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【谷原店長のオススメ】「言語化しづらい」ことを、じつに丁寧に描く漫画家・高野文子さんの世界

 やらなければいけないこと。わかってはいるのにそれができない。社会のルールや細かな約束、日々の雑事や仕事の締め切りなど(この連載ではありませんよ!)、自分でもやろうと思っているのになぜか気持ちが向かわない。気づけばお菓子を食べたり、延々と無意味なネットの海に潜ってみたり。

 やらなければいけない理由はいくらでも言語化できるのに、向き合えない自分の気持ちを言葉にしようとしても思考は横滑りするだけで口から出る言葉は「ん~………」。

 こういったわかりやすい例だけではなく、もっと微妙な言葉にし難い思い。たとえばふとやめていたタバコを吸いたくなったり、電車の中で懐かしい香水を嗅いだり、なぜか今日は家に帰りたくなかったり…こんな、自分でなぜと問うても端的に言い表せない漂う思い。

 こんな思いこそが澱のように心に沈殿し、ふとしたきっかけで蘇るんですよね。そんな「言語化しづらい」世界観を、じつに丁寧に描く漫画家に出会いました。高野文子さんです。

 最初に高野さんを知った本は『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)。2年前、仲の良いヘアメイクさんが教えてくれました。学生寮「ともきんす」の2階に暮らす4人の寮生は、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹。日本を代表する科学者たち。寮母・とも子、娘・きん子と掛け合いながら、彼らの遺した言葉の数々をオムニバス形式の物語に仕立てています。

 作品ごとに様々な絵のスタイルを見せる高野さん。今作のちょっと「手塚タッチ」を感じる絵は、線の濃淡を出さない製図用ペンで描き、一切の先入観、感情を排することに心血を注いだからだそうです。そのせいか、静かな清涼感の漂う、大人向けの科学漫画として楽しむことができました。

 高野さんは1957年、新潟県生まれ。看護師として勤める傍ら、1979年に商業誌デビューを果たします。どの作品からも感じるのは、日常の何気ない一瞬、そして胸の奥から浮かび上がる心象風景。
 『おともだち』(筑摩書房)に収容された長編「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」には胸を揺さぶられました。舞台は大正期の港町の女学校。主人公・露子は演劇「青い鳥」の主役を演じたかったけれど、与えられたのは犬の役。主役を演じる笛子へ抱く淡い嫉妬心やそれと相反するかばう気持ち。露子は自分でも気付かぬうちに笛子に惹かれていたのです。この微妙な心の揺れも多感な年頃だからこそ。

 読んでいて子供の学校の行事を思い出しました。僕の子供の通う小学校で発表会が有り、主役を演じるというので観に行くと、主役が何と4人も5人もいて驚きました。それ以外の主要の役もそれぞれの幕で毎回変わるのです。「春ノ波止場~」で描かれたような、主役は一人しかなれず、それを逃す悔しい思い、悲しい思いはその子の心に強く残るでしょう。色んな理由があってのことだとは思いますが、どんなに役の人数を増やしても悔しい思い、悲しい想いはなくなるわけではない。聞いた話ではありますが、ある学校の運動会では「よーいドン」で走るのに順番をつけないそう。それならば、最初から走らなければ良いのにと思ったりもします。今の世の中「皆が1番」「皆が主役」という風潮が強いですよね。悔しい思いはその子を成長させる栄養でもあると僕なんかは思うのですが。

 お姫様、王子様以外にも、それぞれに向いたもの、場所があるはず。「オンリーワン」偏重で却って見えにくくなるものってあると思います。学校での日々、共に学び遊んだ友達が僕を成長させてくれました。この「春ノ波止場デ~」、ラストはほろ苦くて、想いは幼かったあの日に飛んでいきました。

 作品集『絶対安全剃刀』(白泉社)の中の作品「ふとん」は、読み進める途中で、主人公が現在置かれている状況が見えた瞬間世界がぐるっと回転する。まさに言語化できない読後感。「田辺のつる」も同様です。いったい、高野さんはどういう目線で日常生活を送り、他人を見ているのだろう……。近すぎず、離れすぎず、絶妙な距離感。看護師をやっておられたご自身の経験も影響しているのかも知れません。

 女性誌「Hanako」で連載の『るきさん』(ちくま文庫)。主人公・るきさんは、都会暮らしの推定年齢30代半ばの独身女性。のんびりマイペース。女性作家が描く女性像。ある作家さんの作品では女性の業を深く掘り下げたり、自分の中にある空疎な思いを埋めるために享楽的に騒いだり、はたまたレールから外れてみたり。色んな作品がありますが「るきさん」は他人や社会から押し付けられるこうあるべきという無言の圧力を軽く乗り越えていきます。「無いものをねだるより、あるものをどう楽しむか」。るきさんのしなやかな強さに元気をもらえます。連載は1988~92年。物欲にまみれたバブル期に描かれたこの作品には、高野さんの時代に対するメッセージが込められている様に感じます。

 言語化していない物を視覚化する。その意味では、芝居と漫画は近いかも知れないと高野さんの作品を読んで思いました。小説や台本には、実は描かれていないことの方が多いんです。描写されていない時、台詞がない時そのキャラクターは何を考え何をしているのか。漫画であれば一目瞭然で、喋っていないキャラクターも絵になっていれば表情や態度で感情がわかります。芝居も同様。台本の時点では飛び飛びの点になっているキャラクターを、書かれていない行間を掘り下げることによって立ち上げていく。次に実際に相手役と対峙して台詞をやりとりした時、「あ、そういう事か」と気付かされて芝居は変わっていきます。そして演出家に捉え方を提示されると、更に立体的になり、世界ができていくのです。

 文章だけでは行間に埋没してしまう細かな思いを、漫画は視覚化していく。高野さんの作品には日々の生活に埋もれてしまうような細かな機微が織り込まれているのです。

 最後にこの1冊もぜひ。『棒がいっぽん』(マガジンハウス)。巻頭を飾る長編「美しき町」のある一言にやられました。僕もこんな風に年を重ねたいものです。(構成・加賀直樹)