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とっても難しい 柴崎友香

 空港で原稿を書いている。

 文字だとかっこいい感じがするが、出発前に終わらせる予定だった仕事が積み残されているだけである。

 空港で原稿を書くのは初めてだ。作家の友人から空港だと原稿がすごくはかどると聞いて、心底驚いたことがある。喫茶店やファミレスで仕事をするタイプの人もよくいるが、わたしは少しでも無理である。四方八方から人の言葉が入ってきて、頭の中の言葉とぐちゃぐちゃになってしまう。本を読むのさえ難しい。

 それが今、空港の出発ゲートのベンチで書けているのは、人が少ない上に、ここが外国で、周りから聞こえてくるのが、ほぼ英語、意味が頭に入ってこない言葉だからだ。

 長年疑問に思っていたことがある。ラジオを聞きながら受験勉強というやつだ。友人もそう言っていたし、深夜ラジオを受験勉強の友にとよく聞くから、実際にそれができる人がいるようなのだが、自分にはまったくその感覚がわからない。その人になって体感してみたい。

 わたしはどうも、聴覚も視覚もいろんなものがごっちゃになりやすいらしい。居酒屋など人の声が複数あるところで会話をするのも苦手だ。全然聞き取れない。わたしだけ何度も聞き返してしまって申し訳なくなる。文字も、カラフルな表示だとかえってわかりにくく、二色までぐらいがちょうどいい。

 順調に書けている、と思っていたのに、隣に座ったおじいちゃんが、さっき機内で見たクリント・イーストウッド主演の映画「運び屋」みたいで、すごい気になる。九十歳の老人が麻薬の運び屋をする話だった。隣にいるおじいちゃんも、足取りが不安なくらいのご高齢だが、なんとなく動きが怪しい。三分に一回、搭乗ゲートの表示を単眼鏡で確かめる。わたしの顔のすぐ横で長いこと単眼鏡をかざしている。と、思ったら、クロスワードパズルを始めた。気になって仕方ない。ああ、やっぱり人がいるところで仕事をするのは難しい。=朝日新聞2019年5月1日掲載