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憲法と平成 「文明のあり方」支える役割

「皆さんとともに日本国憲法を守り……」と即位後朝見の儀で「おことば」を述べた天皇陛下。左は皇太子さま、右は皇后さま=1989年1月9日

 皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う――即位後朝見の儀での、印象的な「おことば」から始まった平成の時代が終わろうとしている。だが、その感慨の大部分は、先の改元が1989年と重なった偶然に起因する。
 イギリス権利章典から300年、フランス人権宣言から200年、明治憲法から100年という、惑星直列的な記念年。それが他の三つの「89年」に匹敵する世界史的な節目になろうとは、誰も想像をしなかった。
 ベルリンの壁開放、冷戦の終結宣言。そのほとんど論理的な帰結が、湾岸戦争とソ連崩壊であり、政治・経済のグローバル化も89年以降に急進した。
 安倍長期政権を支える統治構造は、「89年」後の世界に対応すべく行われた種々の制度改革がもたらしたものであり、この改革の継続は、いずれ憲法改正を求めることになるだろう。

続く「文化摩擦」

 けれども、「四つの89年」を座標軸に1989年以降を展望した樋口陽一『憲法入門』は、立憲主義という「ひとつの文明のあり方を支えるものとしての憲法」という観点を強調する。
 それは幕末の不平等条約を撤廃し、「文明国」として西欧列強に伍(ご)してゆくためには必要不可欠な「あり方」であったが、旧来の天皇中心の「国体」との間に文化摩擦を引き起こした。その帰結が1889年、つまり「文明」と「国体」の二つの魂をあわせもつ明治憲法である。
 これを「文明」の側から講じて、明治と大正の政治的分水嶺(ぶんすいれい)になったのが、美濃部達吉『憲法講話』であった。曰(いわ)く、「世界の重なる文明国は、あるいは民主国たるか、しからざればみな立憲君主政体を採ることとなった」が、統治権が「国家という共同団体それ自身」に属している点で両者に違いはなく、ただ「統治権を行う機関が異なる」という「政体」上の相違があるに過ぎない。共同利益の観点からは、「全国民の代表者」としての「国会」が重視される。
 その一方で彼は、天皇主権説を、統治権が天皇「御一身の利益のため」だけにあるとする見解であって、「我が古来の歴史に反し我が国体に反するの甚だしい」と、批判してもいた。
 この美濃部の立場は昭和初期まで支配的だったが、1935年の天皇機関説事件で退場を余儀なくされた。しかし「国体の本義」に軸足を移動した日本は、わずか10年で滅んだ。戦後は再び「文明」に復帰することになり、日本国憲法は「人類普遍の原理」としての立憲主義を全面的に受容した。とはいえ、文化摩擦は完全に解消されたわけではなく、それに起因する改憲衝動は、憲法もろともに立憲主義をも押し流そうとしてきた。

AIが生む危機

 そうしたなか、「国政に関する権能」を一切もたない象徴として即位した最初の天皇が発した「おことば」は、「文明」の象徴たらんとする意欲の表れとしてインパクトがあった。そこに、明治憲法100年ではなく「平成」に固有の意義が生じた。統治構造改革論の進展とは別に、「ひとつの文明のあり方」を表象する役割を、象徴が真摯(しんし)に引き受け続けた30年であった。
 他方で、89年は世界的にはWWW(ワールドワイドウェブ)の誕生年とも重なり、「情報技術の革命」で記憶されることになるかもしれない。とりわけ人工知能(AI)の発達が、人間の、万物の霊長たる地位を揺るがしつつある。9条論議に目を奪われているうちに、人間の尊厳に基づく「文明のあり方」の隅々に忍び寄る危機。その論点については、山本龍彦編著『AIと憲法』が網羅的だ。
 それだけに、次代の「文明」を問う、人間の学問に固有の課題は、依然として重かつ大である(蟻川恒正ほか著『憲法を学問する』有斐閣・2916円)。=朝日新聞2019年4月27日掲載