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美人姉妹の恋心と火山の奇妙な関係、おもちゃ箱をひっくり返したような「温泉地奇譚」 名梁和泉さん『噴煙姉妹』

文:朝宮運河 写真:有村蓮

奇妙な夢から生まれた小説

――『噴煙姉妹』は、温泉地を舞台にしたユニークな怪奇幻想小説です。そもそも舞台に温泉地を選んだわけは?

 この小説は以前見た夢がもとになっています。旅館の二階から外を見ると、海の向こうで火山が噴火してもうもうと空に噴煙が上がっている……という夢です。僕はほとんど夢を見ないタイプなんですが、この夢はインパクトがあって、いつか小説にしようと書き留めておきました。当時は東日本大震災の直後だったので、ニュースの影響からそんな夢を見たのかもしれません。ぱっと見、桜島によく似た舞台設定ですが、もともとは夢の世界なんですよ。

――名梁さんといえば、端正な本格ホラーの書き手というイメージがありました。『噴煙姉妹』では大きく方向転換されましたね。

 やはりそう見えますよね(笑)。2作目の『マガイの子』という長編を書き終えた後で、担当編集者との打ち合わせがあったんです。その席に今後書いてみたいアイデアの一覧表を持って行ったら「この『噴煙姉妹』がいいんじゃないか」という流れになって、自分でもびっくりしました。担当さんはどうもタイトルに惹かれたらしいですね。これまで書いてきたホラーとはかなり毛色が違いますし、当然不安もあったんですが、「今は振り幅を見せておくべきです」と担当さんが後押ししてくれた。出版状況が厳しいこのご時世に、ありがたいことだなと思いました。

――なるほど。担当さんの強いプッシュから誕生した作品なのですね。

 僕の方からは「絶対これを書きたい」と言いにくいタイプの作品ですから(笑)。温泉旅館に婿養子に入った主人公が、美人姉妹に翻弄される、という基本アイデアは当初からあったので、簡単に仕上がるかと思ったんですが、そこからストーリーを展開させていくのが一苦労で、これまでで一番時間がかかりましたね。

饒舌な文体で描く、「陽気なディストピア」

――文体が特徴的ですね。「三和土で下駄を突っかけてたたらを踏んで、お、お、と踏み石のところまで片足で跳ねてったら、箒の音がした。思えば、その前から聞こえていた。/しょっ、しゃ。しゅしょっしょ、しゃ。」「丁寿屋は町外れの小高くなったところにあるから、往きはもっぱら下り坂。/鼻緒が喰いこんで指の股が痛い。ひりひりする。/あああ。ひりひりする。」といった饒舌でリズミカルな語り口は癖になります。

 もともと筒井康隆さんや町田康さんの饒舌な語りが好きで、ああいう勢いのある小説を書きたいと思っていたんです。デビュー作の『二階の王』は新人賞を獲るためにあえて「よそゆき」の顔を貫いたところがあって(笑)、笑いやくだけた語りは封印していました。2作目の『マガイの子』は、ホラーにしては主人公の語り口がやや饒舌ですが、あの方が本来の資質に近いんです。『噴煙姉妹』ではそうした嗜好を全開にしました。

――古風で大仰な言い回しは、夏目漱石や内田百閒のユーモア小説も連想させます。

 内田百閒は確かに意識しているところがあります。物語のクライマックスで巨大生物がたくさん出てくるんですが、その中に大ウナギも混ざっている。あれは内田百閒の『東京日記』へのオマージュのつもりです。

――丁寿屋の次女・真耶子が帰ってきたことで、鵜乃吉の周囲は騒がしくなります。国家転覆をたくらむテロリストが暗躍し、町は滅びの危機に瀕してしまう。ストーリーだけ見ると、これまでのホラー作品と共通するところがあります。

 饒舌でくだけた語りを、シリアスなストーリーと接続できないか、というのが今回のチャレンジだったんです。僕は椎名誠さんのファンで、特にSF小説に多大な影響を受けています。椎名さんのSFはエッセイとも共通する独特な語りでありながら、シリアスで壮大なストーリーを描いていますよね。相反するものが共存している世界は、僕にとってひとつの理想。現在あまり試みられていない路線だとも思いますし、今後も機会があればチャレンジしたいと思っています。

――本書に登場する日本は、戦時中と現代がごちゃ混ぜになった一種のパラレルワールドです。南米での戦争が続けられる一方、カーラジオからはUB40の歌声が流れてくる。このキッチュでレトロな世界観は、どのように生まれたのですか。

 文章が時代がかっているので、それに合わせて舞台設定もレトロなものにしました。戦時中になぜUB40やダースベイダーがいるんだ、と突っこみどころは多々あるんですが、そういう世界なのだと納得してもらうしかありませんね(笑)。戦時下を描いた作品は往々にして、暗く沈んだディストピア小説になりがちですが、一般庶民はどんな時代であってもそれなりに楽しく、したたかに生きていたはず。この小説ではそんな「陽気なディストピア」が描けたらいいな、という目論見もありました。

――実在するミュージシャンの名前が頻出したり、宮沢賢治の小説『グスコーブドリの伝記』が下敷きにされていたり、と分かる人には分かる小ネタが満載。おもちゃ箱をひっくり返したような、賑やかさも魅力です。

 ミュージシャンは自分が音楽好きということもあって、『マガイの子』から意図的に出すようにしています。「フェラ・クティ似の大将」とか、今回かなり強引なところもありますけどね(笑)。それ以外の小ネタに関しては、偶然の出会いやアドリブ感を重視して、目についたものをどんどん入れるようにしました。「意図した無秩序感」を出したかったんです。宮沢賢治は火山小説をたくさん書いているので、ぜひ言及したかった作家。特に『グスコーブドリの伝記』は温室効果に関する知見が現代とは正反対で、奇妙な味わいがある小説なので、全体を象徴する意味で引用しました。

小説として面白いことを一番に

――火山島と姉妹を描いた本のカバーイラストも、作品のイメージにぴったりですね。

 画家のアジサカコウジさんに描き下ろしていただきました。アジサカさんの作品には以前から惹かれていて、いつか装画をお願いできたらいいな、と夢見ていたんです。今回それが叶って本当に嬉しかった。アジサカさんの描かれた姉妹があまりに素晴らしいので、小説を絵に寄せて改稿した箇所もあるんですよ。

――一見どこに向かうのか分からない物語は、やがて鵜乃吉と妻・亜津子のラブロマンスへと着地しますね。ドラマチックな幕切れに、まさかの涙でした。

 一連の事件が解決して幕、でもよかったのですが、報われない鵜乃吉が気の毒になってきて(笑)、すれ違いがちな亜津子との関係をきちんと描いてやることにしました。この小説は装飾を取り払うと、ベタなラブストーリーでもあるんですよね。ラストシーンは編集さんのアイデアです。「もっとロマンス要素を濃くしてください」と強く言われて、ああいう形になりました。お蔭でテーマがより明確になったかなと思います。

――ところで昨今はネット動画やフリーゲームなど、ホラーの楽しみ方も広がっています。この時代に活字で「ホラーを書く」ことについて、名梁さんはどうお考えになっていますか。

 難しい時代だとは思います。ひたすら怖さだけを追い求めるなら、短い実話怪談みたいなものがやっぱり一番怖いですから。今はそれがネットで山のように読めてしまう。それと比べられてしまうと、長篇小説は厳しいものがありますよね。ただ20年くらい前までは、「ホラー」という言葉の指す範囲がもうちょっと広かった気がします。サイコサスペンスでもSFでも、怖くて面白そうなものはまとめてホラーと呼んでいた。それでいいんじゃないのかな、と僕は思います。小説として面白いことが何より大切だという気がしますね。

――『噴煙姉妹』がまさにそうですね。怪奇好きも、温泉好きも、恋愛小説好きも楽しませてくれる。豊潤で愉快な小説でした。

 ありがとうございます。執筆中はずっと、これでいいのか不安だったんです。うまくいったのか、盛大に滑っているのか、書き上げた今でも判断できません。これまでの作品と比べて間口が広くなったのか、狭くなったのかよく分からない(笑)。とにかく難しいことは考えず、楽しんでもらえる小説になったとは思っています。アジサカコウジさんの装画が気になった方は、ぜひ手に取ってもらえれば嬉しいです。