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作家の読書道 第205回:今村昌弘さん

シリーズものが好き

――今村さんはプロフィールには長崎県生まれとありますね。

 そうなんですが、両親は関西に住んでいて、母の里帰り出産だったんです。落ち着いたらもう関西に戻ったので、ほとんどは関西で育ちました。

――では神戸で育ち、大学進学で岡山に行ったわけですね。さて、一番古い読書の記憶を教えてください。

 母がもともと保育士か何かをしていて、家にはわりと絵本がたくさんあったので、それを読んでいた記憶があります。かこさとしさんの『だるまちゃんとてんぐちゃん』とか、今までタイトルをすっかり忘れていたのですが、香山美子さんの『どうぞのいす』とか。そうした絵本を自分で引っ張り出してきては、繰り返し読んでいました。

――ご兄弟はいらっしゃいます? なにか影響を受けたかなと思って。

 2つ上の姉がいるんですが、姉は別に読書家ということはなかったです。僕も、みんなと同じくらいで、特別本好きということでもなかったと思うんですけれど。
 ただ、母がなぜか国語系の宿題にすごく厳しかったんです。小学校低学年の頃、朗読の宿題があったんですね。「家に帰ってここからここまでを3回読んできなさい」みたいな。それをすごく真剣にやらされるんですよ。「聞いてるから朗読しなさい」と言われ、途中で詰まったりすると叱られる。『モチモチの木』の夜中におじいさんにおしっこに連れていってもらうシーンなんかは、孫を安心させながらおしっこをさせるおじいさんの気持ちにならなくちゃいけなくて。アナウンサーも真っ青の指導を受けました(笑)。

――まだ小学生なのに(笑)。

 そんな感じで鍛えられ、小学校で本読み大会みたいなイベントがあると、必ずクラス代表に選ばれていました。
 宿題の話でいうと、夏休みの宿題も僕の学校は自由課題だったので読書感想文は書かなくてもよかったんですけれど、家で絶対に書かせられていました。本に鉛筆で線を引いて番号をつけて、チラシの裏の白いところに、その番号の場面で何を感じたのかを箇条書きにさせられて。それを組み合わせてまとまりのある文章にしなくてはいけませんでした。「これ、授業でやることじゃん」って思いながら(笑)。読書感想文のコンクールでも佳作に入って朝礼で名前を呼ばれていました。

――文章を書くことは好きでしたか?

 いえ、当時は全然好きじゃなくて。読書感想文も小学校5、6年生の頃には、感想を書きやすい本を選ぼうという考え方になっていました。「自然破壊反対」みたいなことが言いたいんだろうな、などと結論ありきで本を選んでいましたね。

――ご両親は他のことも厳しかったですか?

 うちは両親が九州出身なんですが、ちょっと考えが古臭いというか。当時テレビゲームが出始めていたんですが「あれをやったら馬鹿になる」と言って、遊ばせてもらせませんでした。漫画も「あれを読んだら頭が悪くなる」と言って買ってもらえなくて。『クレヨンしんちゃん』も流行っていたのに、「大人を呼び捨てにするような礼儀のなっていない子どもだ」と言って読ませてもらえず。テレビもアニメは「ドラえもん」くらいしか許されていなかった。「ドラゴンボール」も見ていないんですよ。今考えると面白いんですけれど、バラエティ番組も、ダウンタウンの番組は駄目なのに、なぜか「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」は見せてもらえました。あれはいろんなことに挑戦する番組だったからよかったのかもしれません(笑)。

――いろんなことが駄目ななか、本はOKだった、と。

 OKでしたね。だから、本を読むことに抵抗のない人間に育ちました。お小遣いで漫画を買って帰ると怒られるので、小説を選ぶようにしていて。今でも母親がよく口にするんですが、地域の夏祭りに行ったらバザーみたいなところで古本が並べられていて、終わりの時間に近づいた時に「もうなんでも10円で持っていって!」と言っていて。そこで僕が買って帰ったのが、『宝島』でした。

――スティーブンソンの?

 はい。それを買って帰ってきたのが母親にとってはおかしかったらしくて。「夏祭りに行ったと思ったら『宝島』抱えて戻ってきた」って。そういう、冒険ものが結構好きでした。学校の図書館でもよく本を借りていましたが、世界の名作シリーズの『十五少年漂流記』とか『神秘の島』とかが大好きで。
 当時、ルパンシリーズやホームズシリーズもよく読んでいましたが、冒険、活劇の部分が面白かったので、どちらかというとホームズよりルパンのほうが好きだったんですよね。ルパンシリーズに出てくるホームズって結構嫌な奴で、『奇巌城』で誤って女性を撃ったりするし。

――シリーズものを読んでいくのは好きでしたか。

 昔からシリーズものはとても好きです。『ズッコケ三人組』も当時出ていたものは全部読んでいました。そうした長いシリーズものをほとほと読んでしまって、それで小学生で手を出したのが夢枕獏先生の「陰陽師」シリーズ。学校の図書室にあったんです。図書室を一部仕切って、地域の人も利用できるようにしてあったので、それで地域の大人がリクエストして入れていたんでしょうね。小学生が読むとは思えない本もところどころにありました。『陰陽師』は分からないところもあったんですが、ファンタジーというか幻想小説というか、鬼だの人魚だのが出てきて面白かったという思いがあります。

――この連載を取材していると、はじめてのミステリ読書体験というとある世代まではルパンやホームズが圧倒的に多く、ある世代からは、『金田一少年の事件簿』やはやみねかおるさんが多くなるんです。今村さんは後者の世代だと思っていました。

 ああ、漫画は買えなかったんですが、姉が友人に借りてきたので『金田一少年の事件簿』は読みました。はやみねさんは僕はなぜか小学生の時でなく、中学生になってから読みましたね。それとミステリでいえば、図書館で借りていたのが『マガーク少年探偵団』のシリーズ。

――ああ、子どもたちが近所の謎を解くシリーズですよね。『あのネコは犯人か?』とか。

 そうそう。その子たちが一人ずつ、ちょっと能力を持っているんですよね。鼻が利くとか、ものすごく記憶力がいいとか、女の子はすごく行動力があるとか。わりとちゃんとミステリのトリックも使われていました。
 ただ、密室の中で何かが起こって...というような本格ミステリの知識をはじめて与えてくれたのは『金田一少年の事件簿』になるのかな。でもだからといって、ミステリに傾倒することはなかったんです。当時は本格ミステリというジャンルがあることも気づいていなくて、新本格の作家の方たちの本にも行き着きませんでした。学校の図書館になかったですし。

ライトノベルにハマる

――中学生時代はいかがですか。

 小学生の時はお小遣いが月700円くらいだったんですけれど、高校生になって月1000円くらいもらえるようになって、通っていた塾の近くにあった古本屋さんで文庫本を買うようになりました。300円の本は高いので100円の棚から選んでいて、たぶん角川スニーカー文庫が多かった気がします。冒険ものが好きなこともあり、SFも読み始めて。憶えているのは、最初、100円の棚から三雲岳斗さんの『アース・リバース』というのを見つけたんですよ。スニーカー大賞の特別賞を受賞した作品で、1冊で完結する話なんです。それがすごく面白かったので「この人の他の作品も読んでみよう」と思い、三雲さんが電撃ゲーム小説大賞で銀賞を獲られた『コールド・ゲヘナ』も読んだら面白くて、それはシリーズとなっていたので最新作が出たら頑張って自分の小遣いで買うようになりました。今、自分が仕事をしてみると実感するんですが、ライトノベルって出るテンポがすごく早いじゃないですか。2、3か月おきに出してくれるから、読みたい作品の続きがすぐ出るのがすごく嬉しくて。本の中に挟まれている「何月の新刊」というチラシや、本屋さんの本棚の横に貼ってある新刊ラインナップの一覧を楽しみに見ていました。僕のライトノベルのはじまりは、たぶん三雲さんでした。三雲さん、今は『ストライク・ザ・ブラッド』という異能力バトルみたいなものなどを描かれていますが、以前は巨大ロボットが登場するSFも沢山書かれていて。僕はロボットが大好きなので、面白かったですね。

 中高生の頃はライトノベルから面白そうなものを漁って読んでいました。『ブギーポップは笑わない』とか、『キノの旅』、『イリアの空、UFOの夏』とか。長谷敏司さんがスニーカーかでデビューされた『戦略拠点32098 楽園』というのは薄い本なんですが、それもすごく面白くて。戦う話ではないんです。宇宙戦争が繰り広げられている世界で、謎の惑星に不時着したサイボーグ兵が、その星になぜか一人で住むマリアという小さな女の子と出会うんです。その子が一緒に暮らしているのが敵軍のロボット兵で、敵同士だからいがみ合うかと思いきや、相手は「もう私に戦う理由はない」みたいなことを言い、不時着した側は「いや、今空の上で仲間たちは殺し合いをしているのになんでそんなに冷静に自分だけ平和に暮らすことができるんだ」となり、価値観の違いのぶつけ合いがあって...という。

――深遠なテーマが込められていそうですね。面白そう。

 たぶん、ガンダムを知ったのも中学生くらいです。アニメは見せてもらえなかったので、それもスニーカー文庫のノベライズで知ったんです。当時はたぶん、「X(機動新世紀ガンダムX)」が終わって「∀ガンダム」をテレビでやっていたくらいの頃です。ファーストガンダムなんかはアニメと小説で全然ストーリーが違ったりするんですけれど、それでも塾に行く前に本屋さんに行ってシリーズを買っていた憶えがあります。

――書店に行くのが習慣になっていたんですね。

 自分で本を探して買うという喜びをおぼえたんです。最初は古本屋から始まって、次第に新刊を買うようになって。高校でも読書はライトノベルが中心だったんですけれど、それで書店で見つけたのが、虚淵玄さん。今や有名なシナリオライターさんですけれど、その方の本がスニーカーで出ていて、それがアダルトゲームのノベライズだったんです。虚淵さんはニトロプラスというゲームメーカーのシナリオを書いていらして。そのメーカーの面白いところが、アダルトゲームなんだけれど色っぽくない話を作るというか。どの作品も、拳銃で撃ちあったり、日本刀で斬り合ったり、大型バイクを乗り回したりして派手なSFものの中に、申し訳程度に濡れ場を入れておく、みたいな特徴がありました。

――冒険ものの要素が詰まっていたわけですね。

 はい。もちろん当時は高校生だし自分のパソコンがなくてゲームもできないので、アダルトゲームのことは知らなくて。それで、たまたま『ファントム』という作品と『吸血殲鬼ヴェドゴニア』という作品がノベライズされていて、読んだら滅茶苦茶面白い。でも「原作はアダルトゲーム」って書いてあったんですよ。
 印象に残っているので最近よく話すんですけれど、虚淵さんはあとがきで、要約すると「ユーザーを楽しませ、満足させる......それ以上の何物も求められないのがアダルトゲーム。何を標榜し擁護し攻撃するものでもない。ただ、娯楽でありさえすればいい」「このノベライズの話がきて、すごく申し訳なく思った。自分が楽しんでいるものは、普段は書店の片隅に置かれているからこそ楽しいものなのに、一般の人に向けてノベライズしたところで面白くないはずだ」と。でも「自分はニトロプラスの虚淵玄。覚えておいてくれたら嬉しい」みたいなことを書かれていたんです。つまり、当時の虚淵さんは、まさか自分が楽しいと思っているものがメジャーで通用するとは思っていなかった。でもその『ファントム』は売れ行きがよかったから2冊出て、2冊目のあとがきでは「自分がマイナー路線を歩む運命の星の下に生まれたことは疑っていない。ただマイナーリーグは自分の想像以上に領土が広く、自分が今までメジャーとマイナーを隔てるルビコン川だと思っていた場所は、いつもの通勤電車で何の気負いもなく渡河できてしまうんだろうか」っていうふうに書かれていたんです。
 その後の活躍を見ていたら、アニメの「Fate/Zero」や「魔法少女まどか☆マギカ」、特撮「仮面ライダー鎧武/ガイム」といった、世間をビビらせるようなもののシナリオを書かれていっている。やっぱり面白いものを面白いといって全力で書かれている人のものって、こんな形で認められていくんだというのはすごく感じていました。

――高校生の時からずっと見てきたからこそ、実感されることですね。

 はい。今考えてみると、『屍人荘の殺人』で特殊な設定を思いついて躊躇せずに書けたのは、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』とかを読んでいたことが大きい気がして。
 あれは従来の吸血鬼ものとまったく違っているんです。吸血鬼に噛まれた高校生の少年がいて、2週間後に吸血鬼化する前に元の人間に戻るには、自分を噛んだ吸血鬼を殺さなければならない。しかも闘う方法が、自分の首を自分で切って、死にかけた状態になったら半吸血鬼化するので吸血鬼の力を使える、というものなんです。ダークヒーローみたいなものです。しかも改造した大型バイクを乗り回して、改造したショットガンを撃ちまくる。吸血鬼を探して、見つけた相手が自分を噛んだ吸血鬼でなくても、元の人間の姿に戻るまでは血が必要なので殺して血を吸う。それを夜な夜な繰り替しながら、2週間のうちに目的の奴を見つけなければならないっていう。吸血鬼ものって、こんなだったっけ、と思いました(笑)。もっとヨーロッパテイストで、金髪碧眼の美少年が出てくるといったイメージがあったのに、吸血鬼化してバイクを乗り回すなんて。
 バイオレンスの部分も、当時は規制の緩いアダルト業界でようやく許されるくらいのきわどい表現方法だったりして。いわば「18禁」というのを逆手にとっていたんです。とりあえず濡れ場さえいれれば「18禁」というレーベルで売っていいんでしょ、他の部分は自由にやりますよ、っていう。要するに、文章で読んでいくノベルゲームをやっている。クリックするだけのノベルゲームよりももっと面白いゲームはいっぱいあるけれど、「18禁」にすることでそれを望む人に売れる。そのなかで面白いものを作るという、すごく上手な販売体系だと思いました。

――そうしたものに触れていたからこそ、柔軟な発想力で『屍人荘の殺人』を生み出せた、という。

 はい。それと、高校生か大学1年になった頃か、たまたま本屋で見つけたのが、米澤穂信先生の『氷菓』でした。僕は米澤さんが受賞された角川学園小説大賞のシリーズも結構追っていたので、『氷菓』とその次の『愚者のエンドロール』は最初にスニーカー文庫で出た時に買っているんです。それまでヒーローが活躍するものが好きだったんですけれど、『氷菓』は等身大のキャラクターで、事件らしい事件は起こらない。すごく地味なのに、物語が意外な展開を迎えて面白い、というのが衝撃的で。世界的名作って大きな出来事が起こる話が多いと思うんですけれど、日常の中で物語ができるというのがすごく新鮮でした。そこから米澤先生の本を追っていくうちに、先生が編者の一人を務められた『連城三紀彦レジェンド』を読んだんです。編者には綾辻行人先生や伊坂幸太郎先生、小野不由美先生もいて、それぞれお薦めの短篇を選んでいる。それで「ああ、面白い。連城三紀彦も読んでみよう」と思ったんですけれど、同じミステリといってもまた全然違うじゃないですか。それもすごく驚きました。

――そうですね、文体なんかもまた違いますし。

 最初は不倫とか、どろどろしたテーマを扱っているからとっつきづらい話かなと思ったら、もう何度も騙されて、騙され続けて、「この人の作品すごいなあ」と思って。

――何を読んだのでしょう。『戻り川心中』とか?

 それと、『夜よ鼠たちのために』。たぶん、大学生の頃だったと思います。

大学の専攻を決めた理由

――大学は医学部の保健学科放射線技術科学専攻とのことですが、なぜそこを選ばれたのですか。

 受験を控えて進路を決めなくてはいけなかったけれど、特にやりたいことがなくて。自分はあまりサラリーマンには向いていないだろうと感じていたのですが、やりたいこともない。それで、いつかやりたいことがみつかった時、ちゃんと足場を固めておいたほうがほうがいいなと考えて、何かの資格を取ることにしたんです。何の資格がいいかなと思った時、少子高齢化の時代なので医療系は固いだろう、と。
 でも医療系の仕事は人の命に携わることなので、生半可な覚悟ではできない。医者は当然無理だし、看護師さんも、こういう考え方をしている時点で自分は人の面倒見がいいとは思えないし......と迷っていた時に母親から「レントゲン撮る人はどう」と言われたんです。「あのボタン押してる人」って。それはいいなあと、結構軽い考えで道を選びました。

――そもそもサラリーマンに向いていないと思ったのはなぜですか。

 あまり人の指示を聞かない(笑)。自分の考えで動くことはできるんですけれど、あまり、人に言われたことを聞くような道を歩んではこなかったんです。もちろん、ちゃんと勉強したり、制服のホックをきちんと留めるということはしていたんですけれど、それは先生の言うことを聞いていたわけではなくて、そっちのほうが波風立たないとか、労力を使ってまで違反する理由はないとか、そういうことだったので。いろんな人がいる会社に入って、人の下について与えられるものを待つというのは自分の望むやり方じゃないなあと。ほしいものは自分で手に入れると言ったら偉そうになりますけれど、あまり人に頼っても面白くないだろうな、という部分がありました。

――そういう性格だということは、小中高と、クラスの中でどういう立ち位置でしたか? リーダー格でした?

 完全にリーダー格ですね。中高と、バレーボール部でもキャプテンでした。小学校の時もサッカーでキャプテンをやらされていたんですけれども。

――なるほど。それと、小さい頃から将来なりたいものはなかったのでしょうか。高校は理系コースだったわけですが、それもなんとなく?

 中学の時は考古学者に憧れましたが、親に「そんなことでは暮らしていけない。理系の道に進め」と言われて、なんとなく選んだという。
 そこまで労力を費やしてやりたいことがなかったんです。自分が体育会系だったから思うのかもしれませんが、結局スポーツって最終的に勝ち進められるのは1人じゃないですか。どれだけ努力してもどんどん負けていって、最後に1人になる。僕は別にスポーツ選手になりたかったわけでもないし、負けてもそこまで悲しむことはなかったんですけれど、勝つことの難しさは知っていて。たとえば高校野球は、夏の甲子園目指すにはまず強豪校に入らなくていけなくて、入ってもスタメンの9人に入らなければならなくて、さらに県内で他の学校を倒して1番にならなくてはいけなくて、ようやく甲子園に行くとなっても、高校3年間のたった3回しか挑戦権がない。そのためにどれだけの練習や時間を費やすのかっていう。自分が同じだけのエネルギーを費やしてやりたいことは何だろうと考えると、本当になかったんです。

――そこでやりたいことが見つからない、と焦りを感じる人もいると思うんです。でも、焦らずに先に足場を固めることを考えるところが冷静ですね。

 ひねているのか分からないですけれど、昔から「そんなに甘いものじゃないだろう」というのはどこかにあります。自分にふさわしい仕事とか、自分にしかできないこととか、そういうものを若者はみんな求めると思うけれど、僕は「そんなうまいこと見つかるわけない」とか「そんな簡単に物語の主人公になれるはずがない」と考えてしまいます。だから大きな成果を残した人に対して「あいつ天才だな」と簡単に言っているのを聞くと、「いや、誰もあの人ほど努力をしていないだけだろう」と思います。

――小説を書く、ということはその当時まったく考えたことはなかったのですか。

 なかったですね。当時は全然書いてもいなかったですし。でも、部活をしていると人と話す機会は毎日あって、人を笑わせるのは楽しかったです。だから、人を楽しませるのは好きだったんだなと思います。

働きながら投稿していたけれど...

――では、その後の読書遍歴や小説を書くきっかけについては。

 大学4年の国家試験の時にはじめて小説を書き始めました。試験勉強が嫌になって、途中まではマインスイーパをずっとやっていたんですが(笑)、結局4マス残ったらどうしようもないと気づいたのでマインスイーパはやめて、小説を書いたりしていました。
 就職してからも、気晴らしのために書いていました。そうしたなかで、やっぱり自分は何かを作って人を楽しませることがしたいなと思ったんですよね。ただ、自分は音楽もやってこなかったし絵が描けるわけでもないから、できることは限られている。それで、ものすごく根本的な文章を書くということならなんとかできるかな、と思ったんです。
 最初はファンタジーっぽいものを書きました。自分の好きなロボットが出てくるSFはちゃんと電気工学などの知識がある人じゃないと書けないだろうと感じていたし、ミステリは無理だろうと思っていて、結局自分の妄想で何かをカバーできるのはファンタジーやホラーだと思って。どんな原因で幽霊が出てくるかなんて、なんでもいいじゃないですか。そこに科学的な根拠を混ぜる必要はないので、自分でもカバーできるんじゃないかと思って書いていたんですが、なかなかうまくいきませんでした。

――新人賞に応募はしていたのですか。

 働きながらなので長篇が書けず、短編賞ばかり狙っていました。でも手あたり次第送るということはせずに、自分は軽いタッチの作品が合っていると思っていたので、ライトノベルの賞を調べて送っていました。

――就職はどのようなところに?

 最初に就職したのはある自動車会社でした。検診車でその自動車会社の各工場に行って、胸部写真を撮りまくる。同級生は検査課がある大病院に就職して、いろんなスキルを身に着けて何年後かに別の病院に行く、というのが通常なんですけれど、僕はそもそも仕事に対するモチベ―チョンが低かったので。でもそこは胸部写真とバリウム検査しかしないので、さすがにこの先が不安だと思い、ちょっとだけレベルを上げて整形外科クリニックに移りました。人の死を看取るとか、重病の人を受け入れるという病院に行きたいわけではないけれど、各部のレントゲンだけはちゃんと撮れるようになろうと思って。 

――投稿生活するなかで、どのように気持ちは変化していきましたか。

 もっと上手くなりたいと思いました。一度送って駄目だった作品を読み直しているうちに「ここが変だな」と分かるようになり、それを直していくという作業をするようになって。少しはましなものを書けるようになった時、電撃の短篇の賞で2次選考まで通過できて、はじめて選評をいただいたんです。今まで家族にも友人にも書いていることは言っていなかったので、人の評価をもらうのが初めてでした。それはファンタジーといっていいのやらなにやらという作品でしたが、わりと選評では「キャラクターがきちんと書き分けられている」とか「長篇を書く力があるんじゃないか」といってもらえ、キャラクラーの書き分けも高評価だったので、「自分はもうちょっと頑張ればいいものが書けるんじゃないか。労力を費やせるものがようやく見つかったんじゃないか」と思ったんです。
それで、いろんな作家さんの、自分が書きたい文章をスクラップにまとめてみたり、自分が使ったことのない単語を抜き出したりしながら執筆を続けていましたが、働きながらなのでどうしても時間がない。1年かけてようやく「これで送っていいかな」と思えるものが1作できる、というペースで。そんなことをしているうちに29歳になりました。

 大学時代の同級生は結構もう結婚もしていましたし、自分はようやく今、賭けてみたいものを見つけたけれど、この先もし結婚して家族を養うのに手一杯になったら、情熱を傾けることはできなくなる、と思って。昔と比べたら体力も落ちているし、頭もだんだん固くなっていく。このままでいたら、死ぬ間際に今のことを思いだして後悔するんじゃないかという気がしたんです。それに、クリニックでは少ない人数で一生懸命まわしていたんですが、医療法人になったタイミングでお給料が下がったんです。「一生懸命やってきたのに評価が下がるのか。それなら今やりたいことやらないと後悔する」と思い、辞めることにしました。ちょうど新しい人が入っていたこともあり「一人辞めても大丈夫そう」と思いましたし。
 親とも相談して、3年間集中して頑張って、まったく結果を残せなかったらまた資格を使った仕事に戻る、ということにしました。職場も、給料は下げたものの理解があって、「あかんかったら戻ってきていいから」と言ってくれました。

ミステリを100冊読む

――仕事を辞めて、ひたすら書く生活ですか。

 まず最初に、ミステリを100冊くらい読んでみることにしました。創作の基本となるものを押さえておかないと時間を無駄に使うんじゃないかというのがあって。スポーツの練習もそうですけれど、がむしゃらにやるのはもう流行らない。下手くそなまま何作書いたって一緒じゃないかと思いました。

――いろんなジャンルがあるなかで、なぜミステリだったのですか。

 ミステリというジャンルってなんだろうとは思っていたんです。世の中にはミステリと謳われた本があふれているけれど、実際に自分が読んできた米澤先生の『氷菓』も連城三紀彦さんも、全然タイプが違う。それと、謎があってそれが解明されるという展開は、ミステリに限らず面白い物語には当てはまると思ったので、その作り方をちゃんと勉強しておけば、この先自分が何を書く時にも基礎となるんじゃないかと思いました。

――100冊はどのように選んだのですか。

 それは本当に困りました。とりあえずインターネット上でミステリファンの人が作ったサイトなどを見に行って「読むべき100冊」みたいなものの上から順に買えるものを探していきました。それらを読んで、本当にミステリっていろいろあるなって思って。

――どんな作品を読みましたか?

 当然、綾辻行人先生や有栖川有栖先生の本も入っていました。他に、日本のものでは横溝正史、岡嶋二人、泡坂妻夫、鮎川哲也...。
 インターネットで検索したら、神戸にうみねこ堂書林さんというミステリ専門の古書店があるのを知って、そこにお世話になりました。「この人はどういう本を書くんですか」と訊いたり、「ジョン・スラデックの『見えないグリーン』が読みたいから探してください」みたいなお願いをしたり。「カーを読みなさい」とも言われましたね。

――ジョン・ディクスン・カーですか。『火刑法廷』とか?

 そうです、「『火刑法廷』を読みなさい」って言われて。あとは、不可能犯罪好きだったので、密室の短篇集を調べていくうちに有栖川先生が編んでいる『有栖川有栖の密室大図鑑』を知ったりして。あ、密室ですごいなと思ったのはクリスチアナ・ブランド。最初に読んだのが『ジェゼベルの死』かな。それで短篇集の『招かざる客たちのビュッフェ』を読んで、密室じゃないけれど『はなれわざ』を読んですごいなと思ったり。

――実際にミステリの賞に応募するようになったのですか。

 ファンタジーやホラーを書き続けていたんですけれど、短編の賞が少ないので、ミステリの新人賞にも挑戦してみることにしました。まだ謎解きのこともよく分かっていないけれど、ミステリになりそうなことが身の回りの医療絡みであってので、それをネタにして短篇を書いて東京創元社のミステリーズ!新人賞という短篇の賞に投稿したら、最終選考まで残ったんです。奇しくもその時の選考委員の一人に米澤先生もいらっしゃって、「探偵役が推理することなく真相を看破してしまうのはミステリとしてよくない」といった選評をいただいて。「今回の選考で最も胸を打つ場面があった」みたいなことも書いてくださったんですけれど。短篇というのは、事件が起きて最後に謎を解いて犯人が分かればいいわけではなく、一番盛り上がるところから始めたりして、ずっと読者を引っ張っていかなければいけない。なのに自分は、登場人物はこんな人で、何が起きて、誰々に聞き込みをして、その結果これが分かりました、みたいなことをダラダラーっと書いてしまっていたんです。それではミステリの構造にはならないというご指摘を受けて、「ああそうなのか」と反省すると同時に、「いきなり最終選考にいくなら、結構脈があるんじゃないか」とも思って。

 その時ですでに挑戦する3年間のうちの2年くらい経っていたんです。3年以内に結果を出すとなると、あと2回くらいしかチャンスがない。「次、何に応募しよう」と思った時に、同じ東京創元社に鮎川哲也賞という長篇の賞があって、応募締切が3か月後にあると知りました。長篇は書いたことがないし「本格ミステリを求む」とあるので自分にはできないと思ってすごく怖かったんですけれど、でもやってみるか、って。自分はそこまで難しいことはできないから、オーソドックスなことをやろうとなり、それで思ったのが『金田一少年の事件簿』だったんですよ。構造としてはシンプルに、どこかに行って1人目が死に、2人目が死に、3人目が死んで、そのいくつかに不可解な状況があって、最後に手がかかりから犯人が見つかるっていう。そうして書き上げたのが、『屍人荘の殺人』でした。

――執筆前に、綾辻さんの『時計館の殺人』や有栖川さんの『孤島パズル』を分析されたとか。

 全体の何分の1までに何が起きるかということを確認していきました。第1の殺人はここまでに起きる、とか。それまで、脚本の書き方の本を読んで起承転結の割り振りの勉強はしたんですけれど、それが本格ミステリでいうと何に当たるのかが分からなかったんです。特にミステリーズ!新人賞の選評で構造のことを指摘されていたので、それは押さえておこうと思いました。
 それで分かったんですけれど、ミステリを読んでいて「なにか退屈だな」と思うと、やっぱり配分がおかしかったりするんです。なかなか事件が起きなかったり、唐突に事件から始まったと思ったら前半に詰め込みすぎていたり。そういうことが気にならない作品って、やっぱり黄金律にちゃんと沿っている。
 「こういう法則があります」というと「それを裏切ったほうが面白いんじゃないか」とか「同じことをしても仕方ないだろう」とか思いがちですけれど、やっぱり黄金律は無数の前例があってはじき出されたものなので、違うことをやろうと思ったら、さらに面白いことでカバーしないといけない。だから、『屍人荘の殺人』は奇をてらったことはせず、オーソドックスなことで勝負しようとしました。それでいて、「おっ」と目に留めてもらうために、あれを存分に使いました。

――あれですね(笑)。本当によく、あれでクローズドサークルを作りましたよね。2作目の『魔眼の匣の殺人』も同じ主要人物が出てきますが、『屍人荘の殺人』を書いた時にシリーズ化を考えていたわけではなかったですよね? ただ、第1作目では回収されていない謎もある。

 シリーズ化は考えていなかったんですが、もともとシリーズものを沢山読んできたので、いかにも次に繋がりそうな雰囲気で終わるというのが読み心地として好きだったというのが第一にあります。次に、屍人荘のあの天災のような特殊な出来事に関して曖昧なまま終わらせたのは、犯人や探偵がそこに巻き込まれた上で互いにフェアに闘う部分が面白いのだから、その外枠については、たとえば「その後台風がおさまってこうなりました」というところまで書かなくていいだろう、という判断でした。

――3年のうちに『屍人荘の殺人』でデビューが決まって本当によかった。

 最終選考の連絡が1月末だったのかな。受賞の連絡が4月の頭にあったんですけれど、3月末に父親が旅先で怪我をして、意識不明の重体になったんです。今はもう元気になったんですけれど、その時はあと3、4日のうちに意識が戻らないと無理、あるいは重篤な障害が残ると言われていて、受賞の連絡を受けても喜べませんでした。後から聞くと、連絡してくださった編集長も「あれ? あんまり喜んでない」と思ったそうです(笑)。
 僕としては、運を使い果たしたんじゃないかって思ったし、父親が死ぬかもしれないからちゃんとした仕事に就いて家を支えなきゃいけない、そうしたら作家ができるか分からない、ということも考えていました。

――お父さんが快復し、作家デビューを果たし、大評判となり......。

 はい。その1年は本当にいろんなことがありすぎて、大変でした。

最近の読書&執筆

――ということで、2017年にデビューしたばかりですが、その後の読書生活は変化がありましたか。

 ミステリに偏りがちというのはあるかもしれませんね。それまであまり読んでいなかった古典も手に取る機会が増えました。これまではただの読者だったので、面白いと感じない作品は「自分には合わなかったな」ですませていましたが、最近は「でもこの作品はここがすごい。ここが優れている」と気づくようになりました。

――デビュー前はファンタジーやホラーを書いていらしたわけですが、今後も新本格系のミステリを書いていきたいと思いますか。

 自分の考え方はちょっと理屈っぽいところがあると思うし、小説もいろんなところを計算して書きたがるので、情に訴える作品はなかなか書けないと思うんですね。キャラクターに人間ならではの理屈に合わない行動をとらせようとしても「いやでも、さっきまでこう言っていたのにおかしいだろう」とか考えてしまう。恋愛ものとかってそうじゃないですか。僕が書こうとすると「向こうがああ言ったから、考えを見越してこう考えた。でもこの間の自分はこう言った引け目があるからこういうことが言えない」といったやり繰りをしてしまうので(笑)、面白くならないと思います。デビュー前に呪い拡散系のホラーを書こうとしたこともありましたが、「一緒にいた人物が呪いにかかって自分が呪いにかからなかったということは、呪いが発現するにはこういうメカニズムがあるはずだから、これを解くにはどうすればいいか」といった話になってきちゃって、結局それってミステリであって、ホラーとしては全然怖くない話になってしまって。だから、たまたまですけれど、今はようやく本格ミステリという、自分の得意分野に行き着いたのかなあ、と。
 逆に、本格ミステリのほうを伸ばしていければ、他のジャンルを書きたくなった時でもミステリの要素は入るのだから、何かしらできるんじゃないかなと思っています。

――シリーズ第2弾となる『魔眼の匣の殺人』も話題になっていますが、第1弾があそこまで話題になると、プレッシャーは相当あったと思います。前に、「ハードルが高くなって鳥居のようになっている」とおっしゃっていましたよね(笑)。

 自然と2作目は続篇にしようと思っていましたが、『屍人荘の殺人』を無理に超えようとは全然思っていなくて。評判自体、僕も編集者も予期していたものではなかったので、結局それはもう実力で作ろうと思っても作れるものじゃないから、無理をしてもようがないっていうことで、「屍人荘」の時にやったことを変わらずにやるしかないと思いました。なのでまあ、鳥居は見ないようにしていました(笑)。

――シリーズとして、密室を作り、オカルト的な現象を加える、というのは踏襲してますね。

 何をガジェットに用いるかを最初に考えました。「屍人荘」と同じことをやっても仕方がないし、同じにすると3作目のガジェットを考える時に苦しくなるので、「あれ、ちょっと違うな」と思ってもらうために、目に見えないオカルト的なものとして、「予言」というものを使いました。予言を使うならどういう場所で起こるのが一番面白いか、どういう人数構成でどういう予言をされると危機感をおぼえるか。密室も、事故的に起きたクローズドサークルではなく、予言に怯える人々が作ったクローズドサークルであったほうがいいだろうとか、予言に対する考えを使って、犯人にこういうカウンターを仕掛けられるだろう、とか...。ひとつひとつストーリー上破綻しないように何度も形を変えてみて、「こうするとこう考える読者も出てくるのではないか」と、読者が考える方向を予測してそれを潰していったので、苦労しましたね。すごく勉強になりました。

――それらが本当によくできていましたよね。一瞬も飽きずに一気読みでした。今、毎日執筆時間などは規則正しく決めて書いているのですか?

 いや、あんまり規則正しくはなくて。寝付くのが3時とか4時なので、起きるのが昼近くになってしまうんです。そこから契約している自習室に行くなどします。昼間は家にいたらだらだらするので、外に出るようにしているんです。ただ、仕事をやっていた時はちゃんと寝付けたのに、仕事を辞めたら身体がそんなに疲れないから、寝付けなくなったんですよ。いくら頭を使っていても、体力的な疲れとはまた違うので。

――ジムに通ったりしたほうがいいのかもしれませんね(笑)。さて、次作は、もう何か構想はありますか?

 シリーズ3作目を書く予定ですが、まだあまりちゃんとは考えていないです。ただ、もう犯人が意外なだけでは面白くないだろうなと感じていて。何か、ちょっと大きなことができないかなと思っています。