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作家の読書道 第198回:久保寺健彦さん

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同じ本を繰り返し読む子ども

――久保寺さんの新作小説『青少年のための小説入門』はヤンキー青年と中学生の二人組が小説家を目指すお話で、小説を読むこと、書くことの楽しさに満ちた一冊です。作中には実在の名作がたくさん登場しますが、久保寺さんご自身が小さい頃からたくさん読まれていたのかな、と。一番古い読書の記憶というと何になりますか。

 たぶん、絵本の『おおきなかぶ』ですね。幼稚園の頃だったと思うんですけれど、あれがえらく好きで繰り返し読んでいました。でも、大人になって読み返したら、すごくあっさり抜けていてびっくりした憶えがありますね。

――大きなかぶを抜こうとしたら、おじいさんだけじゃ駄目で、おばあさんや孫、犬や猫まで連なって、一緒にかぶを抜こうとするんですよね。

 子どもの頃の印象だと、もっと、ずらーっと、世界規模で連なっているイメージだったんです(笑)。そうでもなかったので拍子抜けしました。たぶん、この絵本が憶えているなかでは一番古いかもしれません。小学校の低学年になると、「ひみつシリーズ」というのがあって。

――学研ですね。『宇宙のひみつ』とかあって、漫画でいろいろと解説してくれている。

 そうですそうです。あれをシリーズで揃えていたんですが、『からだのひみつ』が一番好きでした。あの本は小芝居的な物語が入っているんですよね。主人公の男の子が怪我したら血小板がわーっと傷口にやってきて、ばい菌と戦って死んじゃう奴が出てくる、とか。そういうところが好きで何度も読んでいました。子どもの頃はとにかく、同じ本を何度も繰り返し読んでいました。

――何度も繰り返せたということは、おうちにあった本ということですね。

 そうですね。僕は「鍵っ子」だったので、一人でいる時間がとにかく長く、そのせいか言えば本を買ってくれる家庭でした。たしかポプラ社と偕成社の、それぞれの子ども向けの日本文学全集みたいなものも家にあって。それで夏目漱石とか芥川龍之介とか太宰治を、これもまた繰り返して読んでいました。

――へえ。難しい言葉もありそうなのに、よく読めましたね。

 一応、読みやすいようにルビとかは振ってありました。で、よく憶えているのが、小5の時に作文か何かで「よこしまな」って書いたんです(笑)。担任の男性教師に「どこでこんな言葉を憶えたんだ」と言われ、「この本で」みたいな説明をして。そうしたら、「じゃあ、これ読んでみろ」って貸してくれたのが久米正雄の本でした。今ではかなりマイナーな作家ですよね。『学生時代』という短篇集だったんですけれど、読んだらまあ面白くて。その担任に感想を訊かれて話した記憶があります。

――全集の中で、この作家好きだな、と思う人はいましたか。

 当時は、なんかやたら菊池寛が好きでしたね。『半自叙伝』という自伝がすごく魅力的だったんです。彼って、文藝春秋の創設者じゃないですか。だから、実務能力がすごく高いんだけれど、作家としては二流だって自分のことを言うんです。自分はルックスもイケてないんだ、とも。同期の芥川に置いていかれているけれど、自分は違うところで頑張れているということを、客観的に、ドライに書いているんですよね。じめじめしていないメンタリティがいいなと思いました。これも何度も読んでいました。

――ああ、ウエットなものよりも、からっとしたもののほうが好きだったのでしょうか。

 たぶんそうでしょうね。どんよりした話を読むとどんよりした気分になるので。太宰治も、今ではすごい作家だと思いますが、小学生の頃は「走れメロス」もなんか胡散臭い、と思っていました。何か不穏なものを感じていたんですよね。細かく分析すれば文章からにじみ出る空々しさっていうか。

――「メロスは激怒した」で始まる、あの文章が、ですか。

 表面的な感じがしたんです。それに、全集の巻末に作家のプロフィールが載っているんですが、芥川や太宰のように自殺している人だと知ると、ちょっと身構えていましたね。この人自分で死を選んだんだ、とか。そういう先入観があったのかもしれません。

――おうかがいしていると、小さな頃から読書家だったようですね。

 本はすごく好きでした。親が共働きで兄弟もいなかったので、一人で過ごす時間が長かった。日曜日は、家族で居酒屋に行ったりしたんですよ。ハンバーグが出てくるわけじゃないし、両親は飲んでるから、子どもはつまらない。そういう時、必ず本を持っていっていました。うちの父方の祖父がアイヌの研究者だったんですが、よく隔世遺伝だって言われていましたね。自分でも、「おじいちゃんがああだから」みたいなことを意識していたかもしれないです。

筒井康隆熱が高まる

――自分で本を選ぶようになった頃からは、どんなものを読んでいましたか。

 自分で選んで買いだしたのは、星新一とか井上ひさし、筒井康隆、それと北杜夫がすごく好きで。あと江戸川乱歩ですよね。江戸川乱歩はたぶん学校の図書室にあって「なんかやらしいぜ」とか「気持ち悪いぜ」って噂を耳にして(笑)。じゃあ読まなきゃと思いました。

――ポプラ社の「少年探偵団」のシリーズですか。

 いえ、もっと気持ち悪いやつですね。「芋虫」とか。子ども向けにアレンジされたものだと思うんですけれど、挿絵も明らかに怖い感じでした。当時って、今なら子どもに見せるのは駄目、というような本も図書館にありましたよね。
星新一は友達に「すごく面白いから」と薦められたんじゃないかな。読んだら確かに面白くて、で、巻末の文庫解説なんかを読んでいると筒井康隆さんの名前が出てくるので、じゃあ筒井さんを読んでみようかなという。だからはじめは筒井さんも新潮文庫に入っている『笑うな』とか、ああいうショートショートばかり読んでいました。北杜夫は何で読みだしたのか分からないんですけれどすごく好きで、全部揃えていましたね。「どくとるマンボウ」シリーズの『どくとるマンボウ青春記』というエッセイなんかは何度も何度も読み返しました。信州大学の付属の、昔の旧制高校の寮生活がハチャメチャですごいんです。

――『楡家の人びと』から『船乗りクプクプの冒険』も。

 クプクプ、好きでしたね。それと井上ひさしさんの『ブンとフン』も、ハチャメチャなやつが好きでした。そんな感じで日本文学が主だったんですけれど、なぜか自分で買った海外文学が、メリメの『カルメン』とモーパッサンの『女の一生』。

――小学生で、ですか。

 はい。たぶん『女の一生』って、いやらしい話なんじゃないかと思ったのかも(笑)。『女の一生』も2回か3回読んではどんよりしていました。

――その頃、作家になりたいというようなことは考えていませんでしたか。

 漠然と考えましたね。漫画はほとんど読まなかったんですけれど『ブラック・ジャック』は好きで、手塚治虫さんは医師の免許を持っていますよね。それに北杜夫さんも精神科医で作家ですよね。だから、医者と作家の二足の草鞋でいこうと思ってましたね(笑)。それなら食いっぱぐれないな、と。すごく虫のいいことを考えていましたね。

――あはは。自分で小説は書いていたんですか。

 小学5年生の頃だったか、書いたことはありました。当然、箸にも棒にもかからないものでしたけれど。火事が起きて若い母親が逃げ出した後、赤ん坊を家においてきたことを思い出すっていう時点でもうおかしな話なんですけれど、家のそばに川があって、なぜか家の窓からパーンと、川に向かって赤ちゃんとすごく大事にしていた宝石とが同時に落っこちてくる。どっちか取れないとしたらどちらを選択するのか、みたいな話を書きましたね。

――へええ。リドルストーリーとして有名な「女か虎か?」みたいじゃないですか。

 なんか究極の選択みたいなことを書きたかったようです。

――中学生時代はどのような読書を。

 筒井康隆さんはショートショートばかり読んでいた時はブラックユーモアがどぎついと感じていたんですけれど、『メタモルフォセス群島』など長めのものを読みだしたら、めちゃくちゃだけど面白いなと思って。そこから筒井さん熱が一気に高まり、中学生時代は、新潮文庫のあの赤い背表紙の筒井さんの文庫を次々と買って読んでいくような感じでしたね。それと、吉川英治さんの『宮本武蔵』とかも、すごく長いんですけれど何度も繰り返し読みました。

――いきなり『宮本武蔵』とは。

 なんでしょうね。自分の中の「これは面白い」という基準に適っていればよかったので、純文学とかエンタメとか時代小説だとか、そういう区別も全然してなかったです。自分にとって読書は娯楽だったから、「古典だから読まなきゃ」とかいう意識も全然なくて、面白そうだと思うものを読んでいっていました。

――本を読む時間はどれくらいあったのかなと思って。

 『青少年のための小説入門』の一真は中学受験で滑り止めしか受からずに地元の中学に行きましたけれど、僕は滑り止めの中学に行ったタイプだったんです。東京から千葉に通っていたので、それこそ片道2時間くらいかかるんですよ。電車はガラガラで、行きも帰りも座れるから読書時間はたっぷりありました。ただ、サッカー部に入っていたので、部活帰りだと疲れて居眠りして、気づいたら本をバサッと落としてたりもしましたけれど。それが3年間続きました。

海外の名作を読む

――高校もその距離を通ったのですか。

 いえ、これは通ってられないなと思い、家から近いところに入学しました。高校時代は安部公房がすごく好きで、新潮文庫で短篇集がたくさん出てきたので、どんどん買って読んでいましたね。その頃から、「そういえば海外文学って読んでないな」と思い、意識的に読むようになりました。それこそカフカとかへミングウェイとかドストエフスキーとか、ビッグネームがいくらでもいる。でも、僕が住んでいた足立区の本屋さんで『罪と罰』を買おうと思っても、下巻しかないんですよ。たぶん上巻を買って読んで挫折した読者がいたんでしょうね。『ライ麦畑でつかまえて』も4軒くらいまわっても置いてない。だから新宿の紀伊國屋書店まで行って買ったんですけれど、これは駄目だと20歳になってから実家を出て下宿しました。

――『ライ麦畑でつかまえて』という名作があるといった情報は、どこから耳に入ってきたんでしょう。

 日本の作家のエッセイを読んでいると名前が出てくるじゃないですか。筒井康隆さんも読書家なので、いろんな作家の名前が出てきますよね。それこそガルシア=マルケスとか。そういうのを読んで、「なんかすごそうな作家だな」という知識が蓄積されていったんだと思います。
『ライ麦畑でつかまえて』は、初めて読んだ高校生の時はあまりピンとこなかったんですよね。たぶんタイトルから、勝手にものすごく爽やかな話だと思い込んでいたんです。そうしたらああいう感じじゃないですか。えらく内省的だし、攻撃的だし。ただ、ずっと何か引っかかっていたので30代になってから読み返したら、すごくよくて。「これは稀有な作品だったんだな」と思いました。40代になって村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で読み返して、やっぱり素晴らしいと思って。今でもすごく好きだし、本当に世界中で読まれているのは当然だよなと思いました。

――『ライ麦畑でつかまえて』は若いうちに読んだほうが心に響く、とよく言われますよね。でも久保寺さんの場合は違ったわけですね。

 やっぱり、自分が10代というものをもう経験して、だいぶ距離を置いてみられるようになっていて、10代の限界が分かるからかもしれません。ホールデンって減らず口を叩くじゃないですか。「俺は全然傷ついてない」みたいなことを言うけれど、大人になると「いや、君めっちゃ傷ついているでしょ」というのが分かる。たぶん、同じ年代の頃に読んでもそれが分からないと思うんですよね。ああ、強がりなんだなと分かる歳になってからのほうが、より痛切に感じる。あの小説は17歳のところで終わっているけれど、読み返すたび「今、ホールデンは何歳かな」って思いますね。果たして生き延びられているのか、どんな大人になっているのか。もしもあのままだったら、もうリカバリーできないくらいの傷を受けているかもしれないなと思う。だから大人になって読むほうが、感じる切実さが違うんです。
話がそれますが、メアリー・マッカシーの『アメリカの鳥』という小説があって。「ライ麦畑」は1950年代に出ていますが、『アメリカの鳥』は1960年代でベトナム戦争の頃なんです。主人公は19歳の大学生なのに、カントの哲学の教えを守ろうとしている。フリーセックスとかの時代にそんなことを言っている子は当然ズレているわけで、さんざんな目に遭うんです。時代にそぐわないという意味でホールデンに近いところがあるんですが、減らず口は叩かないし、よりナイーブ。この話もすごくよかったですね。これは40代の頃に読んだんですけれど。

――ところで好きな作家のエッセイから他の作品を知るということですが、北杜夫さんに限らず、好きな作家は小説だけでなくエッセイも読んでいたんですね。

 読みました。遠藤周作さんの狐狸庵先生のシリーズも好きでした。筒井さん、井上ひさしさんのも読んでいて、筒井さんは『腹立半分日記』というのがあるんですよね。それで日記も面白いかなと思って、高校生の頃に真似して自分も日記を書きだしたりしました。後で役立つかなという気持ちもあって。いまだに書いているので、30年くらい続いていることになりますね。

――ノートに書いていたとしたら、もう相当溜まっているのでは。

 相当ですね。でも、基本的にどこに行き、誰と会って、何を食べたかくらいしか書かないので1日分が1行か2行くらい。たまに何か大きな出来事が起きた時だけ長文になるので、ぱっと見返した時に視覚的に「あ、ここは何かがあった日だ」と分かります。読んだ本の記録もつけていますよ。普段は「何を読んだ」「何を買った」程度ですが、読んですごくいいか、逆にすごく悪かった時には批評というか感想文を書いたりはします。

――日記が「役立つかな」と思ったのは、小説の執筆に役立つかな、という意味ですよね。作家になろうという気持ちは持ち続けていたわけですね。

 大学生の頃は「絶対に就職しない」と思っていました。僕の頃って、まだバブルがはじける前で景気が良かったんですよ。フリーターっていう言葉も出だした頃で、何しても食っていける空気がありました。だから、まずは就職しないで作家になろう、と。さきほど言っていた「医者と作家の兼業」は、高校生の時に微分積分とかが全然駄目で文系に変更したので、医者を放棄して作家一本で、ということに決めていました。

――あれ、大学の学部ってどちらでしたっけ。

 立教大学の法学部でした。全然勉強してなくて、引っかかったのがそこだけだったんです。でも僕は作家になりたいわけで法律なんて興味がないから、入ったはいいけれど苦痛で苦痛で。結局1年留年しましたし。5年生なのに1年生の時に取るはずの保健体育の単位が残っていたりして。

大学時代に読んだ名作の数々

――では、大学生時代の読書生活は。

 大学生時代の読書は、かなり海外文学にウエイトが重くなっていました。6:4くらいで海外小説のほうが多かった。さっき言ったへミングウェイとかのような古典の部類のものではなく、アップトゥデイトなものとか。当時は80年代でしたが、ジョン・アーヴィングとかポール・オースターといった現代の作家を追いかけて買っていました。日本の文学だと筒井さんはずっと読んでいたし、あとは井上ひさしさんの『吉里吉里人』のようなエポックメイキングなものは読んでいました。でも村上春樹の『ノルウェイの森』がちょうど大学生の頃に出ましたが、社会現象にまでなっていたので斜に構えて読まず、もっと後になってから読みました。あれは人と人との分かりあうことの不可能性みたいな彼のテーマがむき出しになっているように感じて、偏愛に近いんですけれど、何か好きですね。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のほうが完成度は高いと思うんですけれど。

――『青少年のための小説入門』ではカート・ヴォネガットとかボリス・ヴィアンの作品も言及されていますよね。

 それらも20代の頃に読んでいると思います。ヴォネガットはSFというか超変化球でポップな小説を書くので、筒井さんに割と近いところにいるという印象でした。やはり筒井さんが勧めるものを読むことが多かったですね。ガルシア=マルケスやバルガス・リョサとかフリオ・コルタサルとかいった南米文学も読みました。
 ボリス・ヴィアンはたしか古本屋で買いました。著者の名前は聞いたことがあって、小説のタイトルが格好よかったので。『うたかたの日々』とか、あとなんでしたっけ。

――『墓に唾をかけろ』とか。

 そうそうそう、そういうのが若者にはビビッときますよね。「読まなきゃ」って感じで(笑)。
 そういえば、子どもの時に文学全集を読んで、なんかよく分からないけれど駄目だった夏目漱石を大学に入ってから読み直したり、読んでいなかった作品にも目を通したりしたら、すごく良かったんです。それで漱石はエッセイなどを除いて全部読みました。

――大人になってから感じ方が変わったのはどうしてだったんでしょうね。

 たとえば『坊っちゃん』って、痛快と言われているけれど、子どもの頃に読んで「痛快か?」って思ったんですよ。文体が軽妙だからそう思えるだけで、生徒にいびられたというのも被害妄想みたいなところがあるし、赤シャツをやっつけると言っても生卵をぶつけるだけですよね。「なんだそれ」って思ったんです。それと子どもの頃にすごく楽しみにして読んだのが『吾輩は猫である』ですけれど、あんなもの子どもには分かりっこないですよね。漱石が教養をセーブしないで全面展開しているんですから。でも大学生になって『門』や『それから』を読んだら、これは本当に面白いと分かって。今でも漱石は大好きですね。

――学生時代、幅広く読まれたんですね。

 ただ、5年生の終わりに残りの単位を取りながらも、大学院に行こうと思って試験勉強を始めて、全然本が読めなくなりました。英語、現代文、文学史、古文など、重箱の隅をつつくようなところまで憶えなくちゃいけなくて丸暗記するように勉強をしていたら、結構日本文学で読み残したものがあることに気づいたんです。宇野浩二とか近松秋江とか、葛西善蔵とか。教科書を読んでいると「すごく面白そう」という人がごろごろいるのが分かって。だから大学院に行ってからは、日本文学をずいぶん読みました。ビッグネームでも森鴎外は「渋江抽斎」のような歴史ものだかなんだか分からない実験的なものもあったりして、そういうものに意識が向いたという意味では良かったなと思います。

――『青少年のための小説入門』では、登さんが現代風にアレンジしてみせる田山花袋の「蒲団」を読んだのもその頃だったんでしょうね。

 たぶんそうですね。田山花袋は名前は知っているけれど興味のない作家だったんですが、文学史的に見た時に結構ドラスティックなことをやっている。私小説の走りというところがあったりしたので読まなきゃいけないと思って読んだら、すごく駄目な話なんだけれど面白いなあと。言文一致の走りの二葉亭四迷の『浮雲』もその頃に読みましたが、今読んでも新しい発見があったりして。

――大学院での勉強は面白かったですか。

 今はどうか知りませんが、当時は専攻する作家を一人決めなきゃいけなかったんです。それで僕は横光利一にしました。これも筒井さんが関係していて、その頃にNHKか何かで作家が気に入っている作品を朗読するという番組があって、そこで筒井さんが横光の「機械」を朗読したんです。「なんだこの作品」と思って買ってきて読んで「横光、すごいや」となって。「機械」って昭和5年くらいの短篇なんですけれど、今読んでも全然新しい感じじゃないですか。

――「機械」も『青少年のための小説入門』に出てきますよね。

 そうです。それで、すごい人だというのが頭にあったから、先輩からの電話でいきなり「君はどの作家を専攻するの」と訊かれて「じゃあ横光利一にします」とその場で決めてしまいました。
横光は新感覚派というグループで、川端康成もその一派なので読みましたね。「片腕」という短篇なんかは腕を取って預かってくれという話で、えらく美しい短篇だと思いました。『伊豆の踊子』だけじゃないんだなっていう。
ただ、これは勘違いだったんですけれど、早稲田大学の大学院の文学部は、今でいう創作学科みたいなイメージで、そこに行くのが作家への近道だと思っていたのですが、当然作家になるための場所じゃなくて、研究する場所なんですよね。研究発表のために読まなきゃいけないから、純粋に読書が楽しめず、本を読んで一番苦痛を感じた時期でした。横光には『旅愁』っていう未完の作品があって、失敗作だって言われているんですよ。でも担当教授には「君は横光を専攻したんだから、『旅愁』は7回読みなさい」と言われて、「あれはつまらないのに」と思ったりして。結局、「バイトが忙しくて勉強する時間がありません」と口実をつけて中退してしまいました。

――バイトを理由に!?

 担当教授も「こいつやる気ない」と分かっているから、「ああ、そうなんだ、頑張ってね」と、円満に送り出してもらったんですけれど。本当に、院に入ったはいいけれど、ポンコツでしたので。

先に作家デビューした先輩

――ところで、今回の小説で引用されている作品は実験的なものが多い印象ですが、それだけでなく幅広くお好きなんですよね。

 そうですね。引用した作品はどれも、パッと見て「あ、面白いね」と分かるものを選びました。でも、いろんな面白さがあると思うんですよ。たとえば僕はドストエフスキーが好きで毎年1冊読み返すことにしているんですけれど、『悪霊』が一番好きなんですね。あれはものすごく重たいテーマなのに、笑っちゃうところがあるんです。しかも頻繁に。要するに黒いユーモアってことだと思うんですけれど、過剰すぎておかしい。ただ、『青少年のための小説入門』の中で『悪霊』を引用しようとすると、どうしても長くなってしまう。それで結局割愛しました。

――さて、大学院を辞めてからは。

 大学4年の頃から塾講師のバイトをしていて、院を辞めた後もずっとそのバイトをしていました。そこに3つ上の先輩で作家志望の人がいたんですね。以前塾で働いていたけれど辞めて衆議院議員秘書になって、また塾に戻ってきて、その時期に僕もそこで働いていて一緒になったんですけれど。そういう経歴からも分かるように、非常に面白い人なんですよ。その人とよく小説の話をしていて。上司に「うるさい」と言われるほどで、飲みに行っても小説の話をずっとしていました。その頃、山本文緒さんの『眠れるラプンツェル』を読んだらすごくよくて、その人にキャーキャー薦めた憶えがありますね。あとから「興奮して何言ってるか分からなかった」と言われ、その人も後から「あれはいい」って言ってきて、2人でキャーキャー騒いでいました(笑)。どこが良くていかに工夫されているかみたいなことを話しましたね。これはその後も何度も読み返しています。

――そこまで話せる相手がいるのっていいですよね。

 はい。お互いに小説家志望ならちゃんと書こうという話になって、落語の三題噺のような課題を出し合ったりもしたんですが、それも書いたり書かなかったりしていました。そしたら、その人は僕が35歳の時、2004年にデビューしたんです。『サウスポー・キラー』という作品で『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を獲って。水原秀策さんというペンネームです。彼がデビューを決めたことで僕も焦ったんですね。それから短篇と中篇と長篇を強引に書き上げて3つ応募したんですけれど、1本もかすりもしなかった。また短篇を書いて送ったら1次は通ったけれどそこまででした。で、2005年の元旦からまた書きだして。その時は自分としては珍しいことなんですけれど、アイデアが降ってきたかのように湧いて。どこにも行けない少年の話で、それを書き上げました。自分では「面白い」と思うけれどレベルが分からないので、水原さんに読んでもらったんです。そうしたらほぼ絶賛だったんですね。僕は彼の鑑識眼を絶対的に信じているので、だったらいけるなと思い、翌年、まだデビューもしていないのに水原さんと一緒に塾を辞めちゃいました。まあいいだろうと思って。それが2006年でしたが、実際に僕、2007年にデビューしたんです。

――2007年に『すべての若き野郎ども』でTBS・講談社第一回ドラマ原作大賞選考委員特別賞、『みなさん、さようなら』で幻冬舎の第1回パピルス新人賞、『ブラック・ジャック・キッド』で新潮社の第19回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞されていますよね。

 どれも応募する前に水原さんに読んでもらったんです。今でも編集者に読んでもらう前に、彼に読んでもらって、「OK」と言われたら大丈夫だなって思っていて。彼の鑑識眼を信じているから塾を辞めるのもあまり怖くなかったし、3つ立て続けに賞を獲った時も「まあ、そうだろう」という感じでした。身近にそういう人がいたのは、すごくラッキーだったです、自分の場合。

――水原さんとは読書傾向は似ていたんですか。水原さんはミステリが好きなのじゃないかなと思うのですが。

 確かに、僕自身は嗜好としては世界文学系なんですけれど、彼はミステリや冒険小説をよく読んでいて、薦めてくれますね。書くものは違っても根本的にセンスが信用できる人だし、お話としてどこに穴があるかとか言ってくれる人なので。もちろん、僕が水原さんが書いたものを読んで意見を言うこともあります。

――水原さんにお薦めされて面白かった本はあるのですか。

 そうですね。ジム・トンプスンなどのノワール系の小説とか。最近では彼から世界文学を薦められることも多いですね。アイン・ランドの『水源』とか、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』とか。
 水原さんのような人が身近にいるのはラッキーですが、実は大学の歴史探訪会っていうサークルの先輩もデビューしているんですよ。斉藤直子さんといって、『仮想の騎士』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞していて、アンソロジーの『NOVA』とかにも書いています。それに去年、高校の同級生も『幕末ダウンタウン』で小説現代長編新人賞を受賞してデビューしました。吉森大祐といいます。Facebookに「デビューしました」とあったので、「おめでとう」と送っておいたんですけれど。
 そういえば、今話に出た日本ファンタジーノベル大賞で好きな作品が結構あって。第一回の受賞作の酒見賢一さんの『後宮小説』は、あれでもう、あの賞の格が決まったところがありますよね。いきなりあれだから、レベルがガーンと上がったという。あとは、銀林みのるさんの『鉄塔 武蔵野線』。それとわりと最近ですが、小田雅久仁さんの『増大派に告ぐ』。同じ賞の受賞者同士で集まりがあって、小田さんに直接「いやあ、大好きなんです」と感想を言えたのが嬉しかったですね。

――ところで歴史探訪会というサークルが今ちょっと気になりましたが。

 月に一回、都内にある史跡に行き、夏休みなど長期休暇の時は遠くへ行ってそこの史跡をめぐっていました。自分に合っていたなと思うのは、行く前にちょっと調べて文章を書き、行った後でもレポートを書く。大学の頃は文章を書くのが好きになっていたから、苦じゃなかったというか、むしろ楽しくて。あれはあれで文章の練習になったかもしれません。

――そんなに歴史に興味があったとは。

 いや、興味なかったんです。大学にあんまり行っていなかったけれど、やっぱりゼミのない学生は何かサークルに入っていないとノートが回ってこないなどいろいろ不利だということを心配してくれる同級生がいて、誘われたので入ったんです。

創作に役立つ3冊、最近の読書と新作

――『青少年のための小説入門』にはダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』やモンゴメリの『赤毛のアン』も登場する一方、ロラン・バルトも言及されますね。

 『アルジャーノンに花束を』や『赤毛のアン』を読んだのは結構遅かったです。どちらも有名な作品だから先入観を持って読んだら「面白いやないか!」っていう(笑)。ロラン・バルトもやっぱりお勉強して読もうと思って読みました。これは30代だったかな。

――それに少女漫画も登場しますよね。萩尾望都とか。

 今までお話ししたのでだいたい分かると思うんですが、本当に人生が小説に偏っている人間で、大学に入るまで映画もほとんど見なかったし、漫画もほとんど読まなかったんです。でも身近な知りあいで「少女漫画を読まないと駄目だろ」と言う人もいたので、勉強のつもりで萩尾望都、大島弓子、山岸凉子を読んだら、もう、すごく面白いじゃないですか。で、完全に好きになっちゃって。音楽も、ちゃんと意識して聴きだしたのが30代からなんですね。そういう意味で、本当に偏っていました。

――じゃあ、ゲームとかもまったく?

 ファミコンは家になかったですね。街のゲームセンターには行っていました。20代の頃は「バーチャファイター」に異常にハマってました(笑)。

――さきほどロラン・バルトを勉強のために読まれたということで、小説の勉強のための本というのもかなりお読みになったのですか。

 読んでいますね。大学生くらいからなんですけれど、必ず2冊並行して読むようにしていて、1冊は小説、1冊は小説ではないもの。こっちに飽きたらあっちに行って、あっちに飽きたらこっちに戻ってというのが飽きっぽい自分にはバランスがいいんです。そのなかで、小説の理論書みたいなものも読むようにしていました。

――役に立ったものはありましたか。

 小説の書き方ではないんですけれど、山本おさむさんという、障害者の子どもたちが出てくる漫画『どんぐりの家』などを描いている方が、『マンガの創り方』という本を書いているんです。これが、すごく使えるんですね。実践的。ご自身の作品を解説したり、高橋留美子さんの短篇を分析したりしているんですけれど、非常に役に立ちました。『青少年のための小説入門』の中で、編集者が「名前の出し方に気をつけろ」と言うシーンがありますよね。あれは山本さんの本に書いてあることなんです。名前って目印だから、出したからには活かせ、と。うまく活かすと宇宙になるっていう。
 それと、逆のベクトルで、保坂和志さんの『書きあぐねている人のための小説入門』。これはシステマティックな書き方とは全然逆なんですけれど、すごく面白い。
 あとは、桝田省治さんという、「リンダキューブ」などのゲームを作った方の、『ゲームデザイン脳』。これはゲームの作り方なんですけれど、これもすごく使えます。本当にこの3冊を咀嚼できれば小説が書けるんじゃないかって思うくらい。

――プロになってからの読書生活は何か変化がありますか。

 変わっていないですね。デビューすると他の人の小説を虚心坦懐に読めなくなるとおっしゃる方がいて、そういうものかなと思っていたらそうじゃなかった。僕はすごく飽きっぽいので、10冊読みだして、読み切る本って6冊とかなんです。途中でやめちゃうんですよ。若い頃は「読み切ればなんかあるだろう」と思っていたけれど、そうやって読んでも何もないって分かったので。でも、すごく面白い小説を読むと、最初は自分の小説に参考にしようっていう下心があったとしても、もうどうでもよくなっちゃって巻き込まれるようにして読んでいます。
 ところが逆に、ある小説を読んだらすごくクサいことを言う中学生が出てきて、「こんな奴いないと思うけれど、もしいたらどうだろう」と思ったことから話が生まれたりするので、意外と「なんだこれ」と思うものも読むと何かあるし、良いものもそうでないものも「何がよかったのかな」「なにを変えればよくなったのかな」と考えるから勉強になるので、デビューしてからのほうがもっと、小説って面白いなと思いながら読むようになりました。

――この作家の新刊が出たら買うと決めている人はいますか。

 筒井康隆さんだったり、ジョン・アーヴィングだったり、松浦理英子さんだったり。松浦さんは『親指Pの修業時代』がすごく好きで。世界文学級で、なおかつエンタメで、素晴らしいと思うんです。それと、ニコルソン・ベイカーも買いますね。今度『U&I』という新刊が出るらしいので楽しみにしています。

――ほかに、ここ数年内に読んで面白かった作品といいますと。

 筒井康隆さんの『モナドの領域』、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』、山田正紀さんの『ここから先は何もない』、奥泉光さんの『東京自叙伝』、ウェルズ・タワーの『奪い尽くされ、焼き尽くされ』、ピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』...。古い作品ですが新たに村上柴田翻訳堂のレーベルから出たカーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』は明らかに傑作でした。12歳の女の子の話で、山田詠美さんの『晩年の子供』みたいなテイストなんですけれど、これは長篇で。すごくよかった。

――どうやって本を選んでいますか。書評とか、書店の店頭とか...。

 新聞の書評はチェックしてメモっておいて、気になるものを読んでいきますね。だからすごいリストになってしまって、なかなか消化できないんですけれど。

――今、一日のタイムテーブルは。

 5時に起きて、正午までなるべく頑張って書く。そのあと気分転換のために今年から英語の勉強をしています。受験のための参考書を買ってきて、文字の上に赤いマーカーで線を引いて、グリーンのシートで隠して...というのがありますよね。あれで勉強したり、ネットで英語のニュースでリスニングをしたりして。で、だいたい2時から運動をするようにしています。まあ、家でできる初歩的なことですけれど。それからお風呂入って晩御飯を食べて。その後映画を観たり本を読んだりするんですけれど、5時に起きているので9時くらいにはもう眠くなるので、バサッと本を落としたりしています。それで、10時すぎに就寝ですかね。かなり規則正しく健康的な感じではないかと思います。

――『青少年のための小説入門』は7年ぶりの新作ですが、その間はどうされていたのですか。

 いろいろ書いていたんですが、途中まで書いては「やっぱりこれでは駄目だ」とやめてしまうことが続いていたんです。今回のアイデアが浮かぶまでに4年かかりました。今回のアイデアが浮かんでからも、プロットを何度も作り直しました。

――成績はいいけれどいじめられっ子の中学生、一真が読み書きが苦手なディスレクシアという学習障害を持つヤンキー青年、登さんに小説の朗読を頼まれます。実は登さんは一念発起して作家を目指すことにしていて、朗読だけでなく、文章の執筆も一真にやらせようとする。そこから二人の試行錯誤が始まりますね。

 ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を読んで朗読っていいなと思っていて、書きたかったんです。実在の本をたくさん盛り込むつもりでした。最初はそれだけだったんですが、実際に二人が小説を書くことにして、そこから彼らがどんな小説を生み出していくのかを考えるのもまた大変でした。

――彼らは「鼻くそ野郎」とか「機械じかけのおれたち」「パパは透明人間」といった、ちょっと工夫のある小説を生み出しますよね。それが本当に面白そうで。

 いずれ自分でも書きたいと思っています。今回の小説を書くことで自分も、どう創作するのかはもちろん、なぜ小説を書くのか、どういう作品が好きなのか、改めて分かった気がします。またもう一度スタート地点に立てた気がします。デビューの頃に思っていたように、自分が読みたい小説を書いていきたいですね。