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「ふくよかな物語」を紡ぎ続けたい 上橋菜穂子さん「守り人」シリーズ最新作『風と行く者』

文:中津海麻子 写真:斉藤順子

 物語は、バルサが連れ合いのタンダと訪れた市で、草原を旅しながら鎮魂の歌や舞を舞う楽隊「サダン・タラム〈風の楽人〉」の危機を救うことから始まる。実はバルサが16歳だったころ、養父ジグロとともに護衛した楽隊だった。ジグロの娘かもしれない楽隊のお頭エオナを守るため、バルサはふたたび旅立つ――。

 ファン待望の新作だが、実は「10年ほど前に途中まで書いたものの、最後まで書ききれなかった物語なのです」と上橋さんは打ち明ける。

 上橋さんが紡ぐすべての物語は、頭の中に突然浮かぶイメージから生まれる。『風と行く者』では、物語の鍵を握る異界の入り口、「エウロカ・ターン〈森の王の谷間〉」が見えたという。

 「谷間を分け入っていこうとする女性の後ろ姿が光の中に浮かび、脇には守護神のように立つジグロの姿が。その二人を若いバルサが見ている……。そんなイメージが浮かびました」

 どんどん書き進め、原稿用紙数百枚にも及んだが、しかし、あるとき筆が止まってしまう。「エウロカ・ターンのあの光景が、それまで書いてきた部分に命を吹き込むクライマックスの感じにならなかったのです。私はプロットを立てずに書いていくので、こういうことが起こります」

 とはいえ、このまま葬り去ってしまう気にはなれなくて、物語の一部をそのまま抜き出し、一つの作品として命を吹き込んだ。それが『炎路を行く者』に収められた「十五の我には」。15歳のバルサを描いた短編だ。

 その後、上橋さん自身もこの物語の存在をすっかり忘れていたという。なぜ今になってその先を書こうと思ったのか? どうして10年前に書けなかった続きが書けたのか? そう問うと、「二つのきっかけがありました」。

 一つは、NHKでのドラマ化に携わったこと。「『守り人』シリーズが完結し、別の作品を手がけるうちに、バルサやジグロはもはや懐かしい人になりつつあった。それが、ドラマの構成をスタッフの皆さんと話し合ううちに、再び生々しい存在として彼らが私の前に戻ってきたのです」

 もう一つは、母の死だ。2年前、上橋さんは最愛の母を見送った。幼いころから死について考えずにはいられなかったという上橋さんは、「大切な存在と二度と会えぬ状況になったとき、自分は一体どうなってしまうのか。それをとても恐れていました」。しかし、実際にその状況に直面してみると、「それまで想像してきた死別の後」と現実は大きく違ったという。

 「心の芯に温かいものが残っているのです。哀しみは深いし、虚ろな感覚もある。でも、揺らがぬ温かい芯が心を支えているのです。愛情をこめて育てられると、死後もその支えは消えないのだと実感しています」

 そしてこう続ける。「母を見送ったことで見える風景が変わりました。10年前とは違う私になった。大切な人の死、弔い、鎮魂を描くこの物語を、『今の私なら書ける』と思えたのです」

 続きに取り掛かった上橋さんは、一つだけ設定を大きく変えた。サダン・タラムが訪ねる領家の若き当主を、男性から女性にしたのだ。「読み返したときに、領家の息子だとしっくりこなかった」。しっくりくるか、こないか、という感覚がとても大切なのだという。

 「物語を生み出しているときの、こういう自分の感情の動きは、なかなか合理的には説明できないのですが、しっくりくる感じが訪れたとき、物語が生き生きと動きだすのです」

 さまざまな出来事、経験、そして気づきが複合的に重なったことで、10年もの空白の時間が嘘のように一気に書き上げた。完成してみれば、シリーズ最長の長編作品として結実した。

 「守り人」シリーズは、子どもや若者はもちろん、その親や祖父母世代までもを魅了し、今や翻訳されて世界中の人たちから愛されている。苦難や悲しみを抱えながら生きる登場人物への共感と、その先に見える希望が、読む者の心をつかむ。しかし、それだけではない。上橋さんの言葉にその理由が見えた気がした。

 「ふくよかな物語が好きなのです」

 物語には結末があり、読者はそれが知りたくて読み進める。しかし、結末だけに意味があるようなタイプの物語は、「読んでいる間は面白いけれど、読み返すことはないですね」と上橋さん。そして、穏やかな笑顔でこう語った。

 「その物語を読んでいること自体に幸せを感じると、『もう一度この体験がしたい』と思う。味わいが深いものは、ゴックンと飲みこんで終わりではなくて、また味わいたいなぁって思うでしょ? そんな風に、何度も何度も読み返したくなる、ふくよかな物語を、私は紡いでいきたいのです」