1. HOME
  2. インタビュー
  3. 平成の30冊
  4. 朝日新聞「平成の30冊」 村上春樹さんインタビュー 平成を映し、時代と歩む

朝日新聞「平成の30冊」 村上春樹さんインタビュー 平成を映し、時代と歩む

――平成という時代を象徴する作品として『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』が、多くの識者の支持を得ました。

 平成が始まってまもなく、1991年1月にプリンストン大学の客員研究員として招聘され、渡米しました。ちょうど湾岸戦争が始まって米国は重い雰囲気の中で、『ねじまき鳥クロニクル』を書き始めました。仕切り直しという気持ちが強かったですね。

 昭和の末に『ノルウェイの森』(87年)が思いもよらずベストセラーになって、ストレスフルだった。日本を離れ日本人にも会わず、こもりっきりで、集中して書けた。『ねじまき鳥』は僕にとっても象徴的で意欲的な小説。一番大事なのは『壁抜け』です。主人公が井戸の底でひとりずっと考えていて、別の世界に通じる。深層意識の中に入って行き、出入り口を見つける。『ねじまき鳥』で初めて出てきた『壁抜け』は、小説的な想像力を解き放ち、物語の起爆装置になりました。

――暴力や根源的な悪を描くという姿勢が表れた作品です。

 昔、村上さんの小説には悪というものが出てきませんね、と言われたことがあって、ずいぶん考えましたね。純粋概念的な悪を出したいと。ドストエフスキーもバルザックもディケンズも悪を描くのがうまい。あこがれていました。僕自身には悪の感覚が欠落していたけれど、頑張って想像力を働かせて、自分の中にある悪も見えてくる感覚があった。そういう意味でも、大切な作品です。

――その後、95年に阪神大震災と地下鉄サリン事件が起こります。

 95年は、僕の転換点といえます。神戸の地震では僕の育った家も駄目になった。米国生活を切り上げて日本に帰ろうと決心し、地震とサリンについては何か発言しないといけないと思いました。個人的な信念として、小説家は作品がすべてで、正しいことばっかり言っていると作品はろくなことにならないと思っている。ただ、作家といっても一市民であるわけで、小説家としてのアイデンティティーやレベルを保ちつつ、市民として正しいことをしないといけない。正論ばかり言ってイマジネーションが壊れないよう、バランスを保つのが大事だけど。

――97年に、地下鉄サリン事件の被害者に取材したノンフィクション『アンダーグラウンド』を刊行しました。

 インタビューでは生い立ちからじっくり聞きました。生まれ、学校、家庭、結婚、職場……その人の人生にサリン事件がどんなピースとして入るのかが知りたかった。人の物語を吸収し、自分の考えを出さずに正しいことを浮かび上がらせようとした。僕の意見を言わないことで批判もされたけど、結果は良かったと思っています。

――99年発表の『神の子どもたちはみな踊る』は、地震の影響が感じられる短編集です。

 神戸は舞台にすまい、地震を直接出すまい、という二つを原則にしました。直接的なものをどかして本質を書く、言いたいことをそのまま言わずに物語に託す。具体的なことが書かれていないだけに、汎用性が大きくなっていると思う。例えば、ユーゴスラビアの人が内戦に重ねられるとか。本質は同じだから、置き換えられるということですね。『アンダーグラウンド』と『神の子』が平成の真ん中に位置して、小説家として進む方向をよく示してくれた。

――世界中で、惨事の後に村上作品が広く読まれるようです。

 これまであった既成のものが突然崩れたり消えてしまったりというとき、なぜか僕の作品が読まれることが多い。日本だと天皇崩御で平成になり、バブルがはじけ、阪神大震災とサリン事件があったころから、本質的に受け入れられていったという気がする。

 『海辺のカフカ』(2002年)で一番書きたかったのは、不穏なバイブレーション。今という世界にあって、多くの人が感じていることだと思う。大事なのは、主人公の15歳の少年の視点で見ること。物事や世間をわかっていないが、わかろうとする意欲がある時期。大人の先験的なものを無くして世界を捉えようと。物事それ自体より、それがどんな風に見えるか、聞こえるか、そこからどんな風にバイブレーションを感じられるかが大事。その総合から、読者が物事の本質を立ち上げるということが、僕のやりたいことなんです。僕と読者との共同作業ですね。

――エルサレム賞(09年)の「壁と卵」、カタルーニャ国際賞(11年)では、東日本大震災の原発事故についても言及、話題になりました。

 どちらが良いか悪いかが言えない場合、大事なことは何かを考えます。原発を廃止しろと直接言うより、それがどれだけ人を傷つけたかを訴えることが小説家の仕事。でも、現在のように、ポピュリズムがある程度の勢力になっている時代では、言わなければいけないこともある。今は、ポジションがはっきりしている時代で、この人ならこんな発言をするだろうな、と思われがち。そんな存在にはなりたくない。つらいところですが、考えを凝縮させて言わざるを得ないときは言う。

――『1Q84』はBOOK3で完結なのですか。

 『1Q84』と『ねじまき鳥』の共通点は、第2部まで書いて間を置かず第3部を書き始めたこと。作品としてまとまった。でも結論は出さない。『1Q84』は、三遊亭円朝の落語『真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)』みたいな長い因縁話の一部なんです。天吾のお父さんやお母さんがどうやって出会ったとか、わからないでしょう。天吾と青豆の二人がコスタリカに行った後のこと、二人の娘のこととかも。話はできているんだけど。ジャズで和音の基音を省いちゃうのと同じで、空白を残したい。別の物語が不思議なトンネルでつながる曼荼羅のようなのは好きですね。

――社会の不穏さをどう感じていますか。

 少なからずの人が恐怖と怒りに突き動かされて行動していると感じます。深層意識に抱え込んでいる怒りと恐怖。人を動かす動機としてはよくない。もちろん、善なるものや正しい意識に動かされる人も多いけれど、悪と善が入り組んでいるときもあって、とても難しい。9・11の後も感じた。恐怖と怒りを故意に押し隠そうとする流れもある。ナチスのガス室はなかったとかいうリビジョニスト(修正主義者)たち。物語を書くときには、そこから目をそらしてはいけない。

――善なのか悪なのかがよく見えない社会になっていると感じます。

 僕はSNSはやらないけど、ちょっと見ると、人が何を考えているのかがわからない薄気味悪さを強く感じます。その薄気味悪さをつぶしていく、打ち消していくような物語の力が大事だと思う。あまりに切なく暗い状況があるにせよ、安っぽい言葉で表現されている。文章や言葉は怖いもの。鋭い武器になる。多くの人がそれがどれくらい怖いかを実感していないのか、意図的に武器にしようとしているのか。すごく難しい問題。それにどう対峙していくかは、これからの文章家、特に物語を作る人、僕も含めた小説家にとっての課題だと思います。(聞き手 読書編集長・吉村千彰)