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世界の複雑さと筆で戦う トルーマン・カポーティ「冷血」

Truman Capote(1924~84)。米国の小説家。

桜庭一樹が読む

 残酷な戦争や、理不尽な暴力事件の記事が、新聞にあふれている。どうしてこんなことが起きたのか、と読んで胸を痛めるものの、忙しさに紛れ、忘れてしまう。そしてつぎの朝、新聞を開くと、またもや! わたしは悲嘆と憤りを感じるが、でもまたすぐ忘れてしまい……。
 本書は、一九五九年にアメリカの片田舎で起こった農場主一家四人惨殺事件について描かれた、著者の代表作だ。人柄がよく、村中から慕われていた地元の名士とその家族が、流れ者の男二人組の手でとつぜん命を奪われた凶悪事件を中心に、事件前後の犯人の言動、村人の証言、関係者の事件後の人生まで、広範囲に記している。
 著者は一九二四年、南部の都市ニューオーリンズ生まれ。親戚をたらい回しにされるなど、苦労の多い幼少期を過ごした。第二次世界大戦中、十九歳で書いた小説でデビューすると、“恐るべき子供たち(アンファンテリブル)”と絶賛される。三五歳のとき、この事件が起き、強い興味を持つ。調査に三年、執筆に三年。徹底的に取材し、再構成して物語化する手法は、後の“ニュージャーナリズム”の源流となった。
 被害者は開拓地に暮らす豊かな白人一家。犯人の一人ペリーは、母親が先住民族チェロキーで、都市で流れ者暮らしをする空想好きの青年。もう一人の犯人ディックは、十代の少女への性的関心を隠し持ち、一家の娘を狙う貧しい白人(プアホワイト)……。
 著者はペリーの孤独に感情移入し、ハートを震わせつつも、知的な冷静さを保つ筆遣いで、なぜ事件が起きたのかを解き明かしていく。結果、読者に伝わるのは、一つの出来事の原因は無数にあり、社会は実に複雑な有機体だという冷徹な事実だ。
 本書を通し、著者は世界そのものを、そして何より、第二次世界大戦という、原因が無数にある大悲劇の後の新しいアメリカを理解せんと、筆という唯一無二の武器で戦った――。わたしには、そう読めた。世界が再び複雑さを増す今こそ、広く読まれるべき一冊だ。(小説家)=朝日新聞2019年2月16日掲載