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世界は知らないものであふれていた 額賀澪さんが図書室で出会った「ハリー・ポッター」

 「中高生の頃に好きだった本は何ですか?」

 そう聞かれたら、重松清さんやはやみねかおるさんの作品をよく挙げる。今回もそのつもりでいたのだけれど、「そういえば『ハリー・ポッター』の話を意外としていない」と思い至ったので、私と『ハリー・ポッター』について書くことにする。

 第一巻の『ハリー・ポッターと賢者の石』が日本で刊行されたのが、一九九九年の十二月。私が小学校の図書室でこの本を手に取ったのは、その翌年のことだった。

 それまで特別本が好きというわけでもなかった私がどうしてあんな分厚い本を読もうと思ったのか、困ったことにどうしても思い出せない。とにかく私は『ハリー・ポッター』を読もうと思い、読破し、続刊が出るたびに一番に図書室で借りた。

 三巻が刊行されたタイミングで、親にせがんで買ってもらった。自分の部屋に置かれた三冊の『ハリー・ポッター』が、私の《読書》の入り口になった。私は図書室に足繁く通うようになり、毎週のように本屋に連れて行ってくれと親や祖父母にせがんだ。

 返却期限を気にせず『ハリー・ポッター』を読めるようになった私は、同じ本を何度も何度も繰り返し読むようになる。そうこうしているうちに、文字を追って頭の中に浮かび上がる『ハリー・ポッター』の世界に、どこか隙間があることに気づくようになる。日本の片田舎に生まれ、外の世界を知らない小学生にとって、『ハリー・ポッター』の舞台であるイギリスの風景、文化、空気感はあまりに遠い存在だった。

 例えば、登場人物達の持つ杖一本とってみても、その材料に柊だとか不死鳥の尾羽根だとかドラゴンの心臓の琴線とかイチイの木とかマホガニーとか、小学生にとっては未知のものが使われている。

 柊って何、どんな木。尾羽根ってどこ。心臓の琴線って何。イチイ? マホガニー? 何、それは一体何。物語を楽しむと同時に、世界は自分の知らないものであふれていることを教えられた。父のパソコンを借りて必死に「心臓の琴線」について検索したり、図書室の植物図鑑で「マホガニー」を探したりした。

 作中にちらりと登場するお菓子に石鹸味があると知って、洗面所の固形石鹸を舐めて嘔吐いたこともあった。作中の固有名詞一つ一つに意味が込められた命名がなされていたから、『ハリー・ポッター』を読み終えるたびに登場人物の名前や新しく登場した用語の語源を調べたりもした。調べた上でもう一回読むのがまた楽しかった。

 どうしてそこまで一生懸命になったかというと、自分の思い描く物語の世界が、自分の知識不足が原因で不完全なものになってしまうのが我慢ならなかったからだ。

 「知らないということはこんなにも許せないことなんだ」と思い知らせてくれたのが、『ハリー・ポッター』だった。

 読書に目覚めた私はその後、はやみねかおるさんや重松清さんと出会う。森絵都さんや佐藤多佳子さんやあさのあつこさんと出会う。自分でも小説を書くようになる。『ハリー・ポッター』の主人公・ハリーと同じように年を重ねて大人になった。

 小説家として物語を綴る側になった今も、「石鹸味を知りたくて石鹸を舐めた自分」としょっちゅう遭遇する。自分の作る物語の世界を強固なものにしたいと頑なになる自分を前に、「参ったなあ」と思いながら相手をしてやる。頑なな自分が「本を好きな自分」の始まりで、「小説を書く自分」の始まりだから、仕方がない。