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作家の仕事は地球に誠実なのか? 朝井リョウさんが選ぶ「はたらく」を考える本

文:加賀直樹、写真:樋口涼

朝井リョウさんが選んだ「はたらく」を考える本

 「働くことにモヤモヤを抱えた人のため」という趣旨の企画だとうかがっていますが、私自身、今もモヤモヤがいっぱいです。だから今回ご紹介するのは、「これさえ読めば何かが解決しますよ」という類のものではありません。ただ、仕事をしていくうえで躓いた時、私だったらこの本を読み返すだろうな、と。ご紹介する順番で読んでいくのが、私なりにおすすめの処方箋です。

  1. 『午前3時の無法地帯』(ねむようこ、祥伝社)
  2. 『マリコ、うまくいくよ』(益田ミリ、新潮社)
  3. 『ののはな通信』(三浦しをん、KADOKAWA)&『王とサーカス』(米澤穂信、東京創元社)
  4. 『N女の研究』(中村安希、フィルムアート社)&『料理の旅人』(木村俊介、リトル・モア)
  5. 『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子、新潮社)

「はたらく」を考える本(1)|『午前3時の無法地帯』

 最初にご紹介するこの本は、デザイン系の専門学校を卒業し、イラストレーターになる夢を叶えるべくデザイン事務所に入社した主人公のお話。午前3時になっても業務が終わらないような、ビックリするほどの劣悪な職場環境。でも――、という物語です。まさに自分が入社して3年目ぐらいまでの、仕事の意義とかそんなもん何も分からないけれど、とりあえず「できる」ようになろう、みたいな頃のガムシャラさを思い出させてくれる1冊です。

 主人公の七瀬ももこさん、「これぞブラック企業」という環境の中で、メチャクチャ忙しそうなんですけど、なぜか楽しそうに見えるんです。「なーんか、これも悪くないな」って思わせてくれる感覚を抱く。そこが好きなんです。

 私自身、兼業していた3年間は、朝6時前に起き、まず1~2時間は小説を書き、できるだけ残業しないように会社員としての業務を終えて、退勤後に2~3時間は執筆タイムを確保する、という生活でした。1年ごとに異動していたので仕事に慣れるという状態でもなかったのですが、それでも不思議と悪い思い出がないんですよね。人と環境に恵まれていた、というのが一番大きかったと思うんですけど。

 社会人1年目の時に『何者』で直木賞をいただいて、当時の社内の人たちに小説を書いていることがより知られるようになりました。同期の社員が土日に競合他社の人たちと交流したり、上司とゴルフに行ったりしていたなかで、私は週末の全てを小説執筆に注いでいて、それがどんどん申し訳なくなっていきました。自分自身のことを、会社組織のなかですごく悪い「異分子」だと思い、罪悪感を抱いていました。どこかで「本当に悪い細胞」になってしまう前に、離れなければならないな、とは思い続けていました。

 あと、その当時の私、もう、ホントに厭なヤツだったんです。時間がないと人間は余裕がなくなりますね。赤信号にクソほど腹立ててましたし、ゆっくり喋る電話相手に本気でムカついてました。それも含めてエネルギッシュだったな、と思い返します。忙しい日々に疲れつつも、充実感を覚えていた日々を思い起こさせてくれるのが『午前3時~』です。

「はたらく」を考える本(2)|『マリコ、うまくいくよ』

 社会人2年目、12年目、20年目。同じ職場で働く3人の「マリコさん」が登場し、「働くってどういうことか」を、それぞれのキャリアに基づいた視点から問いかける作品です。

 何らかの組織の中にいる人ならきっと、様々な共感と発見に出会える一冊です。主観的に納得しつつも、自分への客観的な視点も得られるはず。2年目の「マリコ」の話には、私が会社員当時に思っていたことがそのまま書かれてあるなあと思うこともあって読みながらびっくりしました。今は12年目の「マリコさん」の気持ちに近くなっていたりして。20年目の「マリコさん」の話を読めば、自分が何気なく放った一言が、別の視点から見ると、すごく人を傷つけているかも、と気づかせてくれる。「ああ、あの時、あの人、こんなふうに場を取り繕ってくれていたんだな」とか。共感、発見、どっちも入っています。自分とは異なる年齢、立場の人たちと触れ合う時、助けになる本だと思います。

「はたらく」を考える本(3)|『ののはな通信』&『王とサーカス』

 父親が65歳になって最近、定年退職をしたんです。そんな父が、就職活動をしていた私にかけてくれた言葉は、「人のため、人を助けるような仕事ができる会社に入りなさい」。いざ、自分が3年間、会社員として働き、そして小説の仕事を9年続けていてつねづね思うのは、働くことが1日のほとんどの時間を占めるということは、働くってつまり人生への態度というか、社会や地球への態度を示すことでもあるんだなということ。「働くこと」って、「自分の命を何に注ぐのか」が問われているということだと思うんです。

 会社員時代は精神的に健康でした。というのも、この仕事は人のためになっているのかとか、そんなことを考える間もなく時間が過ぎていったから。特に新人の頃は覚えることばかり。1日が終わって、この仕事が誰のもとに届くのか、何のためにやるのか、何も考えずに過ぎていく。

 ところが専業作家になってみると、はたと考えて立ち止まってしまうことが多いです。たとえば東日本大震災のとき、私はまだ学生でしたが、「本ってこういうとき何の役にも立たないな」と思ってしまいました。今も小説を書きながらたびたび「これ、なんの意味があるんだろう」と立ち止まります。父親が言っていた意味がちょっとずつ分かってきたんです。本を書くことに人生を捧ぐって、地球に対してどういうことなんだろう。道に倒れている人に本は差し出さないですよね。「いったい自分は何をしているんだ」って。そんなことが言語化されている気がしたのが、『ののはな通信』と『王とサーカス』です。

 『ののはな通信』は、2人の女性が、高校時代から手紙を交換しながら大人になるまでの時間を描く話。初めは女の子同士の恋愛物語なんです。のちに、ひとりの女性は外交官の男性と結婚し、海外へ赴任します。もうひとりのしっかり者の女性は他の女性との暮らしを経て、書く仕事に就く。海外に行った女性は、夫に付いて行くかたちで自分も海外の紛争地に出向き、そこで強烈な悲しみを目の当たりにする。それを記し、日本にいる、書く仕事に就く女性に送る。そんな2人の書簡の往復が続いていきます。

 書く仕事に就いた女性は逡巡するんです。自分はのうのうと日本で暮らしていて良いのか。書く仕事に就いている自分こそ、世界の現状を目の当たりにできる環境に身を投じるべきではないのか……。書くことと生きること、その折り合いをどうつけるのか。息を潜めるような緊張感を持って、一気に読みました。

 私は正直に言って、「正しいこと」を書きたいと思って小説を書いているわけではありません。「これを書いて何の意味があるのかはわからないけれど、この感情を小説にしてみたらどうなるんだろう」みたいな、実験をするような感覚で書いているところがあります。子どもの頃は、ただ書くことが純粋に楽しかったんです。運動するのが楽しいように。ところが、キャリアが重なってくるにつれ、考え方が変わってきた部分もあります。

 昨年、「生産性」という言葉が話題になりましたけれど、人間を生産性で見てはいけないということは重々承知しつつ、「これを書いて何の意味があるんだろう」なんて考えている時点で、私はきっとめちゃめちゃ生産性で物事を見ているんです。「作家の仕事の生産性って、何?」。私はずっと思ってしまっている。医者は問答無用で偉く見えるし、人を救う仕事をしている人もとても素晴らしく見える。これ、生産性で人を見ている何よりの証だと思う。そこから逃れられない以上、「これを書いて何の意味があるんだろう」という問いからも一生逃れられないと思うんです。だから『ののはな通信』は読みながら苦しかったです。

 『王とサーカス』は、私のなかでは『ののはな通信』とセットの物語。ジャーナリストが王制の残るネパールに行き、事件に巻き込まれていくんです。現地で出会った少年にガイドを頼み、その矢先に王宮で事件が勃発します。物語の核心の部分で、「人のかなしみをサーカスにするな」という言葉がジャーナリストに突き刺さる。サーカス、つまり見世物にするな、と。どんなに善意で書いたとしても、取材対象物をサーカスにしてしまうのが物書きなんです。まるで自分に対して言われたような気持ちになりました。

 書く仕事は、対象を「見世物小屋」として飾り、「さあどうぞ」と他人に差し出す、すごく下品な仕事だと思うんです。でも、書くことをやめられないのだから、私は、『王とサーカス』の主人公がひねり出したなけなしの回答を心の中で共有させてもらうことにしました。

「はたらく」を考える本(4)|『N女の研究』&『料理の旅人』

 この2冊も私のなかではセットです。まず、「N女」の「N」は、NPO(非営利セクター)の「N」。NPO業界で働く女性たちの背景や、彼女たちの働き方、生き方を探る1冊です。お金じゃなくて、どれだけ社会貢献できるかって人たちがたくさん出てくる。素晴らしいんですよ、その姿勢。でも、読みながら「自分は、……こうはなれないよな」って。

 『料理の旅人』は、日本の食文化を担うベテランシェフ25人のインタビュー集。その中で、或る料理人はとても潔白で、彼は「地球人としてどうか」という話を繰り返すんです。料理って、命を殺して消費するもの。そのうえでどうすれば地球に対し誠実でいられるか。

 私は、組織のなかにいる利点の一つは、「清廉潔白であることができない自分に対して言い訳ができること」だと思うんです。個人で仕事をしていると、彼のように清廉潔白であろうとすれば、できる。絶対嘘をつかない。不誠実なことはしない。自分で自分に課せばできると思うんですよ。

 でも、人間ってここまで強くない。読んだ時に彼に対して強烈な憧れがわいたけれど、同時に絶望も覚えました。「こうはなれない」って。自分は明日もきっと何かを裏切りながら、臭いものにふたをしながら生きていくな、と。

 フリーランス、個人で働くということは、組織のしがらみから解き放たれる部分もあるけれども、そのぶん、「自分が不誠実な道を歩もうとしたときに、全部自分、それを選んだのも自分だよ」と、心への責任が生まれると思っているんです。

 組織のなかでつく嘘って、大義名分がある。「しょうがなかったんだ」というような。組織の中にいるからこそ、つかなければならない嘘ってありますよね。組織が請け負ってくれるのは、人の穢さ。嘘をついている自分を許すしかなくなる環境。私はどちらかというとむしろ、その曖昧さのほうに「心当たり」があるんです。「N女」や料理人の彼のような姿勢で働くことができたら、そりゃいいですよ。でもやっぱりできない、そんな自分のような人たちのために持ってきたのが、最後に紹介する、次の本です。

「はたらく」を考える本(5)|『この世にたやすい仕事はない』

 組織に疲れながらも、組織が内包する不誠実さに助けられもしている状態。たとえば、出版社の編集者が「私はあんなトンデモ本を出すために出版社に入ったわけじゃない」と考える。でも、読者には「すごく良い本です」って売る。それでも何とか清廉潔白であろうとするには……。トンデモ本を出しながら、その利益で何か別の本をつくれるかも知れない、とか、そういう方向に考え方を変えれば、命を引き延ばしていくことができるかもしれないーー。

 津村さんの小説、大好きなんです。なんだかどこか気が抜けていて、人間のおかしみを感じられて、「でも、いいんだ」って思える感覚がある。この小説、津村さんは1回も取材せずに書いたというようなことを聞いたことがあって、すごく驚いたんです。ニッチな仕事のディティールが書きこまれているんですが、全部想像で書いたって。「すごいな」と思いました。

 私だったら、「答え合わせされるかも知れない」とか考えちゃうんですよ。でも、本人がそうなのかどうかわからないですが、津村さんの作品には、「ここが違います」と指摘があったとしても「まあいいじゃない、ちょっと違うくらい」みたいに言えてしまう緩さがあるんです。ちょっと心が弱っている時とか、「仕事人として自分はこうならなきゃ」とか、「自分は地球を大切にしていない」とか思っている時に、「膝カックン」してくれる感じ。すごく助けられているな、と思って最後にこれを持ってきました。処方箋としては、この順番で読み進めるのが良いと思います。

 働くうえで考えたいキーワード「地球にどれだけ誠実か」。これって、測れるものではありませんよね。「100人救ったら素晴らしい」「5人産んだから素晴らしい」、そんなことじゃないんです。ところが、それを単純に繋げようとする風潮が最近あると思う。表現の規制もそう。100人も殺されるような小説を読んだ人が、翌日への活力をもらうこともあるかも知れないし、人が100人幸せになる本を読んで、死んじゃいたいぐらい落ち込むこともあるわけで。

 本を読むたび、生きる意味、人の価値、地球に対してどれだけ誠実であれるかは、心が決めることだなと感じます。本来、心にまつわることって、数字や論理では測れない。でもそこが単純に論じられている印象がある。それって、「子どもを産まないヤツは意味がない」みたいなのと、じつは近い論理だと思うんですよ。

 だから、「こうあるべき」的な、理想的な生き方をしている人の本を読んだ時、自分がそうじゃないことに必要以上に落ち込んで、自分には価値がない、とか、意味がないんじゃないか、とか、単純に繋げてしまうのが良くないなって思うんですよね。

 「1+1=2」じゃない心を受け止めてくれるのが小説だと私は思っています。それだけでは生きていけない自分があることも認めていきたい。そんな思いで、作家という仕事を続けているのかもしれません。