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橋本治の世界 “普通の日本人”の心の道筋描く

『蝶(ちょう)のゆくえ』で柴田錬三郎賞を受賞したころの橋本治さん=2005年

 橋本治さんに初めて会ったのはデビュー作『桃尻娘』シリーズを読んで「同世代の凄(すご)くておかしな書き手、あらわる!」「(ヒロインの)榊原玲奈ちゃんは私だ!」とばかり興奮、雑誌ライターとして練馬のお家を訪ねてインタビューさせてもらった。もうザッと四十年ほど前。
 夏だった。肩まで届く長髪にランニングシャツ+ジーンズ。思った以上に大男。笑うと目が「(」という形になる。童顔といってもいい。育ちすぎたイタズラっ子と言った風情。

懐かしい男子

 初対面なのに何だか懐かしい男子に会ったなあという印象。のちに橋本さんとは『ふたりの平成』(主婦の友社)という対談集を出版することになるのだが、橋本さんも私のことを「昔からいた同級生だって感じがあった」と発言していた。
 その懐かしい感情というのはどこから来たものなのかはよくわからない。もしかすると、昭和の同じ時代を似たような距離感で体験し、それをいつまでも忘れずにそのまま大人になってしまった――というところから来ているのかもしれない。
 感受性という点では重なるところはあるものの、ライターとしての資質というか、ありかたというのはまったく違った。
 私が三行で片付けるところを橋本さんは三十行、いや三百行くらいを費やすのだ。「読者から突っこまれるのがイヤだから」と笑っていたが。
 八〇年代後半だったろうか、橋本さんはバブル破綻(はたん)によって莫大(ばくだい)なマンションのローンに悩まされることになった。書いて書いて書きまくるという生活。そんな中でも橋本さんは、へこたれることはなかった。一種の試練とか修行といったふうに受けとめたのかもしれない。書きたいこともたっぷり持っていた。私が読み終わるより早く、次々と新刊本が送られてきた。実際、私は橋本さんのせいで本棚を一つ買い足した。

戦後の精神史

 『リア家の人々』(新潮社)『草薙(くさなぎ)の剣』(同)などの小説群(私がとりわけ感動し、圧倒されたのは〇九年に書かれた『巡礼』。ゴミ屋敷のぬしを主役に据えて、ごく実直な一庶民がそんな奇行に走って行く、その心の道筋を描いてゆく。戦後日本の精神史と言ってもいい)、『完本チャンバラ時代劇講座』(徳間書店)『宗教なんかこわくない!』(マドラ出版)などの評論的エッセー群(『二十世紀』というぶあつい一冊も、橋本さんならではの鮮やかな指摘に満ちた歴史コラム集)、さらに歌舞伎や古典文学への入門書など。もちろん「枕草子」や「百人一首」などの現代語訳なども。ファンでも読むのが追いつかないほど。
 ローンは完済したと聞いた。ようやっとラクになったはず。平成も終わりに近づいたこともあって、橋本さんに会いたいなあ、あらためて平成のこの三十年余りについて語り合いたいなあと思っていた。
 オウム真理教事件(九五年)や神戸連続児童殺傷事件(九七年)などの怪事件が起きたり、海外の高級ブランド物にしか豊かさを感じない人が多くなったり、東大生や東大出というのがテレビのクイズ番組やバラエティー番組でも強力な売りになったりする世の中を橋本さんはどういうふうに受けとめているのか、また会って話を聞いてみたいなあと思っていた。
 それでも対談集『ふたりの平成』を手がけてくれ、私の親友でもあった編集者松川邦生さんはすでに逝き、橋本さんも体調すぐれず……という噂(うわさ)は聞いていたので、誰にも言い出せずにいたのだった。
 橋本さん、もう一度、会いたかった。ちょっとヘンなジジババ二人、笑い合いたかった。=朝日新聞2019年3月16日掲載