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インカレの団体優勝に貢献したい ウエイトリフティング・横山太偉雅さん(後編)

文:熊坂麻美、写真:時津剛(競技写真は本人提供)

>横山さんがマンガ「かぐや様は告らせたい」の魅力を語る前編はこちら

限界を超えて、あり得ない重量を持ち上げるのが楽しい

――ウエイトリフティングを始めたきっかけを教えてください。

 始めたのは中2の春です。それまで野球をやっていたのですが、あまり雰囲気が良くなくて辞めることになって。それで父から「デブでも構わんから動けるデブになれ」と、スポーツは続けるように言われました。野球部時代に陸上の県大会に駆り出されて砲丸投げで6位になったことがあったので、自分としては砲丸かなと思っていたけど、父が一度ウエイトをやってみろと。父は昔ウエイトをやっていたんです。

 それで父と高校の練習を見に行ったら、そこに四日市工業の監督さんがいました。体の大きい子は高校でも珍しいということで、「本格的にウエイトをやるんだったら、うちに練習に来なさい」と言ってくれましたが、自分はまったくその気はなくて。でも父が学校の場所や練習時間をぜんぶ聞いてしまって、行かないわけにはいかなくなりました(笑)。

――中学生のときから四日市工業で練習をしていたんですね。ウエイトリフティングは、まずどういう練習からスタートするのですか?

 バーベルのバーだけでも20キロあるので、初心者がいきなり持ち上げると体を痛めてしまいます。だから最初はホウキを使ってフォームの練習をしました。ホウキでも初めてやる動きなのですごい筋肉痛になるんですよ。ホウキの次はバーを使って正しいフォームを覚えて、それができたら重量を付けてと、段階を踏んでいきます。

 ホウキやバーだけのときは、つまらなくてやめたくなりました(笑)。おもしろくなったのは、重量を付け始めてからです。100キロ以上の重量を付けてスクワットやデッドリフト(床に置いたバーベルを持って上体を起こすトレーニング)ができるようになって、スナッチ(バーベルを一気に頭上まで上げて立ち上がる種目)とジャーク(クリーン&ジャーク。バーベルを肩まで持ち上げてから頭上に上げる種目)をやるようになって、「自分はこんなに重いものを持って立てるんや」と、どんどんのめり込みました。とうてい人が上げる重量じゃないものを持ち上げるのが、ウエイトのおもしろいところです。

――やっぱり最初は記録が伸びやすいものですか?

 競技を始めた頃は短期間で10キロとか20キロとか一気に伸びたので、そのおもしろさもありましたね。いまはジャークの自己ベストが190キロで、新記録は1年に1度出るかどうかという感じになってきましたが、あまり焦らず少しずつ上げていけたら。

 きついトレーニングを1カ月、2カ月と繰り返していくと、いつも上げている重量がふと軽く感じるときがあります。そういうときは自分の成長を実感できてうれしくなりますし、「そろそろ新記録イケるな」と感覚でわかるので、筋トレにも身が入ります。自分のそのときの限界を超えて、記録を更新していくのは快感です。

――以前、この連載でウエイトリフティング選手の三宅宏実さんを取材したとき、最短距離の軌道でバーベルを上げることが大事とおっしゃっていました。190キロを上げるには、どんなことが大切でしょうか。

 自分はまだ最短距離を考えるレベルには行ってないけど、バーのしなりに合わせて上げることは意識しています。ジャークは肩までバーベルを上げて「ため」をつくってから頭上に上げるのですが、ための動きでバーがわずかにしなるんです。バーがしなって上下する動きに合わせて、上に戻ってくるタイミングで一緒に持ち上げます。180キロ以上の重量が、このタイミングがずれるともう上がらなくなります。

――横山さんはクリーン&ジャークのほうが得意ですか?

 自分はずっと脚力が強くて、足腰の力が重要なジャークのほうが得意でした。スクワットは280キロを上げていて高校ではトップレベルだったんです。でも高2の終わりに右ひざの靭帯を切るケガをしてしまい、それから脚力が少し落ちてしまった。ケガをしてからは上半身を中心に鍛えてきたので、いまはスナッチのほうが得意です。

――右ひざはもう完治している?

 だいたい治ったんですけど、大学に入ってからまた少し痛めてしまいました。ウエイトはケガがつきものだけど、練習しただけ記録が伸びるといわれているので、いかにケガをせずに継続して練習できるか。これに尽きると思います。

 自分はケガが多いので、膝を中心に毎日30分以上かけて柔軟して、ケガをしにくい体づくりも心がけています。トップ選手は1時間以上柔軟をやる人もいて、そういう姿勢は見習いたいと思っているんですけど、好きなマンガやゲームの時間も確保しなきゃいけないので忙しいです(笑)。

――マンガを読むときも柔軟をしたらどうでしょう。

 いや、自分はどっちかに集中したいタイプで。柔軟しながらマンガを読むのはきついっすね。マンガはウエイトを頑張る原動力でもあるから、集中して読みたいんです。

勝利の味と説教と。忘れられない高2の国体

――ウエイトリフティングはスナッチとクリーン&ジャークを3回ずつ試技して、成功したそれぞれの最高重量の合計で順位が決まります。トライする重量は自分で決めるのですか?

 重量は申告制で、2回まで変更できます。相手の申告を受けて、どう重量を変えるか、それがウエイトの戦術で駆け引きです。個人戦のときは自分の好きな重量でいけと言われますが、団体戦のときは監督が決めます。監督は各選手の実力やその日のコンディションを見て、点数をどう重ねていけば相手を上回れるか、ち密に計算します。

 1本目は確実に上げられる重量でいくのがセオリー。2本目3本目で自己ベストに近い重量をきっちり上げて、点数を取っていくことが重要です。自分は棄権した試合以外は、6本中4本は上げています。監督から言われた重量を確実に上げられる選手になろうと思っています。

――個人戦と団体戦では試合に向かう心構えは違うものですか?

 全然違います! 団体戦は「チームのために失敗できない」というプレッシャーがかかるので、めちゃくちゃ緊張します。でもその緊張感のなかで自分の重量をきっちり上げて、チームが勝ったときの喜びは本当に大きいです。チームのために、という意識が生まれてから、自分は練習に取り組む姿勢も変わりました。

――これまでで、特に印象に残っている試合はありますか?

 高2のときの国体ですね。最終調整練習のときにリングシューズをホテルに置いてきてしまったんです。ヤバいと思ったので監督に言わずに、先輩に借りた靴で練習したんですけど、結局バレてしまって。すごい説教されました。それで試合の日はしっかり靴を持って行って、個人戦も団体戦も優勝できました。

 でも勝てたのがうれしくて、有頂天になっちゃったんですね。今度は帰りのバスのなかに靴を忘れてしまって。監督に「靴は持ったな?」って念を押されて、「持ちました」って答えたけど、家に帰ってカバンを開けたら靴がない。マジか!って(笑)。だまっていたかったけど監督に報告しなきゃいけなくて、まためちゃくちゃ怒られました。勝利の味と説教と同時にきたから、忘れられない大会になりました。

 自分は明るい性格で、普段は怒られてもおちゃらけてるんですけど、そのときは人生で一番反省しました。それ以来、靴は忘れていません。

――高2といえば3冠を達成した年。そんなことがあったんですね(笑)。いま九州国際大学の1年生ですが、こちらの大学を選んだのはどうしてですか?

 声をかけていただいた大学はすべて練習を見学に行って、一番雰囲気があっていたのが九国だったんです。先輩たちの対応も気さくで嘘がない感じで。あと、うちの大学は高校時代から強かった選手ばかりを集めるのではなくて、監督がしっかり育ててくれるから、自分も4年間で成長できると思いました。

――今後の目標を教えてください。東京オリンピックは意識していますか?

 とりあえずは自分がいる間にインカレで団体優勝をしたいです。個人でも狙いますけど、やっぱり団体ですね。指導してくれる監督の思いに応えたいですし、チームに貢献したい気持ちが強いです。

 東京オリンピックはいちおう目指してはいるんですけど、自分が目標としているトップリフターの村上英士朗さんもいますし、年齢的なピークはその次のオリンピックかなと。ただ、2020年は自国開催で出場枠が増えるかもしれないので、しっかり練習を積んで力をつけたいと思っています。仕送りして支えてくれる両親のためにも、頑張りたいです。