に、都市の夜を駆け抜けた。彼らはアメリカの“失われた世代(ロストジェネレーション)”と呼ばれている。
 「けんかするか、死ぬか。みんなそうよ」
 「ぼくは、何かを、だれかを心から愛することがないのです」
 著者は、神の庇護(ひご)がなく、皆が危険に晒(さら)され、運の良さと肉体の強さだけに左右されるという非情な世界――つまり、戦場のような場所にいる人を書き続けた。感情を書かず、情景描写を羅列するという、新しい手法を使って。それってきっと、著者自身も、戦場で、自分の苦しみを直視しないことで正気を保ったから、じゃないだろうか?
 わたしは、この作品のラスト一文は本当に素晴らしいと思うんだけど、それはなぜかというと、日本語訳でわずか七文字の、これ以上ないほどそっけない風景描写から、フレデリックの激しい慟哭(どうこく)と、感情を無視する訓練をしたせいで涙を流せないことの悲劇性が伝わってくるからだ。主人公の乾いて落ち窪(くぼ)んだ目は、ヘミングウェイ自身の、そして、戦禍を経験したすべての人間の目であり、あぁ、これこそが戦争なのだと、わたしもまた慟哭するのだ。(小説家)=朝日新聞2018年9月22日掲載