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【谷原店長のおススメ】果てなき「行」を越えた謎解きの快感 京極夏彦「邪魅の雫」

 じつは僕、この「邪魅の雫」からずっと逃げていたんです。2006年に刊行され、09年には文庫版が発売。その文庫版は一冊で1311ページもあるんです。こんなに厚い文庫本、ちょっと他に見当たりません。しっかり時間が取れないので、なかなか向き合う気になれませんでした。読み進めるのもまるで「行」のよう。でも、最後の謎解きの快感にやられてしまう。この本は京極夏彦さんの長編推理小説・妖怪小説、いわゆる「百鬼夜行シリーズ」の第9弾にあたります。

 「百鬼夜行」シリーズは、第二次世界大戦の戦中・戦後の日本が舞台。複雑怪奇な事件を妖怪になぞらえ、東京・中野で古本屋「京極堂」を営む中禅寺秋彦が「憑き物落とし」をして解決します。筆致はあくまで知的かつ論理的。ふつうならサラッと説明し終える部分を、何文字も、何行も、何ページもかけて掘り下げます。斬新な思考に時折ハッとさせられ、感心させられます。ただ、その遠大さに、正直意識が遠くなりかけることも……。でも、それさえも「京極ワールド」の醍醐味。ファンはおそらく僕を含め「ドM」な方ばかりなのではないかと思うくらいです。

 「憑き物落とし」の快感の中で京極堂の語り口と並び大きな魅力であるのが、「薔薇十字探偵社」の私立探偵・榎木津礼二郎。彼の、破天荒で周囲を巻き込む台風のようなキャラクターが僕は大好きです。

 榎木津には特殊な能力があります。それは、「他人が体験した事を視覚化して見ることができてしまう」というもの。それが故に見たくもないことも、体験したくないこともしてきたのでしょう、どこか悲哀を感じます。一方で、だからこそしたたかさと、振り切った個性を彼は得てきたと思うのです。

 「見えない」ようにアンテナを畳めず、つねに「見え続ける」って相当辛いと思う。榎木津はそのせいか、家族を嫌い、女性とも長続きしない。そんな一見とっつきにくい男ですが、根は温かく真っ直ぐな部分を持つ人です。そんな彼が9作目の今回、新たな一面を見せてくれます。普段名前すらまともに呼ばない下僕、益田への一言に僕は思わず涙しました。榎木津で泣いたのは初めてです。榎木津、ぜひ演じてみたいです。

 ほかにも、興味深いキャラクターが盛りだくさん。中禅寺の学生時代からの友人の小説家・関口巽は対人恐怖症で精神不安定。その関口とコンビを組んで下僕の益田が本作では大活躍します。

 そして、榎木津と因縁深い女性からは、自分から見た世界と世界から見た自分の対比について考えさせられました。冒頭にこんな一節があります。

砂粒でしかない自分を、砂漠だと勘違いする。ところが、砂漠自体はお前のことなど気にしていない。

 僕は、幸運にも良い仕事に恵まれています。そして、仕事の現場では僕をとても丁重に扱ってくれます。ああしたいといえばすぐにそれが実現できたりします。怖いことに、それが当然だと錯覚してしまいかねないのです。けれど、仕事を離れた自分自身に、そのような力があるかというと本当はない。だから、自分のなかで一般的な尺度を持っているつもりですが、いつの間にかほかの人比べるとずれているのではないか。そんな恐れは常に抱いています。

 そして、いまの世の中、僕のような職業でなくても、自我がどんどん肥大化しているように思うことが多々あります。僕自身は仕事が発信することなので、積極的にSNSをやろうとは思わないのですが、やっていない人のほうが少ない時代です。たとえば、写真を撮ってアップすることで、充実した生活を、皆にアピールする。東京の街なかを歩いていると、たくさんの人たちがあちこちで自撮りをしている。彼らはこの街にいながらも、意識はここに存在せず、ネットの異空間へ飛んでしまっている。どこにも接続していない生身の立場から見ると、全否定はできませんがとてもアンバランスに思う瞬間がある。もちろん、客観的に自分を見つめている人もいるでしょう。でも、制御が効かなくなり「炎上」する人もいる。現代にもまだまだ妖怪はいるようです。

 この「邪魅の雫」には、そんな恐怖を思い起こす場面が多々出てきます。

 客観視だけでは、自分が存在しなくなる。さりとて主観だけでは、世界や他者との距離感が掴めなくなる。作中、榎木津のかつての恋人・神崎宏美は、いろんな人の名前を使い、自分ではない誰かになり替わって、いろんな人に思いを託していく。自らが榎木津に対し抱いた思いを、どう昇華していいか分からない。そして、その先に恐ろしい展開が待っているのです。

 いっぽう、こんな場面も。自身の本が書評で叩かれ、しょげる関口を、中禅寺が軽く「憑き物落とし」する。凡百の書評なんて無意味だ、読者の先を行けと。ようするにつまらないことを気にするなと諭しているのです。僕も他人の評価がふと気になることがあります。でも、たとえば舞台ならば僕が頼りにするべき物差しは、あくまで、演出家や共演者と稽古してつくりあげたもの。そんなことにも気づかされました。

 「京極堂」シリーズは、モノの見方、僕の先入観を、パッと外し、違う見方を提示してくれる。何もないと思っていた地面を掘り進め、違うものを引っ張り出してくれる。ただし、副作用として、読んだ後ちょっと理屈っぽくなっちゃうんですよね。「行」を越えたが故の驕りなのかも。

 言葉や漢字表記に、京極さんならではの癖があるので、苦手に思う方もいるかも知れないけれど、それさえ癖になること請け合いです。ぜひ体験してみてください。この「行」を乗り越えた先には、快楽と愉悦が待っています。

 さて、「京極ワールド」にハマったあなた。次は、大沢在昌さんの本はいかが。京極さんと、10月号でご紹介した宮部みゆきさんと大沢さんは、共同公式サイト「大極宮」を運営しています。「新宿鮫」、あのハードボイルドな世界にバッチリ痺れてはいかがですか?(構成・加賀直樹)