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大学生がススメる「男女の関係性問い直す窪美澄」本

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「やめるときも、すこやかなるときも」(窪美澄、集英社)

 あなたには、悔やんでも悔やみきれないほどの過去はあるだろうか。

 ここに、過去に傷を負った二人の男女がいる。家具職人の壱春は、高校時代、共に生きていくと決めていた彼女・真織を事故で失ったショックから、彼女の命日を迎える度に声が出なくなる心的外傷に悩まされる日々。制作会社勤務の桜子は30歳で経験した初めての恋に傷つき、家では事業に失敗し酒に溺れ家族に暴力をふるう父の代わりに、一家の稼ぎ頭として働きながら家庭内が穏やかだった日々を回顧する日々。境遇は違えど過去に囚われる二人。そんな二人が出会った。知人の結婚パーティーの帰り、それっきりで終わると思った関係は決して良いとは言えない出会い方。しかし、仕事を通して再会を果たす二人は次第に惹かれあっていく。これをどんな運命と呼ぼうか。

 「全部話してから始めたい。」

 急速に距離が近づいた二人は、お互いのことを知りたい気持ちが加速する。しかし己の抱える過去を他人に伝えることは容易いことではない。それが辛く悲しいものであればあるほど。だが壱春が己をまるごと受け止めてほしいと初めて思えることができた相手、それが桜子だったのだ。桜子も思いに応えたいと思った。ただ、壱春が真織のことをすべて打ち明けた時、桜子にある複雑な感情が芽生える。

 「もうこの世にはいない人に嫉妬するなんて馬鹿なことだと頭ではわかっているのに。」

 桜子の知らない壱春。未だに彼の心の中に生き続ける、自分の知らない真織という女性の存在。桜子はどうにもできない無力さに悩み打ちひしがれる。過去が過去である以上、現在を生きる私たちには手の施しようがない。ではその存在に囚われる二人にとってそれは障壁として互いをわかりあえないものにしてしまうのだろうか?

 次第に心の距離ができてしまう二人。それでも月日は容赦なく流れ、互いをを取り巻く環境にも変化が訪れる。過ぎた時間はいつしかお互いがなくてはならない存在になっていたことに気づかせた。

 「結婚ってこういうものかとふと思う。誰かにとって大事な誰かを、誰かに大事にしてほしいと思う気持ち。それを伝えて始まる。」葛藤の末、壱春と人生を共に歩むことを決心した桜子の台詞だ。

 あの日、あの時、誰かを愛した時間は嘘にはならない。それは壱春の真織に対する思いに限った話ではない。どんなに傍若無人な桜子の父親であっても、桜子を大事に愛した時が確かにある。二人が経てきた時はさまざまな人々との愛に溢れている。消せない過去の存在こそ、現在を生きる“証”なのだ。そう認識してはじめて、二人は新たな一歩を踏み出すことができるのだ。

 「それぞれに違う形の部屋の中で繰り返される生活のさまざま。どうしてこんなにもせつなく感じられるのだろう。それがいつか必ず終わることを知っているからだろうか。」

 ラストページ、壱春は過去の自分に別れを告げ、前に進んでいくことを決意する。人生は脆く儚い。だからこそ、一瞬一瞬の出来事を共に分かち合える人を私たちは求めるのだろう。〈やめるときも、すこやかなるときも〉、互いを思い合い、愛し、過去をも優しく包み込める相手と出会えた二人。なんて幸せなことだろう。=「週刊読書人」2017年11月10日掲載

「アカガミ」(窪美澄、河出文庫)

 アカガミ。それは、《二〇二〇年を境に急増した若者の「性」離れに対して、国が設立した結婚・出産支援制度》であった。

 主人公ミツキは「性」にも恋愛にも興味がなく、むしろ気持ちが悪く感じていた。生きる意味が見いだせず、自殺をしようとしていたところ偶然通りかかった国家公務員の女性ログに勧められ「アカガミ」に参加することを提案される。アカガミの参加資格は限られており、国に直接指名された人か、身分保証人がいること。さらに、厳密な健康診断や問診など狭き門である。無事に受領書を受け取ったミツキにアカガミでの保護された生活が始まる。

 《若者の多くは恋愛をしないし、結婚もしない、そして子どもを持とうとはしなかった。一人で過ごすこと、一人で生きていくことを、多くの若者は望んだ。》物語が始まる前に書かれたこの一節。まさに今の私に近いのではないか。とはいえ結婚したい気持ちがないわけではない。家族もいずれ私は結婚すると思っていて、孫やひ孫を見たいと望んでいるはずだ。私自身、家庭を持ち、女性に産まれた特権として子どもを産んでみたい。

 だが、新しい挑戦は苦手だ。かっこいいと思われたい。何事も成功したい。私が思い描く将来は、幼い頃から夢見た職に就き、休暇には旅行に行き、家ではDVD鑑賞などの趣味に没頭している姿だ。夢が叶うなら子どもは要らない。でもどこか寂しい。人生が2つあればいいのにと日々葛藤している。けれどSNSでキラキラ輝いた私生活を「イイネ」して、なにか失敗すればすぐに拡散されてしまう、そんな現代を生きる多くの若者もまた、葛藤しているのが現実なのかもしれない。

 アカガミ、赤紙、それはかつて軍の召集令状。私がこの本を読み終えたとき、国によって保護された生活に隠された真実に恐怖を感じた。そして同時に、私自身が社会全体から結婚や出産を強く誘導されていることに恐怖さえも感じた。女性が子どもを産むのは国のためなのか。女性が我が子に与える愛は国のものなのか。ハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。真実を知ってしまったミツキはこれから幸せな人生を歩んでいくのだろうか。

 本書は、フィクションであると言い切れないくらい近い将来を暗示している。本書だけでなく、このような未来を予測する作品(村田沙耶香『消滅世界』二〇一五 河出書房新社)などが近年多く出版されていることにも恐怖を感じる。

 考えてみれば私が結婚、出産を強く望まないのは、自分の仕事への影響を懸念するのが最大の理由である。仕事をする既婚女性にとって、この社会はなんだか生きにくい。夫の稼ぎが少ないのか、家庭は大丈夫なのかと好奇の視線が向けられる。出産も、簡単に育休・産休を取ることが出来ず、休暇を取ったことで復帰できず辞めざるを得ない状況になることもある。もし仕事も結婚・出産も保障されるのならば私は、迷わず結婚し、子どもを産んで仕事も続ける。だから、女性が働きながらも? 産む性として国から庇護される? 『アカガミ』の世界は、恐怖の中に羨ましさも感じたのだった。。=「週刊読書人」2017年10月27日掲載

「よるのふくらみ」(窪美澄、新潮文庫)

 人は、いくつになっても人を愛することをやめることはできない。大人になっても苦しくて切ないのに、誰かを好きになってしまう。それが既婚者だったとしても。年齢を重ねるだけで、心も体も複雑化していく恋愛。小さい頃は好きという気持ちだけで好きな人を好きでいてよかったのに。

 窪美澄さんの小説は、登場人物すべてが主人公だ。だれでも自分が主人公の物語を持っている。それをそのまま文字にしたのが、窪さんの小説なのだ。

 商店街で幼なじみとして育った圭祐と裕太の兄弟と、みひろ。みひろと圭祐は恋人同士で、同棲しているがセックスレスだ。彼はセックスができない体質だったが、セックスがしたいみひろのために薬を使ってセックスをする。子供が欲しいわけではなかったが、みひろは圭祐の子を妊娠。しかし実は弟の裕太はみひろに惹かれており、その後みひろが流産してしまったことで事態は変わっていくのである。

 『ふがいない僕は空を見た』でも、そうだった。誰かと必ず繋がって生きていること。それをまた実感させられてしまう。私にも好きな人と、家族がいて、人並みに悩みがあって、人並みに苦労して生きている。 朝、電車で乗り合わせるお兄さんだって女子高生だっておじさんだって、それなりに苦しんで生きているのだ、と、改めて感じる。違う人の目線から見た私は、どんな風に見えているのだろうか。

 みひろは圭祐とセックスの目的にズレがあることでうまくいってはいない。流産の後、みひろが後輩保育士の立花先生と飲む場面がある。立花先生は「自分にとって、全部相性のいい相手なんていないってこと頭ではわかってるけど。セックス以外は全部いいのに、それだけだめって、結構不幸じゃないですかぁ。でも、好きだからって、その人とするセックスもいいとは限らないし……」と言う。

 セックスと子供を作るということはイコールだろうか。愛さえあればセックスはしなくても平気なのだろうか。窪さんはこの問題を“みひろ”という女性を通して描き出す。もしもみひろと圭祐の性別が逆だったなら、これほどまでにこの小説は心に訴えかける作品ではなかったのかもしれない、と思う。男性に性欲があるのは当たり前で、女性にはないものだ、とする風潮に逆らって描いているからである。女性にだって性欲は存在する。

 私たちにとって性というものはデリケートで、しかし人間である以上、恋愛と切り離して考えることは不可能である。セックスと子供を作ることがイコールであったなら、避妊具は存在していない。かといって、愛とはセックスだろうか。これもまた違う気がする。20歳そこそこの私にはこれ以上はよくわからない。

 みひろは結果的に圭祐とは別れ、裕太と結婚する。圭祐は転勤先の大阪で出会った風俗嬢と新たな恋が芽生えそうな気配を感じさせつつ、この小説は幕を閉じる。

 「一人になりたくてこの町に来たのに、ほんとうに自分は一人なんだ、ということを思い知らされると、これから先、一筋の光も射さないトンネルの中をただ進んでいくだけの人生が続いていくような気がした。」どんなに人との関わりが辛くなっても人との繋がりを作らない、ということができない私たちは、苦しんで胸の張り裂ける思いをしながらも、誰かを愛していくのだろう。=「週刊読書人」2017年7月28日掲載

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