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論壇回顧2018 「うのみにしないで」が意味するもの

「新潮45」の記事に抗議し、新潮社前でプラカードを掲げる人たち=9月25日、東京都新宿区

 「読者は、僕の書いたものをうのみにしなくてもいいの」

 今年の論壇で、最も印象に残った言葉である。語ったのはケント・ギルバート。昨年来50万部以上売った『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書)の著者だ。安田峰俊の取材に答えた(ニューズウィーク日本版10月30日号「特集ケント・ギルバート現象」)。

引用史料に疑義

 『儒教…』はある民族を「『禽獣(きんじゅう)以下』の社会道徳や公共心しか持たない」などと差別的に記述して物議をかもした。引用した史料にも信頼性に疑義があり、それをただした安田に対しギルバートは「スタッフが調べてきた」「若干そういうのも入り込む」と釈明して、冒頭の言葉を述べた。

 フェイクニュースやデマを見抜く力(メディアリテラシー)の育成を説く百万言より、意義深い一言といえる。「うのみ」は立場を問わず禁物である。

 この特集は、毎月のように刊行されるギルバートの単行本の大部分が、スタッフが集めた日本語資料をもとにした口述筆記であることや、ギルバートの右派系論壇への進出に2人の日本人が関わっていることを明らかにした。その1人である加瀬英明からは「われわれがケントを変えた」「バテレンを改宗させたようなもの」と貴重な舞台裏を聞き出している。

高齢者をつかむ

 また、書店の販売データを使って『儒教…』の平均的な読者を、都心以外に住み、保守系の書籍をよく買う約60歳と描き、嫌中・嫌韓の担い手が若者から高齢者へと変わった可能性を示した(高口康太)。右派系論壇の成り立ちと実像に迫る充実した企画だった。

 今年は、世に広がった右派系論者の主張の中身に踏み込んで分析する著作も現れた。

 ギルバートは『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP文庫)などで、連合国軍総司令部の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という情報教育政策で日本人は洗脳され、「精神の奴隷化」が計られたと主張してきた。江藤淳の『閉(とざ)された言語空間』(文春文庫)以来広がった見方だが、江藤は一つの史料しか使っていなかった。それに対し、膨大な史料から全体像を描き出した歴史研究が、賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム』(法政大学出版局)だ。

 賀茂は日本人への影響は「それなりにあった」としながらも、体系的な施策ではなく、「洗脳されたとは思わない」と語る(本紙12月5日夕刊)。史料を冷静に批判し、「うのみ」を避ける歴史学には「洗脳」という扇情的な言葉は元来縁がないのだろう。
 論壇の動向が注目を集めた事件が、月刊誌「新潮45」の9月の休刊だった。部数が低迷していた同誌は右派系論者を起用し、性的少数者への差別的論考を掲載して社会から強く批判された。だが、雑誌が一つなくなり、安田や賀茂の仕事が公表されても、右派系論壇の勢いは変わるかどうか。

 ギルバートらの書籍を通じて高齢者をつかまえる前から、右派系の議論はインターネットを舞台に若者に広がっていた。リベラルたたきを繰り返す「ネトウヨ」だ。その理由を濱野智史は、1990年代後半に生まれた匿名掲示板のマスコミへの対立意識が「文化的遺伝子」となり、ツイッターに継承されたとみる(「平成期のインターネット 市民ジャーナリズムの夢と失墜」Journalism4月号)。

揺らぐリベラル

 ネトウヨから攻撃されてきたリベラルという政治理念自体が不確かで弱々しく、「既成秩序のクレーマー」とみなされてきたというのは宮本太郎だ(「『保守リベラル』は再生可能か カギは地域での課題解決にあり」同1月号)。

 社会の秩序が揺らいでいる時はリベラルも揺らぐ。人々の困窮と孤立が進み、打開の展望がないなら、政治勢力は民族や国家など観念上の帰属を提示する「復古・反動」と、体制への反発拡大に力点を置く「急進」に分かれると宮本は整理する。この「復古・反動」は右派系論壇に該当しそうだ。

 宮本は、自らの立場ではないと断りつつも「保守リベラル」の可能性を模索する。地域の具体的な問題を解決する実践例をいくつか紹介しながら、リベラルは保守と連携して人々を地域のつながりの中に埋め戻し、なおかつ個人の自由や人権を侵さないことを保障していく必要があるという。

 異論もあるだろう。だが、リベラルが理論でも実践でも立ち直らなければ、第二のケント・ギルバート現象はいつか起こるに違いない。(編集委員・村山正司)=朝日新聞2018年12月26日掲載

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