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寺山修司没後35年 満ち足りることのない再演

「書を捨てよ町へ出よう」の映画を監督中の寺山修司氏=昭和46年、東京・祖師ケ谷大蔵のスタジオで

 再演という言葉についてかんがえている。再演というのは演劇ならではの言葉だろう。じゃあなぜ演劇は再演するのか。初演があった演目をふたたび上演すること。しかし再演とは、それだけのことを云(い)うのだろうか。
 寺山修司は、寺山修司を再演しつづけていたようにおもう。様々な作品のなかで、ときには嘘(うそ)をかさねながら、自分自身を再演しつづけた。たとえば、『誰か故郷を想はざる』のなかで寺山修司自身が扱っている寺山修司とは、いったいどういう人物なのだろう。あとがきのようなノートには「これは生まれてから上京までの私自身の記録」とあるが、どこまでがほんとうで嘘なのかはわからない。文庫版には載っていないエピソードも単行本のなかにはいくつも掲載されてある。
 異様なのは、本文を読みすすめていくと、ときどき挿入されてある辰巳四郎によるイラストと、寺山修司の顔写真だ。イラストと顔写真がほとんど等しく扱われて配置されてあることによって、イラストで描かれている人物というか異形の生物たちももしかしたら寺山修司なのかもしれない、もしくは寺山修司がなにかそういういくつもの仮面をかぶっているようにも見えてくる。寺山修司は、現実と虚構のあいだで、寺山修司を演じている。しかもその演技を重ねれば重ねるほど、実像が見えなくなっていく。寺山修司とは、誰のことを云(い)うのか。この本のなかで、彼は彼周辺のひとびとをも作品にしていく。

ほんとうの感情

 寺山作品には欠かせない有名なモチーフである(そう、もはやモチーフになってしまっている)母親・ハツについても、どこからどこまでがほんとうか嘘か。執拗(しつよう)になんども、いろんな角度で繰り返し描かれる寺山ハツは、もちろん実在の人物ではあるが、なにか演目のなかの登場人物におもえてくる。『誰か故郷を想はざる』は、いろんなシーンを連続させながら進行していく、まるで戯曲のような一冊である。しかし事実としてはなんらか偽られているとしても、感情はどうなのだろうか。ほんとうの感情がそこにあるから、たとえそれが嘘なのだとしても描くのではないか。
 『書を捨てよ、町へ出よう』のなかに「さよならもまたくりかえしくりかえし、くりかえされてゆくことだろう。さよならだけが人生だ、というつもりはないが、さよならにだけはおさらばしたくない」という一節がある。さよならだけが人生だ、というフレーズも元々は寺山修司の言葉ではないのだけれど、寺山修司はこのフレーズをつかって、詩やエッセイのなかでいろんな書きかたで発表した。どうしておなじフレーズをなんども繰り返すのだろう。想像するに、自分自身のことも、周辺のひとびとについても、さらには言葉もすべて、彼のなかではずっと満ち足りたことはなかったのではないだろうか。描き足りたことなんて、一度もなかった。だから彼はどのことについても再演を繰り返したのかもしれないと、ぼくは想像する。

繰り返しの中に

 『寺山修司と生きて』のなかの、寺山修司への25の質問。「あなたがこのつぎ生まれてくる生年月日を教えてください。」寺山修司が繰り返し作品のなかで投げかけていたこと。彼が亡くなったあとに彼に投げかけられた質問。寺山修司の作品が現在も語り継がれている意味をかんがえるうえで、この質問にはとてつもない迫力をかんじる。おおきな繰り返しのなかにぼくたちはいるのかもしれない。記憶という確実に薄れていってしまう曖昧(あいまい)さに抗(あらが)うように、過去にあらゆるひとが葛藤してきた時代、そして感情があったことを無かったことにはさせないために演劇は再演しつづける。=朝日新聞2018年11月10日掲載