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滝沢カレンの「わたしを離さないで」の一歩先へ

撮影:斎藤卓行

カラカラカラカラ・・・・・・。
今日も車椅子を引く音、そして複数の足音で目を覚ます。
いやしないのに、なぜかいつもこうなんだ。
僕の頭にこびりつくこの足音。
起きるとそこは自分の家で、小鳥の鳴く音しか聞こえなかった。
また夢かと肩を落とす。

キャシーは冴えない男の35歳だ。
キャシーは5年前まで、奇妙な施設で「介護人」として働いていたが、色々な思い出を残したままその施設はやめたのだった。

その施設はイギリスの森の奥にひっそりとでも、その影はかなり奇妙で独特な存在感を放っていたため、町人からもかなり恐れられていた。
その施設ではみんな真っ白い服を義務付けられていたのだ。
施設の噂は、町中に広がっていた。
入るのは簡単だが、一度施設に入ったものは出る事は困難であり、そこで一生を過ごすことになる施設だという噂だった。

そんな施設に「介護人」として雇われたのは、20歳になったばかりのキャシーであった。
キャシーもこの施設に入り育ってきた1人であり、5歳の時に母親に連れられ施設に入ることとなった。
両親はそのまま二度と施設に来る事はなかったが、キャシーは施設での幸せでのんびりとした生活を送っていたため、とくに帰りたいなども思う事はなかったのだ。

施設は、大きな庭にいくつかの遊具があったり、噴水があったりととても快適だった。
施設内には、沢山の1人用の個室が用意されており、1~4階までの建物である。
食堂や図書室、プールに大浴場やエステなど施設の入居者にとってはまるで楽園だった。

ただ誰もが立ち入ることが許されてないのが唯一の地下室だった。
地下室に入っていいのは、施設長と決められたスタッフのみだった。
キャシーは子供ながらにいつも地下室へいく大人たちが気になっていたが、絶対に地下には行ってはダメよとよく施設のおばさんにも言われていたため、とくに考えずに20歳まで暮らしていた。

キャシーは20歳までこの施設で暮らしていたため地下室以外のだいたいの設備や仕組みは分かっていた。
なので自分が施設で働くことは、育ててくれた恩返しのような気持ちで働いていた。

その施設は何歳からでも入ることができ、特に理由などもみんなバラバラであり、その施設のパンフレットには、-楽園のような暮らしを望まれる方へ-という嘘のような見出しくらいしかないため、どういう基準で入居出来るかはキャシーにもわかっておらず、様々な理由や年齢の人が入居していた。

キャシーの仕事として、入居者にはそれぞれ予定が決められており、入浴時間や、エステの時間、自由時間、食事の時間、みんなで集まり話し合うセラピーのような時間、読書の時間などが設けられており、それを担当の入居者に案内したり、誘導したりと、スケジュールを伝えたり、施設内のお掃除をすることだった。

そんな中、施設で働く日が続いたある日のことだった。
キャシーが裏庭の掃除をしていると、小さな池をずっと見つめる白いワンピースを着た女性がいた。
ここの施設は頑丈な門があったり、山奥にあるので簡単には外の人間は入ってはこれない。
そして決められた白い服だった為入居者だとは分かったが、見たこともない入居者だった。

キャシーは5歳から施設にいるため、スタッフも入居者もほとんどが顔見知りであったため、初めて見る女性に少し驚いた。
「初めまして、僕はここで働いているキャシーだ! 初めて見るけど、最近ここに来たのかい?」と尋ねてみた。
すると、女の子は、キャシーを真っ直ぐな目で見ると表情を変えずに「ずっといるわ」と答えた。

キャシーはなおさら、驚いた。
まさかずっといた入居者だったとは。

綺麗で色白な女の子であったため、きっと施設内でも目立つはずの子だったが、何故いままで気付かなかったのだろうか。
キャシーは少し戸惑ったが、すぐに持ち前の明るさから仲良くなろうと話を続けた。

「何階に住んでいるんだい?」
女の子はまた冷たい目で「1階よ」と答えた。

「何故この施設に来たのかい?」と尋ねると、目をすっと池の方に落とし、真冬のような冷たい声で「私は体が弱いの。いつも体を悪くするから強くなるためにママがここへ連れてきたのよ。また体が良くなったらママはお迎えにくるのよ」と言った。

キャシーは優しい顔で「そうなのか、じゃあママが迎えにくるまで頑張らなきゃいけないね!」と女の子を励ました。
そして女の子はピクリとも笑わずに走ってどこかに行ってしまった。

キャシーは不思議な女の子だなぁと思いながらも、庭の掃除を続けることにした。
そして、それからは裏庭掃除を担当する時にはたまにその女の子が現れる。
いつも決まって小さな池をジッと見つめている。
特に会話をするわけではないが、その女の子の名前はリンダという事がわかった。

そして、ある日の夜だった。
消灯時間を過ぎみんなが寝静まったときに、夜間の見回りをしていると、廊下から館長とスタッフ何人かで寝ているリンダを地下へ運ぶ姿を目にした。
キャシーはまだ地下へ行くことは禁じられていたため、行くことはできなかったが初めて地下へ行く人を目にしたので、興味本位でギリギリまでひっそりとついていった。
リンダは眠っているようで、スタッフたちがなにかをコソコソ話し合いながら地下へと消えていった。

そして数日後・・・・・・。
またキャシーは裏庭の掃除中にリンダに会った。
そしてリンダに思い切って、聞いたのだ。
「何日か前に君、館長さんたちと地下室へ行っただろう? 地下にはなにがあるんだい?」と聞くと、リンダはハッとした顔つきになり「私地下室が、嫌なの、怖いのよ」と震えた声で言い出した。

キャシーはまさかの答えに驚いた。
「一体地下室はなにをする場所なんだ?」と聞くと、「言ってはダメと言われてるの。地下室のことは地下室に行ったことある人だけの秘密なのよ」と答えたのだった。

余計地下室が気になりだしたキャシーは、どうにか地下室に行けないかを考えるようになった。
ただでさえ地下室へ行く人を見たのも、この前が初めてだったため、入り方もよく分かっていなかった。
だが、キャシーはリンダが口にした「怖い」という言葉が忘れきれず、毎日地下室へ館長たちが行かないかをさりげなくチェックするようになった。

そんな嵐の夜だった。
いつものように夜の見回りをしていると、遠くから何人かの足音、そして車椅子を押すような音が聞こえてきた。
キャシーはもしや、と思いそっと影に隠れて様子を見ていると、また館長と数名のスタッフに囲まれた車椅子で眠るリンダの姿があった。

キャシーは足音を立てず、息をこらしめて、ついていった。
地下室へはまず分厚い頑丈な鍵がかかった扉の奥に地下室への道があるようだった。

内側からは鍵の開け閉めができない仕組みになっているため、分厚い扉の近くにはひとりの警備がいた。
そこを通り抜けるスタッフは、警備に「4852」という数字をもとに中に入って行く姿を見たため、ダメ元でキャシーも後から数字を警備員に伝えると、すんなりと通してくれたのだった。

そこには真っ暗闇に地下へのスロープだけがある部屋だった。窓はもちろんなく、気温もぐっと冷たくなっていた。
恐る恐る、足音を殺しながら地下へのスロープを下って行くと、少しの光が見え、光の方へと進むと、そこには治療台に静かに寝かされ、頭に不気味な器具を付けられた、リンダの姿があった。

スタッフたちはコンピュータのようなものを熱心に打ち、館長は何かを指示しながらリンダの脳の動きを真剣に、でもうっすら笑いながら見ていた。
キャシーは耐えられない気持ちが湧きあげてきた。

すると次の瞬間、リンダはパッと目を覚まし暴れ始めた。
「助けて!私はこのままでいい、もうやめて!!!!」と叫び始めた。

館長は驚き部下のスタッフたちに「おい、しっかり眠らせておけと言っただろ!!! 鎮静剤を、打つぞ、もってこい」と叫んだ。
スタッフは慌てて注射器を持ちリンダに鎮静剤を打とうとした。

絵:岡田千晶
絵:岡田千晶

キャシーはいてもたってもいられなくなり、走ってその治療室に入りリンダを助けに行った。
館長は、キャシーの存在に驚いた。
「ここは君が来ることは禁じられている、すぐに出て行け!」と言われたが、そんな言葉に返している余裕などなかったキャシーは、リンダを救出し、地下室から連れ出した。

月の光が眩しいくらいの庭で、2人は座っていた。
口を開いたのは、リンダだった。
「私はいつも寝る前に栄養ドリンクを飲まなきゃ寝かせてくれないの。でも、たまにそこに睡眠薬をいれられてるみたいで、深く眠ってしまうの。そうなると気付くといつも私は地下室にいる。でも今日は栄養ドリンクを少し飲んだふりをして吐き出したのよ」

キャシーはリンダの口から次々と発する衝撃的な発言にただただ唖然としていた。
「あなたはこの施設がどんな施設かしっている? この施設では私たち人間は、研究材料としてしか見ていないのよ。毎日いい暮らしをさせて私たちを騙してるのよ。時が来たり、でたがる人間にはこうやって、地下室にある人間研究室に連れてかれて私たちを研究して実験に使ったりするのよ。だから私は早く出たい。どうにかしてここを出たいの。手伝ってくれない?」
キャシーにせがむリンダ。

キャシーは約15年間この施設で育ってきたが、まさかそんな裏事情があったなどもちろん知らなかった。
大切に育ててくれたと思い込んでいたのだ。

僕もいつかは実験材料として、地下室へ・・・・・・?
と不安は込み上げてきた。

たしかに地下室にはリンダだけではなく、無数のカプセルのような中で寝る人間たちもいた。
あれは、実験中だったのではないか、と恐怖と不安で鳥肌が立った。

キャシーはいつしか惹かれていた存在でもあったリンダを信じ、一緒に街へ出る決意をした。
だが、もちろんタクシーなど呼ぶには館長のお許しがいるし、簡単に外と連絡はできない仕組みになっている。
かといって、歩けば山道だし、こんな夜中に遭難なんてしてしまったら、命の保証はない。
リンダは歩いてでも抜け出したいと言ったが、キャシーは冷静に考えても無理な話だと思った。

キャシーはここの生活に不満を感じたことも出たいとかんじたこともなかった為、町への行き方など考えたこともなかった。
(たしかに、外の生活はどのようなものなのだろう)
初めて興味を持った。

その夜はリンダを自分の部屋に寝かしつけ、キャシーはソファで寝ることにした。
また明日考えようとリンダを説得したのだ。

翌朝、昨夜の車椅子を押す音でキャシーは目覚めた。昨日の一連が頭から離れず、悪夢となったようだ。

ハッと目を覚ますと、リンダの姿はなかった。
キャシーは一目散に施設中を探し回ったが、姿はない。
館長室へ行き、館長にリンダの行方を尋ねると、「知らん。そんなことより君は昨日みたことを誰かに言うのかい?」と館長は鋭く聞いてきた。

「あれは一体なんですか? なぜ人がカプセルのような場所に入り寝ていたり、リンダの頭に変な機械をつけてなにをしようとしてたのですか?」と聞いた。
館長は何も言わずに部屋から出て行ってしまった。

それから、リンダの姿を僕が見ることはなかった。
リンダはどこへいってしまったのか考える毎日だった。
スタッフも硬い口は相変わらず開かず、誰一人としてリンダの行方を教えてはくれなかった。

そして数ヶ月後の朝だった。
朝起きて部屋の掃除をしていると、ベッドとベッドボードの間に一枚の紙が挟まっているのに気付き、見てみると、なんとリンダからの置き手紙だった。
そこには
「私を離さないで
私を離さないで
また地下室へ連れていかれる」
という文字が並んでいた。

全身からゾワっと熱が染み渡りいてもたってもいられず、全速力で地下室への扉へ向かった。
またあの4桁の番号を警備員に言ったが、あれからセキュリティは厳しくなり専用のカードがないと入れない仕組みになってしまい、キャシーは追いやられてしまった。

リンダがあの時逃げようと本気で言ったことにもっと考えて、あの時逃げるべきだったと、毎日毎日後悔した。
そしてキャシーは働きロボットのように感情をなくしたまま、働いた。

そして、35歳の時に館長との18時間以上の話し合いにより、キャシーは施設を出ることになった。
館長もキャシーをもう必要とはしていなかったのだ。
そしてキャシーはリンダからの手紙を胸に施設を出た。

あの一件以来、キャシーは毎晩あの車椅子がカラカラと廊下に響き渡る音、そしてスタッフたちの足音が夢に出てきてはうなされてる。
最後にはいつも、リンダが「私を離さないで、ずっと私の隣にいて」と幻聴が聴こえて起きる日々だ。

リンダは一体地下室でどうなったのか。
それは施設を辞めたキャシーにとっては戻ることはできない場所でもあったため、一生の謎となった。

のちにその施設は警察の捜査の対象となった。
そこで発見されたのは無数の実験に使われた死体と実験に使われた数々の機械だった。
館長は人類を変えたくて実験や研究として何人もの犠牲者を生んでしまったのだった。
館長は死刑に、スタッフは禁固150年となった。

キャシーがそれを知ったのは48歳のときだった。
その被害者の中にはリンダの名前も紛れもなく入っていた。
キャシーもきっと知らずに働いていたらまんまと館長の犠牲者になっていたはずだった。
それを回避できたのも、リンダとの出会いのおかげだった。

だが、そのリンダの悲痛な思いは、今もキャシーの夢の中では途切れることはなく、訴え続けるのであった。

(編集部より)本当はこんな物語です!

 ノーベル賞作家、カズオ・イシグロの最も世に知られた小説といってもいいでしょう。ただし、イシグロ版のキャシーは31歳の女性です。

 優秀な介護人のキャシーは、自らも生まれ育った施設ヘールシャムで「提供者」と呼ばれる人々の世話をしています。物語は彼女の思春期の回想から始まります。どの国にもありそうな全寮制の学校生活なのですが、図画工作などの創作に力を入れた授業や、毎週行われる健康診断など、どこか普通の学校とは異なっています。彼女の回想が進むにつれ、「提供者」の意味がわかり、カレンさん版の地下室に匹敵する残酷な真実が明らかになっていきます。

 タイトルは、登場人物が聞いている音楽の歌詞として出てきますが、読み終えた後は「これしかない!」と膝を打つことでしょう。「思春期の終わり」を豊かな想像力と端正な筆致で鮮やかに切り取った物語。キャリー・マリガンがキャシーを演じた映画版もお薦めです。