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母と「小さなおじいさん」 芦沢央

 ママ友との間で子どものどんな顔が好きかという話題が出ることがある。最も挙がる答えは「寝顔」、次に「やっぱり満面の笑みには癒やされる」「拗(す)ねたときの顔がかわいくて」などという答えが続くが、私の答えは「牛乳を飲んで唇の上に白髭(しろひげ)ができた顔」だ。あの「小さなおじいさん」に出会うと、思わず顔がほころんでしまう。
 なぜこの顔がこんなにも好きなのかと考えてみたところ、思い至ったのは、子どもの頃、お風呂上がりに飲んでいた「バナナシェイク」だった。
 ミキサーに一口大に折ったバナナを一本、それが浸るくらいの牛乳、ひとつかみの氷、バニラエッセンスを数滴垂らして混ぜるだけで出来上がる自家製バナナシェイク。それをマグカップに入れてもらうや一気に飲み干し、二歳上の兄と互いにできた白髭を笑い合うところまでがお決まりだった。
 ポイントは、あえて混ぜすぎずに氷の粒を残しておくことだ。冷たくて甘い喉(のど)ごしを一気に味わうもよし、アクセントのような氷の歯ごたえを口の中で楽しむもよし。バナナを剥(む)いて折るのも、牛乳や氷やバニラエッセンスを入れるのも、ミキサーのスイッチを押すのも自分たちにやらせてもらえる、というのも嬉(うれ)しかった。その中でも私が特に好きだったのはバニラエッセンスを入れる係を担当することだった。
 口のところが小さな穴になっている瓶は、思いきり振っても一滴しか出てこない。それでも一滴垂れるだけで甘くとろけるような香りが空気中に広がり、それがもっと味わいたくて何度も振っては、母に「ちょっとでいいのよ」と止められる。名残惜しくてもうひと振りしてから瓶の蓋(ふた)を閉めると、蓋についていた香りが移って指からバニラエッセンスの香りが漂うようになるのだ。スーハースーハーと指をかぎ続ける私を母はいつも笑って見ていた。
 先日、初めて自分の子どもたちに「バナナシェイク」を作ってみせたら、次の日から子どもたちも当時の兄と私と同じように、「おてつだいする!」と張りきってすべての工程をやりたがるようになった。
 当時の私たちよりも小さいけれど大丈夫だろうか、と思いながらも試しにやらせてみると、多少危なっかしいながらも大はしゃぎで作り終え、互いの白髭を転げ回りながら笑い合う。
 しばらくして、娘が驚いたように私の鼻に指を突きつけてきた。
 「おかあさん、いいにおいがする!」
 ふわりと広がる甘く優しい香りの中に、母の笑顔が浮かび上がった。=朝日新聞2018年10月6日掲載