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新米を炊く 佐伯一麦

 秋も深まり、新米の時季となった。

 7年前の震災で汐(しお)を含んだ泥をかぶった仙台平野の田んぼも、塩害を乗り越えて今年も稲穂をつけた。地元で有機農業を営んでいる人に話を聞くと、復旧した田んぼで最初に出てきた植物は備荒作物のヒエだったという。
 震災後、少しでも生活を簡素にしたいと思い、電子レンジや電気炊飯器をやめて、土鍋でご飯を炊くようになった。これは、およそ20年前にノルウェーで1年間生活していた折に、輸入されていたタイ米を鉄鍋で炊いていたとき同様、自然と私の役割となった。
 母親の介護をきっかけに東京暮らしを引き揚げ、築123年の無人の実家に46年ぶりに舞い戻り、コシヒカリの本場の新潟県の村で独り暮らしをするようになった男性の知人宅を訪れた際に、飯炊きだけはちゃんとやるようにしている、と琺瑯(ほうろう)の鍋で炊いたご飯と生卵、わかめの味噌汁という簡素な昼食が、すこぶる充実して感じられたことも影響している。
 さあ、今年の新米を炊こう。まずは、米を研ぐ。愛用しているのは、宮城県北の岩出山の竹工芸館でもとめた米研ぎ笊(ざる)。5ミリ弱に削ったしの竹の表面を、わざわざ内側にして編んであり、竹の表面は油を跳ね返すので、米を研いだときに、つるつるの表面が指先に心地よく、手がよろこぶ。
 次に、浸水。いつもは1時間のところを、新米なので短めに40分とする。いったん笊にあげて水を切ってから、1合に対して200ccに勘で少しの水を加えて、いよいよ土鍋をガス火にかける。鍋料理用のシンプルな土鍋は、黒い釉(ゆう)薬の伊賀焼で、民芸店で1400円でもとめたもの。最初は強めの中火で、鍋肌が沸騰してきたら弱火にして10分(夏は9分)。献立に合わせて、カレーや寿司飯のときにはいくぶん硬めにしたり、鯛めしにおこげを作ってみたり、と微調整するのも一興だが、塩むすびにする今日はあくまでも、ふんわりつやつやしていて粘り気があり、おかずのようなご飯を目ざす。
 蓋(ふた)の穴から、新米が炊ける甘く好い匂いが立ち上ってきた。土鍋に耳を近付けてみて、小さくパチパチという音がしていたら、水がなくなった合図。そんなときに、ガラス蓋の中の米の具合を観察し続けて火加減を調整していた知人の真剣な目と思いが重なる。
 火を止め、10分間蒸らしてから蓋を開けると、見事につや立ち、粒立っていることこのうえない。しゃもじで十字を切るようにしてからさっくり混ぜて炊き上がり。ちょうど食べられる頃合いとなった寒仕込みの味噌(今夏の猛暑はカビ対策が大変だった)を塗り、焼おにぎりも作っている連れ合いは、やっぱり東北の米は美味(おい)しい、とすっかり地元民のように米自慢する。=朝日新聞2018年11月10日掲載