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「レンタルなんもしない人」さんは何をしてきたのか Twitterの活動記録が本に

文:加賀直樹 写真:斉藤順子

――「レンタルさん」とお呼びしましょうか。NHK「ドキュメント72時間」では、密着企画まで放送されていましたね。依頼はさまざま。「引っ越しを見送って」「離婚届の提出に立ち会って」「就活中の私に『大丈夫、きみならできる』と返信して」。そんな依頼に応えては、「なんもしない」で帰ってくるまでの感想をツイートし、15万人ものフォロワーが見守り続けていますね。

 ありがとうございます。

――そもそも最初のツイートには、こんな一節もありました。「ごく簡単なうけこたえ以外 なんもできかねます」。今日、どこまで踏み込んで話してくださるか、じつはちょっと不安を覚えながら来ました。本になって、これだけ大きな話題になると、反響も多いのではないでしょうか。

 反響……。僕よく、Twitterでエゴサーチ、自分の名前で検索しているんですけども、本についてはわりと「面白い」という声が多くて、嬉しい感じです。

――Twitterって「情報の滝行」。でも、その呟きがこのように1冊にまとめられ、読み返してみると、Twitterをただ眺めていた時とは異なり、「あ、この時ってレンタルさん、ちょっと落ち込んでいるみたい」とか、「この時は結構、はしゃいでいるな」とか、活動の流れを心身状態と共に定点観測で眺めるような、そんな印象を覚えたんです。

 「ツイートで見ている時とまた違った味わいがある」とは言われました。自分も、「なんか、この依頼、同じようなものが前にもあったな」とか、その時に過去のツイートまでパッと飛べなくてストレスを感じていたのが、本になったことで参照しやすくなり、カタチになったのがムチャクチャ嬉しいです。それから、(笑って)親に説明しやすくなりましたね。

【6月20日】
 「友達とだと会話が発生してしまい90分めいっぱい使えないから、何も喋らなくていい人に付き合ってもらいたい」という依頼にて、焼き肉食べ放題に同行。僕は彼女の四分の一も食べてないけど、人生でいちばん肉を食べた日になりました。テレビで見るやつに匹敵するくらい食べるひとで、いく店いく店で顔と名前を覚えられるんだそうです。(中略)依頼者はイヤホンしてスマホゲームをしながら黙々と食べていた。焼き肉の手際がめちゃくちゃ良くて、氷も駆使して網交換によるタイムロスがほとんど発生しないようにしてたっぽい。

【11月27日】
 「自宅に一人での勉強は集中できないから同席願う」との依頼が同じ人から二回あったんですが、二回目は駅までの出迎えもなくこちらの記憶を頼りに部屋まで行きスッと入室、部屋で特に何もせず過ごし、時間になりスッと立ち去るという感じで(中略)、もちろんそれを失礼だとは微塵も感じてなく、むしろよく理解してくれてるなと思っています。(いずれも本書から)

小学校のクラスで全然しゃべれなくなった

――TwitterのDM(ダイレクトメール)で依頼を呼びかけ、1日に3、4件、「なんもしない」ことをしに出掛けていくレンタルさん。活動を思いついたきっかけは、「プロ奢ラレヤー」さんの存在だそうですね。「奢られる」ことを生業にする、ネットで人気の「プロ奢ラレヤー」。知らない人はGoogle先生に尋ねてもらうとして、むしろ今日伺いたいのは「そもそもなぜ、プロ奢さんに魅力を抱くような人間にレンタルさんが成長したのか」。生い立ち、ご自身の性格・傾向について教えてください。

 生まれは名古屋で、すぐに兵庫県川西市に引っ越しました。大阪文化圏で、県境あたりの市なんですけど。父と母、きょうだいは上に2人います。兄と姉ですね。

――末っ子なのですね。どんなお子さんだったのですか。

 子ども時代は……、うーんと、いろいろ、ひとことでは言いづらい部分もあって。幼稚園の時まではふつうに、……「ふつうに」というのもナンですが、近所の子たちと一緒に遊んだり、ドッジボールしたり、ゲームしたり。ただ小学校1年、2年ぐらいの時に、場面緘黙症になって、全然クラスのなかで喋れなくなりました。家や近しい友達との間では喋れるけれど、クラスのなかでは一言も喋れない。そういう子どもでした。3年になったらなぜか治って、ふつうに喋れるようになって、公立の中高に行って、……そんな感じです。

――緘黙になったきっかけ、寛解したきっかけは?

 全然わかんないです。1回喋れなくなると、もう喋れなくなるんです。何でしょうね、「喋っていないな」って気づかれてしまうと、そのあと、言葉に注目されるのが怖くて、もう。

――話を振られて黙っていると、何を喋り始めるのかなと、周囲は待ちますよね。

 僕の場合、小学校の時にはクラスで、中学では塾で場面緘黙症を発症し、塾のなかでは一言も喋れなかったんです。大人になって、もう大丈夫かと思いきや、実家に帰った時に発症しました。いま、家族のなかで何も喋れないんです。親と喋れない。

――ご実家で緘黙になったのは、いつからですか。

 たぶん就職……、いや、会社を辞めてからかも。いつの間にか喋れなくなっていました。

物理に興味ひかれて大学院に進学

――大学は、大阪大学の大学院まで行かれたそうですね。理系だったとか。

 理学部の物理学科です。物理にもともと興味があったというか。中学の時に、塾の先生がアインシュタインの「相対性理論」の話をしてくれたんです。空いた時間にしてくれた話を聞いて、メッチャ面白いなと思って。「相対性理論」に次いで、この世の中の常識を覆す何かを発見できたらと思ったんです。

――学者や、大学の先生になろうと思ったのですか。

 あまり何も考えていなくて、とりあえず物理が最強だと思っていたので、もっと勉強できるところに行けたらと。「何かになろう」とか、そういう気持ちではなかったです。

――大学院を修了し、教材をつくる会社へ就職。それは、なんでですか?

 それは、なんで……(考えてから)研究者への道というのは、自分は無理だな、と思って。周りがかしこ過ぎたので、諦めてふつうに就職することにしました。そうすると(就職先が)自ずと決まってくるんですよね。大学時代の経験を就職活動ではアピールしないといけないなか、バイトで塾講師をやっていたことぐらいしかポイントがなかったので。

――塾では、何年生を教えていたんですか。

 いっぱい、いろいろ。小学生、中学生、高校生、大学受験生ですね。

――他人の前で教えるとか、誰かを導くとかって、ものすごいストレスが心にかかるのでは。

 あ、僕、そんな、教壇に立ったりとかはしていなくて、個別指導だったんです。といっても、導いたりもしていないです。逐一、教えてしまうとたぶん、ちゃんと身につかないと思っていて、極力なんもしないようにしていた。

――もう、その当時から「なんもしない人」だった……。

 そういう方針のほうが絶対に良いと思ったんですよ。教えてしまうと(子ども自身が)「わかった!」と感じられることを奪ってしまうんで。それで、なんもしないでいたら、クレームを受けました。保護者から。「ぜんぜん教えてくれない」って。だから、塾の先生とかやっていられないなと思いました。保護者が塾の先生に期待することと、僕が思う「良い塾講師」がぜんぜん違っていたんです。

――教材開発の会社には、何年間、在籍したのですか。

 3年間ですね。

コピーライターを目指した時期も

――辞めてしまったのは、なぜですか。

 それもいろいろ……。一言でいうと、居づらかったんですけど。どういう居づらさかというのは一口では言えないんですけど、同じ人と毎日、同じように顔を合わせてやっていくことが、しんどかった。あとは、チームプレー的に仕事を進めていくことが、自分の適性ではなかった。複数の仕事を同時に進めていく、マルチタスクといわれる仕事が、僕には向いていない。ほっておいてくれるとそれなりに成果を出せると思うのですが、仕事ってそうもいかないですよね。
 あと、毎年、同じような仕事を続けていくっていう。それがしんどかった。本当は昇格していくと、仕事の種類は変わっていくので、まったく同じことが続くわけではないですけど、昇格した先を見ても、先輩とか上司に面白いと思えるひとがいなかったんです。「こんな人にはなりたくない」ってひとばかりで。

――その後、コピーライターの道に行こうとされるのですよね。

 コピーライター養成学校に行きました。東京で、ですね。

――東京で学校に通いながら、バイトしたり仕事したりしたのですか。

 いや、仕事は特にしていないです。とりあえず失業保険をもらっていました。わりと半年ぐらいはお金に困ることはない状態で、次の仕事を目指すポーズができた。コピーライターを目指していたきっかけは、もともと趣味で、学生時代にやっていた「ネットオーギリ」というのがあって。

――え? え?? 「ネット……」。

 「ネット大喜利」。「こんな○●はイヤだ」「こんなとき○●ならどうする」ってお題が出て、それに対して気の利いた面白い答えを出す。インターネットでやっていて、そこに投稿するのが趣味だったんです。それが面白かったし、得意だったので、仕事に活かせないかな、と。それでお笑い芸人かコピーライター。「短い言葉で気の利いたことを言う」ってことならできるかなって。

――たしかに。

 お笑い芸人は、養成学校の試験には受かったのですが、ちょっと上下関係が厳しそうだから辞めて、消去法でコピーライターを目指しました。コピーの講座に通ったら、そこでの成績が1番だったんですよ。それで「あ、自分、これでやっていける」と思ったんです。でも、実際に仕事を受けて、やってみたら即座に、「広告業界ってヤバいな……」。体育会系のノリを求められるし、こちらが「1番良い」と思う作品って大抵、クライアントが理解できないから落とされて、無難な次善案が通る。交渉術も求められる。「自分には向いてないな」と思って辞めました。

――良いと思うものを理解してもらえない。波風の立たない感じでまとめなければいけない。コミュニケーション力も要求される。……辞めてからは、どうされたのですか。

 ちょっと日和(ひよ)ってしまって、不安を覚えたので、また就職したんです。1回目の会社の失敗の経験があるから、個人作業で黙々とできそうなもので、版元からの下請けで教材をつくる編集プロダクションに就職しました。でも、やっぱり無理だった。1年ぐらいで辞めました。いっぱい教材を抱え、1個1個を100点に仕上げていったら間に合わないから、優先順位をつけて、「これは80点」「これは60点で良いから」。やっぱり馴染めない。「会社勤め、自分は一生やらんとこう」と思いました。

――編プロのなかには、「1000本ノック」みたいな会社もありますものね。サラリーマンという選択肢に見切りをつけて、独立の道を歩まれたのですね。

 ちゃんと税務署で申告して、フリーランスの執筆業としてやっていこうと決めたんです。1個1個、依頼を受けて、それをやっていく。いままでの会社のコネクションを使って、問題集の問題をつくったり、解説文を書いたり。

「ネット大喜利」が縁で知り合った妻

――ところでレンタルさん、ご結婚されていますよね。1歳のお子さんもいらっしゃる。奥さまは、この本のなかにも時々登場しますが、関西ことばを喋っていらっしゃるから、レンタルさん、だいぶ前に出会ったのかな、と予想しているのですが。

 僕が大学生の時、その「ネット大喜利」のオフ会で出会ったんです。向こうも大喜利をやっていたんですけど。近くで暮らしていて、趣味もすごく合う。「ネット大喜利」という趣味が合うなんて奇跡的です。ごはん食べたりを繰り返して、付き合うようになったんです。結婚は就職1年目のときにしました。昨年から始めたこのサービスは、妻の心の広さと、息子のなんもわかってなさによって成り立っています。いまはこれ1本、サービスに専従しています。

――Twitterで始まり、依頼を受け、報告し、フォロワーがそれを見守る。じつに身近なツールとして活用されていますね。

 いま使っているアカウントの前にも、もう消しちゃったんですけど、いわゆるネタクラスタ、「はがき職人」みたいな感じで面白いツイートを載せて、「いいね」が集まって承認欲求を満たす、というのがあって、自分もそこの1人でした。Twitterはいちばんなじみのあるツールではありました。

【12月7日】
 「依然通ってた学校までの通学路を同行し、その頃の話を聞いてほしい」という依頼。依頼者いわく「トラウマの供養」とのこと。ある色の服を着てるとき特に嫌がらせをうけ、その色をずっと着れずにいたそうだが、この日はあえてその色を着ていた。やや気が晴れたようで今後もその色を着れそうと話していた。(同書から)

――サービスはもうすぐ1年になりますよね。微笑ましく、ときに寂寥感を残す依頼の宝庫。それからちょっと意外な、たとえば殺人犯や、カルト宗教関係者の依頼なども盛り込まれています。内容は読んでのお楽しみとして、AbemaTVの番組を見ていたら、ふかわりょうさんがレンタルさんのことを「面白い船が集まる港」って紹介していて、「まさに。良いこと言うなあ、ふかわ」と思いました。レンタルさんがネットで「新手のヒモ」と中傷されるのを見ていたところだったので、余計に感動しました。

 ああ、そうでしたね。(ふかわさんの発言を)時々思い返すことで気を保っているところあります。

「なんもしない」は意外と難しい?

――開始当初と、いまと比べ、変わってきた点はありますか。他人を見る洞察力、コミュニケーション能力が培われたり、あるいは「なんかこいつヤバそうだ」という危機察知能力が生まれたり。当初は無関心だったものが「こういう点には気をつけなくちゃ」とか。1年間の変化ってありましたか。

 メチャクチャいっぱいあると思います。どこをつまんで言えばいいか難しいですけど。……当初は、新しいことをやっているぶん、「なんもしないでいい」と思っていても、なかなか行動に移せない面が出てきてしまった。初対面の人と会って、気を遣ってしまったりしていたんです。依頼者のかたが大荷物を持っていたら、「持ちましょうか」と言っちゃったり。

――優しいですね。でもそれは、「なんもしない」本来のタスクからは外れてしまう。

 当時は「持たない」ということがストレスだったんです。いま思えば、「なんもしない人」を(依頼者は)求めているから、そこは「しないほう」が面白かった。最近はどれだけ依頼者のかたがしんどそうにしても、放置しています。命に関わらない限りは、こちらから手を貸すことはやめよう、と。そういうことも含めたエンタテインメントかなと意識し始めた感じがします。「なんもしない」ことが、いろんな人に面白がられ、ありがたがられているうちに、自信がついてきたのだと思います。

――外国から帰ってきた人を空港で迎える依頼の時には、荷物番をしたって書いていましたね。「あ、これ、『荷物番』って行為をしているな」って私、思ってしまったんです。「なんもしない」と「なんもしないわけではない」の線引きって難しい。……こんなことを言うと「なんもしない警察」みたいになってしまいますが。

 依頼者によりますね。荷物番について言えば、「ちゃんと荷物を見張っていてくださいね」という依頼だったら断っています。そのときは「出迎えてほしい」という依頼のついでに発生したので、その流れでしました。でも、荷物番は「なんかしている」ことになるので、最悪、その荷物が誰かに盗られても責任は取らないつもりです。

――カルト宗教の関係者や、殺人罪の服役を終えた人に会いに行き、話を聞く日がありましたね。 私などは「こんな重荷を背負っているのか、この人は」って、落ち込んでしまいそう。メンタル面での心配、読者の皆さんからも声が多いのですが、レンタルさん、「そんなの全然ない」そうですね。

 全然ないんです。本当に。まあその、「ない」点が批判されるところでもあるんですけど。共感能力が低すぎて、「人間として終わっている」と言われることがあります。「サイコパスじゃないか」って。たとえば、僕、さっきの「人を殺してしまった」という話を聞いて、レンタルの時間が終わった帰り道、軽くスキップしていた気がするんですね。ちょっと小走りしてしまった。「やった、すごい話聞けた」って。そうなるとTwitterに早く書きたくなるんです。もちろん「書いていいよ」って言ってくれたからですが。それから、「元・オウムです」の人に会った時も「うわ、凄い人に会えた!」という気持ちに。早くTwitterに書いて反響を知りたい。ネガティブな気持ちにはならないですね。

――エゴサ、1日にどれぐらい時間かけているのですか。

 スマホ触っている間は、エゴサーチしているか、DMへの返信をしているか。5時間ぐらいですかね。

――依頼を受けるポイントとしては、「ある程度、文明がある所」「国分寺駅からの交通費を出してくれる」というところですよね。

 僕が何もしなくても良いように計らってくれていると良いですね。それも、どこに行くかによる。ニューヨークに行けるなら多少の手間は何も感じないかもしれないですし、発展途上国だったらしんどいかもしれない。でも、それを言ったら怒られるかも知れないです。「文明」という言葉を使った時も、エゴサーチしていたら怒りの意見を見つけました。「未開の地」とか書くと怒られてしまう。

――でも、自分の言葉が、他人の琴線に触れることもあれば、怒りに触れることもあることが分かった1年だった、とも総括できますよね。

 そうですね。僕が全然、共感能力が低くて、どういうところが他人を傷つけるのか、まったく分からないところがあるんです。診断を受けていないのではっきりとはわかりませんが、どこか発達型の障害があるのかもしれません。

――レンタルさんは「アトピー性皮膚炎」で、刺激物の摂取はNG、という記述もありました。じつは私も同様なのですが、「他人にどう見られるか」を気にするところが幼少期、思春期には特に強かった印象を覚えます。私は中高の時など、髪や眉毛が抜け、始終ボリボリ掻くのが周囲に気持ち悪がられ、自己を嫌悪した毎日を送ったのですが、レンタルさん、ご自身の「アトピー」のことも、性格形成の上で影響を及ぼした面があるのかなと……。

 それはメチャクチャ大いにあります。僕も、小学校、中学校、高校の時にアトピーに苦しんで、手とか酷かったんで、ずっと「萌え袖」でしたね。ジョギングとかランニングで走らされる時に、指先だけちょこっと出す「萌え袖」で走っていたら怒られた。「手を出せ!」って。顔も荒れていたので、いつもうつむき加減。すると「暗いやつ」と思われる。いろんなところで性格に影響していたと思いますね。

フォロワー数増減はビットコインの値動きに似ている

――ところで、レンタルさんについて検索すると、必ずといって良いほど出てくる言葉が「炎上」。最近は、ジェンダーバイアスに抵触した発言が炎上しました。いちおう事態は収束し、レンタルさん自身も「これにてこの問題は語りません」と書いておられたので、もう終わりとは思うのですが、もし、いま総括したいことが何かあれば。

 あえて言うなら、炎上すると「あーあ、やっちまったな」って言われるんですけど、自分のなかでは全然「失敗した感」がないんです。いろんな意見が出て、渦巻く感じ。擁護派、反対派、傍観してせせら笑う人、ドン引きして去っていく人、ひとこと言って去っていく人、やたら分析している人……。ただ、ドン引きして去っていく人(の存在)が少し悲しかった。それはイヤだから、最近は抑えめにしています。でも、炎上に乗っかっていると、批判だけが吹き荒れるのではなく、そのうち良い意見、面白い意見もいっぱい上がってくる。面白いなと思いました。

――レンタルさん、フォロワー数の増減を、メチャクチャ気にしていますよね。

 そうですね。

――精神的負担になりませんか。

 やっちゃうので、しゃあないです。手が勝手に動く。ビットコインなどの値動きとわりと似たところがあると思います。ムチャクチャ増えた日って、軽率にフォローしている人が多いんですね。僕のことをよく知らずに「何か面白そう」と。それで、炎上すると「こんな人だったのか!」「思っていたのと違う」と去っていって、ちょうど良いところで落ち着く。増減については調整時期があるんですよ。その値動きみたいなものが、自然現象の一つとして面白いと思って見ているんです。

――フォローを外した人の名前をメモしているそうですね。

 あれは、ただ言っただけです。嘘です。

――「おカネはどうする」「家庭はどうする」という話は、ここで聞くのも野暮かなと思いつつ、貯金を崩し、幼子を抱えながらの日々。いっぽうで、毎日こんな面白いネタが次々と飛び込んできて、取材させてもらえる生活は羨ましくもあります。この生活、どこまで続いていくんでしょうか。

 いや、全然わからないですね。「なんもしない」サービスである以上、僕には何も決定権がないんです。続いていくか続いていかないか。おカネがどこかからいっぱい降ってきたら、続くだろうし。皆が「面白い」と思いながらも、ただただ「無料コンテンツ」が終わっていくさまを傍観されることになるかもしれない。わからないです、この活動がどうなるか。ただ、あまり「おカネをくれないと終わっちゃう」などと言わないようにしたほうが良いかなとは思っています。

――最後に、「これだけは伝えたい」ということはありますか。

 特にないです……大丈夫ですか、あんまり気の利いたこと言えなくて。(記事に)使えないこと、いっぱい言っちゃっていませんか……。

「好書好日」掲載記事から

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