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作家の読書道 第203回:古谷田奈月さん

幼い頃、いちばん影響を受けたもの

――前にお会いした時、「作家の読書道のインタビュー依頼がきたら、何を言えばいいんだろう」と困ってらっしゃいましたよね。それは別に、読んだ本が少ないとか、そういうことではなくて...。

 「どんな本を読んできたか」ということは、その作家というものの正体を知る、みたいな意味としてとらえられている気がしていて。

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

――それだけで正体が分かるわけじゃないのに、という?

 そうなんです。なのではじめに言っておこうと思っていたのは、私は、もちろん本というものをないがしろにするつもりはないけれども、個人の感覚でいうと、本はあくまでも自分に影響を与えてきたもののひとつであって、自分が本を書く=本が特に重要な存在、ということではない、ということです。小説家だからということで読書歴ばかり聞かれることに、ちょっと悔しいような気持ちもあります。

――そうですね、このインタビューでは、本だけでなく、影響を受けた他ジャンルについてもおうかがいすることは多いです。では、小さい頃にこれに影響を受けたなって思うのは何になりますか。

 何かを創造するということに関して、私が一番「わあっ」てなった古い記憶はなんだろうと考えた時、すごく大事なものとして最初に浮かぶのはファミコンのゲーム、「ドラゴンクエスト」なんですよ。兄がやっているのを隣で見る、というところから始まっているんですけれど。私が1981年生まれで、ドラクエの「Ⅰ」の発売が1986年だそうですが、記憶に残っているのは「Ⅲ」くらいからかな。お兄ちゃんがお父さんにものすごくねだっていたのを憶えているんですけれど、そうやって手に入れたものが我が家にやってきて、お兄ちゃんが楽しそうにやり始めて、私にはまだ難しそうだけども隣で見ていて。音楽がかかって冒険が始まって、新しい場所にいったり、新しい武器を手に入れたり、宝箱を開けたりっていうなかで、前に進んでいく喜びみたいなものが繰り広げられていく。ぼーっと見ているだけでしたが、それはすごく大事な経験だったんですよね。「Ⅲ」の頃に「やってみる?」と言われてやってみたけれど本当に難しくて、私、最初の街から出られなかったんですよ。それで挫折感があって、「Ⅳ」までは見ているだけだったんです。でも「Ⅴ」ではじめて自分で進められるようになって、すっごく楽しかったというか、自分がその世界に属している感覚がありました。「私、責任を負っている」って思ったんです。それが小学校3年から5年の頃かな。その頃、ドラクエのゲームブックというのがあって。

――ああ。自分の選択によって展開が変わっていく本ですよね。

 「AとBとどちらを選ぶか」という選択肢が出てきて、Aを選んだら「何ページに移動せよ」という指示があり、その通りに進めていくという。間違った選択肢を選んだら、ゲームオーバーになっちゃうんです。それに夢中になりました。それと、何人もの漫画家による『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』という本が何冊も出ていたんです。今でいうと二次創作なんですけれど、それをエニックス自らが出していました。それがすごく面白くて、家にいる間ずっと読んでいたような時期がありました。学校で、その話ができる男の子が一人だけいたんですよ。なにかの話で、その漫画に出てくるフレーズを言ったら「おお、お前もそれ知ってんの」みたいに通じ合った瞬間があって意気投合したんですけれど、そしたら仲がいいとか噂になって、すごく面倒くさくなって。ということも今思い出しました(笑)。

 公式ガイドブックも出てましたね。世界編と知識編の2種類があって。世界編は出てくる町やダンジョンについて「ここは港町で、こういう成り立ちで、ここに宿屋があって...」みたいな紹介がしてある。知識編は道具とか武器・防具の説明ですよね。もう、それを見ているのが本当に楽しかった。ひとつひとつの装備品の情報ってゲームの中だとどうしてもスルーしてしまうんですけど、本で読むと、「たびびとのふく」といったすぐに売り払ってしまうようなものにもちゃんと説明があるんですよね。「旅人の定番」みたいな簡単な説明なんですけれど、それでも「こんなものにもちゃんと設定があるんだ」ってぐっときちゃって。たまに「シルクのビスチェ」みたいな、女性しか着られない、露出度の高いお色気系の装備品があって、子どもながらに「こんな肌が出ていたら防具として機能しないんじゃないか」と思っていたんだけれど、それがすごく防御力が高い。で、知識編を見たら「肌にぴったり密着するから防御力が高い」と(笑)。そう言われても納得はいかないんだけど、こっちの疑問を見透かして一応理屈をつけているんです。そういう細かさに感心しました。

 あとはノベライズですね。久美沙織さんがドラゴンクエストのノベライズを書いていらして、兄がそれを熱心に買い集めていたんです。立派なハードカバーで、いのまたむつみさんのイラストの表紙もすごく素敵で、当時はすごく売れていたんですよね。小学生の頃は、それをシリーズごとに読んでいました。だから冒険ものを読んでいたということですよね。

――ドラクエ以外の読書はあまりしていなかったのですか。

 折原みとさんを楽しく読んでいました。そういう、少女漫画を小説にしたような本は近所の女の子と共通した趣味だったんです。登場人物の男の子が格好いいとか話すんですけれど、私にはちょっときゃぴきゃぴしすぎているな、とも感じていたんですね。久美沙織さんの冒険ものが好きだったから。で、その幼馴染みの女の子と、久美沙織派と折原みと派みたいに、一瞬、対立関係になったんです。そんなに険悪にはならなかったですよ、私も折原みと作品は好きだったし。でもその子が気が強くて引かなくて。久美沙織はキスのことを「接吻」って書くけど折原みとは「Kiss」だぞ、どうだ垢抜けてるだろう、みたいなことを言い出して(笑)。「キスシーンのこの表現を見よ!」とかって。「接吻」の何がいけないんだとそのときすごく悔しかったので、私は今でも久美沙織派であると言っています(笑)。

母が誕生日にくれたピッピ

――久美沙織さんもコバルト文庫でたくさん書かれていますよね。そういう作品は?

 他の作品も読みましたが、私はドラクエに対する思い入れが強かったですね。それだけでなく他の本も読んでいましたが、自分に強く影響を与えたもの、といってまず思い浮かぶのがゲームなんです。「冒険に出る」というのが、すごく大切な感覚としてずっとある。自分は今、いかにも「敵を倒しに行く」という物語を書いているわけではないけれど、「未知に向かっていく」というのが何よりも尊い感覚に思えるのはドラクエをはじめとしたRPGの影響だと強く感じます。

――他にはどんなゲームをやったのですか。

 色々やりました。「ファイナルファンタジー」シリーズや「ゼルダ」シリーズも大好きでしたし、大人になってからは戦略シミュレーションにもはまるようになったし。ただ、ゲームブックや公式ガイドブックによってゲーム外でもその世界に触れ、世界観を強化していく、ということをやったのはドラクエだけなので、それで特別なものになったんだと思います。

――児童書などは読みませんでしたか。

 岩波少年文庫系を読むようになっていたんですけれど、その中で自分にとって特別な作品は『長くつ下のピッピ』です。小学校中学年の頃の、母からの誕生日プレゼントです。母は全然本を読む人ではなかったので、どこかから情報を得て選んだものだったのだと思うんですが、誕生日の数日前に「あなたの誕生日プレゼントをピアノの上に置いておくから、誕生日がきたら開けていいからね」って。包装されているんですけれど、薄く透けて見えるんですよ。「あ、本だな。タイトルが見えるな」と思って見てみたら、「長くつ」まで見えて、「これ、『長靴をはいた猫』だぞ」、「この話、もう知ってるし」って、すごくがっかりしたんです(笑)。

――で、いよいよ誕生日が来て。

 一応誕生日まで待って開けたら、『長くつ下のピッピ』で、「なにこれ知らない!」って。それで読んだらすごく面白かったんです。躍動感があって、ピッピがいい感じで振り回してくれて。台詞も楽しいですよね。家族が誰もいない時にピッピになりきって一人劇をやっていたくらい好きになった作品でした。本を見ながらその台詞通りに言ってたんですが、あの二人がいないのがすごく残念で。

――二人というのは、ピッピと仲良くなる近所の兄妹のことですね。

 そうそう。ピッピがやることに驚いてくれる盛り上げ役たち。その重要な人物がいないのでちょっと物足りなかったです。

――あははは。

 もうちょっと大きくなってからK・M・ペイトンの『フランバーズ屋敷の人びと』を読みました。それは市内の図書館でなんとなく見つけたものです。「ザ・物語」って感じなんですよね。孤児の女の子が親戚の屋敷に引き取られて、おじや長男は狩猟が好きなんだけれど、次男は飛行機を愛していて...というような。昼ドラの外国版みたいにいろんなことが起きて、いろんな人間関係があって、「ページをめくる手がとまらない本」の代表みたいな読み物でした。「この先どうなるの、この人たちの関係はどうなるの」と知りたくて読み進めて、今までの読書体験とはちょっと違う、と思いました。

 『あのころはフリードリヒがいた』を読んだ時は、実際に起きた戦争やナチスの話にはじめて触れて、本ってちょっと怖いなというのを知った瞬間でした。それまでは本って単純に楽しい気持ちにさせてくれるものだと思っていたけれど、こっちが痛みを感じたり、何かを突き付けてくるようなこともあるんだなっていう。はじめて緊張した読書体験ということで印象に残ってます。そういえば、岩波少年文庫の巻末、知っていますか。

――巻末?

 「発刊に関して」という文章。今は新版になって文章が変わっているんですけれど、1950年の創刊時の文章、これが本当に素晴らしいんですよ(と、持参した古い岩波少年文庫を開く)。

――読みます。「一物も残さず焼きはらわれた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向って伸びていった。戦後、いたるところに見た草木の、あのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり、若々しい枝である。」

 これを初めて読んだ時、すごく感動しました。いま編集者が教えてくれたんですが、これって、吉野源三郎さんが書いた文章なんですね。『君たちはどう生きるか』の著者の。

文体を真似たのはあの人

――ところで、文章を書くことは好きでしたか。

 すごく好きでした。夏休みは読書感想文を書きたいから本を読んでいたというくらいで、クラスメートたちがなぜあの宿題をいやがるのかわからなかった。読書は面倒だけど感想文は書きたいという感じでした(笑)。
 3、4年生の頃、あまり自信がなかった『秘密の花園』の読書感想文を担任の先生がすごく褒めてくれたんです。そういうことはそれまでもそのあともありませんでしたが、その先生だけは、受け持ってくれた2年間、ずっと私の文章を褒め続けてくれました。自分という存在が認められているのを感じた、貴重な2年間でした。

――中高時代はどんな本を読んでいたのですか。

 中高時代はあまり学校に行っていなくて、図書館に通っていたんです。『指輪物語』や『ゲド戦記』を義務感を持って、読まなきゃいけないものとして読んだりしていました。「ビッグネームだから知っておかなければならない」みたいな感じで、日本の有名人たちもちらちら読んでいたけれど、楽しいという感じではなかったですね。
 図書館に行ってたのも家にいるより「何かやってる感」が出るという理由だったので、なんだろう、自意識しかないみたいな時期でした(笑)。

――その頃、印象に残った作品はありますか?

 高校時代に椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』という、半自伝的小説と銘打っているものを読んで。もう、こんな面白い読み物があるのかと思いましたね。たまたま家にあったんですけれど。椎名さんって、もともと人を笑わせるようなことを書くのがうまいじゃないですか。実際に起きたこともそういうふうに書ける。「このスタイルはなんだ。おもしろすぎる」と思って、後にも先にも1人だけです、「完全に真似して書こう」と決めて本当に同じように書いたのって。私の場合は全部創作で、『哀愁の町に霧が降るのだ』の椎名誠にあたる人はこの人、沢野ひとしはこの人、と登場人物を作って、ああいうふざけた感じの文章に似せて、夢中で書いていました。超楽しかったですよ。

――それ、読みたいです。

 私、自分がいつ死ぬか分からないから、読まれたら恥ずかしいものはちょくちょく捨ててるんです。子どもの頃描いていた漫画とかも。

――ああ、よく「文豪の未発表の幻の作品が見つかった」とかニュースになりますけれど...。

 もう、あれが本当に胸が痛んで。「見つかりました」って言ってるけれど、あなた、本人に許可とったのって。それは本当に、10代の頃から憤ってきていることです。なので、自分はちゃんとやろうと思って。私は捨ててます(笑)。

――中高はあまり学校に行かなかったとのことですが、大学に進学されていますよね。

 通信制の高校に通って、大学には行きました。で、大学生の時にジョン・アーヴィングに一時期ハマりました。特に『ガープの世界』と『サイダーハウス・ルール』。アメリカの作家にそういう人が多いのか分からないけれど、あの人って、主人公の誕生から、なんならその親から書きますよね。本当に長く一人の人間とつきあうっていうことに贅沢さを感じました。日本の小説はあまりそういうイメージがなかったので、そのスケールの大きさに外国を感じたこともあり、気に入っていました。今でも、自分でもアーヴィングみたいなものを書いてみたいなと思うことはありますね。大変そうだけれども。それと、その頃に翻訳家の岸本佐知子さんとの出会いがありました。『中二階』を読んだんです。

――ニコルソン・ベイカーの『中二階』ですね。一人の青年がエスカレーターで中二階に移動する間の、彼の思考が微細に綴られている。

 あれを読んだ時に、ミクロな世界にすごく壮大なものを感じたんです。「小説はこうである」みたいなことにこだわらなくてもよくて、本当に自分が気になることや感じていることに対して正直でいていいんだなっていう、励ましみたいなものを感じた作品です。憧れの作品ですね。
 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と『フラニーとゾーイー』も私にとって特別な作品なんですが、あれも『中二階』的とまで言わなくても、自分の中にあるこだわりととことん付き合っていくものとして特別なんですよね。いつまでもああいう心を忘れずにいたい。きらめきというより執着みたいなもの。

――「ライ麦」も大学生の頃読んだのですか。

 20歳を過ぎてからです。主人公ホールデンと同じ年頃じゃないからこそ、たぶんいろいろ理解できたし、彼に対して寛容でいられたんだと思います。あの人、ぐちゃぐちゃぐちぐちずっと言ってるから、同じ年代で読んでいたらすごく苛々しちゃったような気がする。でもちょっと成長してから読んだので、愛情をもって読むことができました。
 そこから関連付けていくと、ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』もすごく好きでした。素敵な青春小説って感じがしたんですよね。主人公のパトリック・ベイトマンは虚栄心に満ちた人物で、自分の中の満たされない部分がたぶんあって次々に人を殺していく。それを風刺的に書いているんだけれども、私はそれがすごく切実な姿に見えました。私の中でパトリック・ベイトマン=ホールデン・コールフィールドみたいな感じなんです。どちらも憧れの人、愛すべき人です。

影響を受けた漫画家&小説の執筆

――ところで、漫画も読まれていたそうですが、どのあたりを読んでいたんですか。

 高橋留美子です。「りぼん」とかも読んでいましたけれど、「わー、これはすごいぞ」と思ったのは高橋留美子の『うる星やつら』と『らんま1/2』です。それまで兄の影響が強かったんですけれど、高橋留美子は私が見つけたものだったので、それも嬉しいんですよね(笑)。
 でも、小説家も含め、私にとって一番重要な作家かもしれないと思うのは杉浦日向子さんなんです。エッセイとかも書かれているけれど、私が読んできたのは漫画です。たまたま古本屋で『東のエデン』を見つけたのが出会いでした。それですごく感動して「なんなんだこの人は」と思って調べて、はじめて全集というものを買いました。ハードカバーで出ていて、今でもうちにあります。あの方は本当に江戸に生きているという感じでしたが、はやくに亡くなってしまったんですよね。
 世界の描写の仕方が感情豊かという感じではなくどこかさっぱりしているのに、少ない情報の中にすごくこちらに訴えかけてくるものがある。作風はいろいろあって、コミカルなものもシリアスなものもありますが、江戸だけじゃなく、明治、たまに東京も描いていたし、そのすべてが素晴らしくて、ずっと憧れの人で居続けると思っています。

――杉浦さんを知ったのは、いくつの頃ですか。

 大学生ですね。よく憶えてます。というのもすごく感動して、友達にも「これ読んでみて」って貸して、それきり返ってこなくてその子との仲が微妙になったから(笑)。

――さて、小説を書き始めたのはいつ頃ですか。

 久美沙織さんを読んでいた頃から物語みたいなものは書いていました。それこそ、自分で考えた冒険物語だったり、友達と一緒に作った話だったり。それを書いている時、「自分はこういうことをやる人間である」という感覚がありました。「それしかない」という実感があった。現実的に、どこかに応募しはじめるのは20代半ばくらいからですけれど。

――では、大学卒業後はどうされていたのですか。

 自分は文章を書いていくと思っていたので、就職はしませんでした。でも、全然手は動いていないという時期が長かったです。それでも「いつか書く」とはずっと感じていて、そのタイミングがきたのが26歳くらいの時でした。「来た」と感じて、その時から書き始めました。

――それですぐ書けるものなのですか。

 下手くそだったけど、初めて終わりまで書けたんですよ。「おしまい」っていうところまで。それから1、2年くらいは自分の思いのままに書いて、それからだんだん応募しはじめたんじゃなかったかな。

――応募する時、どの新人賞に送るか考えますよね。ジャンルについては何か意識しましたか。

 それがぜんぜん知らないから、本当に大変でした。文学に特に興味がないというのがここで効いてきましたね。悪い意味で。「私が知っている出版社って、新潮社と、講談社かなあ」という感じで、あとが出てこない。本当にそういうレベルだった。なにかで読んで「文學界」を知ったのと、たまたま村上春樹のデビューした経緯を読んでいた時に「群像」というのを知ったのと、「新潮」は出版社と同じ名前だから分かりやすかったということで、ギリギリ私が知ることができたのがその3つでした。それで、書いては順番にその3つの文芸誌の新人賞に送っていました。

――あれ、デビューしたのは新潮社の日本ファンタジーノベル大賞ですよね。

 はい。新潮新人賞、文學界新人賞、群像新人文学賞の3つで「次はこれ、その次はこれ」と回してるうちに、義務感で書いていることに気がついて。最終選考に残ったこともあったのでなんとなく正しいことをしていると思っていたけど、本当は、賞のために書くことに飽き飽きしてたんですよね。なので、自分の楽しみのためだけの物語を並行して書き始めて、それがまとまったタイミングでファンタジーノベル大賞に送ってみたんです。思い付きみたいな感じでしたが、「楽しい」と思って書いたものでデビューできたことは本当によかったと思っています。
 ファンタジーノベル大賞でデビューしたけれど、今は文芸誌中心でやっているのは自分ではすごく自然な感じです。純文学というものからいったんは離れたけれども、そのおかげでより自由な観点を持てたという実感もあります。

翻訳小説の距離が好き

――デビューの前後やその後、好きだった本はありますか。

 ロバート・クーヴァーの『ユニヴァーサル野球協会』は、自作の野球のボードゲームみたいなものを考案した人が、毎晩それに没頭しているうちに、そのゲームの世界に入り込んでしまうといった話です。野球チームも実際にあるチームかのように鮮やかで、スーパースターの選手も本当にいる選手かのように崇めていて、その真に迫った描写が格好よかった。しかも全体的にはポップで読みやすくて、すごく面白かったですね。
 ロベルト・ボラーニョに没頭した時期もありました。白水社が出した「ボラーニョ・コレクション」で短篇をまず読んで、すごいなと。自分が短篇を書くとしたら、これくらいって尺があって、その中にまとめるように書くという意識があるんですけれど、ボラーニョってそういう感じがしないんですよね。短篇のための短篇じゃなくて、長篇の中の1シーンのようというか、すごくスケールを大きくしたまま短篇に区切る、みたいな書き方。岬から海を眺めるような感動があります。そのあとに『野生の探偵たち』という大変な長篇を読んで、すごく納得がいきました。
 最近は、エトガル・ケレットの『あの素晴らしき七年』かな。エッセイなんですけれど、この人とアレクサンダル・ヘモンの『愛と障害』を並べたい。この2人が私の中では同じグループにいるんです。

――エトガル・ケレットはイスラエルの作家で、両親がホロコースト体験者ですよね。アレクサンダル・ヘモンはサラエボ出身で、アメリカにいる時にユーゴ紛争が起きて、移住を決めた人ですね。

 そういった自分の悲惨な環境だったり、体験だったりを、ユーモアを中心にして語っているんです。ユーモアというのは人間独自の、そして人間にとってもっとも大事なものだと私は思っているんですが、この2人は、悲惨な体験を忘れるため乗り越えるためではなく切実に表現するためにユーモアを用いている。人間の強さを感じます。作品にも、書き手としての彼らの姿勢にも、心の底から感動しました。

――海外小説が多いんですね。

 そうですね。翻訳されている文章が好きで。外国語から変換されているという、ワンクッションおいた遠さというのが、私にとっては重要なんだなと思います。
 そうそう、私にとってフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』も大事な作品です。これまでに読んだことのない小説を読んだなと思いました。すごく絶望的な状況なんだけれども、本当に美しくて、文章を読むということの喜びにつまった一冊だなと思います。

――スペインの作家ですよね。昔単行本で出ていたのが、最近になって違う版元から文庫で出ましたよね。

 こんな言い方していいのか分からないけれど、日本では出版してもらえないような小説だなって。そういうありがたさもありますよね、海外文学って。
 あと、斎藤真理子さんのおかげで、と言っていいかと思いますが、最近は韓国文学を読む機会も増えました。私が読んだのは『こびとが打ち上げた小さなボール』、『野蛮なアリスさん』、『すべての、白いものたちの』。韓国の作家たちの社会問題に対する向き合い方、その深さと真剣さからはものすごく刺激を受けています。

――読む本は、どのように決めているのですか。

 最近だと、信頼できる人が薦めてくれる本とか、興味があるものとか。ちょっと問題発言かもしれないんですが、私、なるべく本を読まないで生きていきたいって思ってるんですよ。なるべく少ない冊数ですませたい。昔からそうなんです。一冊読むのがそれくらい大変で、だから読む時は「必ずいい本」を読みたい。絶対に自分を豊かにするものを読みたい。「なんとなく、これでも読んでみるか」みたいなことはもう全然できないんです、私はそんな余裕のある読者ではない......。

――では、ご自身の本も読者にとって「必ずいい本」と思ってもらえるようにと...。

 あ、自分の本は「書くもの」であって「読むもの」ではないので。読者にとっていい本かというのは、その人と作品との関係の話で作者の思惑なんて出る幕はないと思ってますが、ただ、「(古谷田さんの)本、読みましたよ」って言われると「わー、すごい」とは思います(笑)。一冊ぶんの貴重な時間と体力を使ってよく読んだな、勇敢だなあと。

――えー(笑)。執筆する際、資料として本を読んだりはしないのですか。

 それはもちろんあります。調べなくてはならないことは必ず、何かしらあるので。これから書く作品の材料になるのだという思いがあるから、資料を読んでいるときがもしかしたら一番身の入った読書タイムかもしれません。

ノンフィクションへの敬意&自作の執筆

――普段、資料とは別に、ノンフィクションは読みますか。

 基本、「本を読む」という時は小説を読んできたんですが、ノンフィクションを読むこともあります。アン・ウォームズリーの『プリズン・ブック・クラブ』を読んで思ったのは、ノンフィクションというのはフィクションの一ジャンルなんだなと。実際の人物や出来事について書いているとしても、書き手が自分の印象に残ったところを自分なりの表現で書いてまとめているという意味で。自分が小説を書く時とほとんど変わらないなと思って、それ以来、ノンフィクションに対して特別な感情を持つようになりました。親近感と、それでもやはり小説とは違うというところへの敬意。
 磯部涼さんの『ルポ川崎』を読んで感じたのは、書き手の覚悟です。観察者というよりは、一人の登場人物として川崎の人々や場と関わっていこうという意思が文章から感じられる。書いたものに対する責任の負い方が、どちらがより尊いかということではないけれども、やはりフィクション作家のそれとは違うなと感じたんです。私はフィクションをまがい物だとは思っていません。それも一つの現実なのだと考えていますが、だからこそ感銘を受けました。生身の人間を描くノンフィクション作家と同じ覚悟で書いていきたいと思いました。

――ちなみに、ゲームや漫画のお話がありましたが、他に何か影響を受けたり、すごく好きだったものってありますか。

 ミュージカルです。最初にぐっときたのが「オズの魔法使い」だったと思うんですけれど。ミュージカルを「あんな、いきなり歌いだすなんておかしい」みたいに言う人もいますが、私はむしろ、歌わない私たちがおかしいって思うんですよね。
 私たちは普段、歌うことや躍ることを我慢して生きているんだなって思うくらい、ミュージカルは自然に感じる。身体の一部として歌と踊りがある人たちの表現、すごくしっくりきます。あの形式は真理だと思う。でも、あまり観に行ったりしているわけではないんですけれど。

――1日の執筆時間などは決まっていますか。

 今ね、生まれてから一番、書いているんですよ。すっごく集中してます。締切が迫っても前まではこんなふうには書けなかったというくらいに書いていて、自分の覚醒具合に自分でビビっています(笑)。

――朝起きてすぐ「書くぞ」みたいな?

 なんなら夢のなかで文章ができあがっていって、それに急かされて起こされるみたいな感じで。起きた瞬間にパソコン起動させてコーヒーを淹れて、まだぼーっとしているんだけれど無理やり音楽聴いて踊ったりして身体を起こして、それでいきなり書き始める感じです。お腹がへるまで。お腹へらないでほしいって思いますよね(笑)。で、食べて、またすぐ書いて。そんなこと不可能だと思っていたのに、もう一日中書いています。今日、久々に人と喋ってるんです(笑)。今書いているものはそのうち雑誌に掲載されると思います。

――『リリース』『無限の玄/風下の朱』というのは、ジェンダーの問題を扱っていましたが、次はどうなりますか。

 テーマの中心にジェンダーがくることはないと思う。その問題から興味を失ったということではなく、中心にしてはいないということですね。今まで考えてきたようなことが実際に組み込まれている、自然に存在しているというものを作っていきたい。これまで書いてきたことがあるからこそできる表現があると思っています。

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