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「自分を信頼している」 津村記久子

 大人になってから、財布と定期をなくしたことはない。でも携帯をなくしたことはあるし(戻ってきたけど)、新幹線の切符を車内に置き忘れたこともあるので、五分五分ぐらいの実績だと思う。
 不注意な子供だったので、怒られて育った。親に怒られるのは当然として、先生からもよく注意されたし、「うちのクラスでいちばん怒られてる女子は津村さん」と友達がその親に勝ち誇ったように言っているところにも居合わせたことがある。財布は二回なくしたことがあるし、定期をなくすのが怖いので自転車通学の高校に行った。そして自転車の鍵もなくした。今まで五回はなくしている。ただ三十歳以降はなくさなくなった。
 友達のお母さんと話していて、最近は歩道を歩いているだけで暴走する自転車の人に文句を言われたりして怖いよね、という話になった。若い人も中年も老人もいるという。「万能感ですよ」とわたしは推測した。若い時は自分の身体性を信用しきっているので、自転車に乗ったら飛ばすし、片手運転でもすっ飛ばすし、携帯で話そうとゲームしながらだろうと進めると思える。それで実際痛ましい死亡事故が起きたりしていることも考えると、仕方ないとは到底言えないし怒らないといけないことなんだけれども、とにかく理由のようなものは見えてくる。不可解なのは、若くもないのに万能感に浸(つ)かっている人だ。これまで失敗したことがないのか、失敗したことに気付かないのか、失敗を他人のせいにしてきたのか、怒られまくってきて自分自身を心身ともに信用していないわたしからしたら想像もつかない人生だと思う。
 最近も、青信号を待っていたら、イヤホンマイクに大声で話している片手運転の男性が柵とわたしの隙間に後ろから入り込んできて、赤信号を無視して走り去っていった。どう生きてきたらあんなに自分に自信が持てるんだろうと思った。バイクの選手かなんかで、運も良くて月に二億ぐらい稼いでるんだろうか。夜の大阪の寂しい住宅街で少し悩んだ。=朝日新聞2018年11月19日掲載