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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #3 再び空へ 境界線のなか、守られた思い出

文・東山彰良 写真・河合真人

 朝日新聞の社機「あすか」に乗って台湾を空から眺めてやろうというのが、この旅の主たる目的だった。

 与那国島から台湾を眺望するという私たちの試みは、寒冷前線の分厚い雲のまえにあえなく頓挫した。しかし、あきらめるのはまだ早い。プランAがだめなら、プランBに切り替えるまでのこと。私たちは注意深く天気予報をにらみ、再アタックを試みた。今度は台湾の上空をぐるりと一周する魂胆である。パイロットたちの話では、台湾北部にかかっているこの忌々(いまいま)しい雲も、南下するにつれて切れ間が出てくるはずだった。

 日本へ帰国する前日、私たちは不安を胸に台北松山空港を飛び立った。雨雲に目隠しされたまま、我々の飛行機はレーダー計をたよりに南へと機首をめぐらせた。私はあまり期待していなかった。それほど雨はしつこく降りつづいていた。

 どれほどもしないうちに雲が途切れ、灰色の街並みや緑の水田がちらちらと眼下をよぎっていった。私たちのパイロットは正しかった。南へ行けば行くほど雲が淡くなり、そしてついに視界が開けたのである! 呪われた雨雲は後方に飛び去り、淡い陽光が大地に降りそそいでいた。少し高度を落とすと、道を走る車や水田にたたずむ水牛が見えた。

本社機で台湾を飛ぶ。雲間から雨に煙る台北の街が見えた

 1992年にスペースシャトル・エンデバーに乗って宇宙を回遊した毛利衛は、「宇宙からは国境線は見えなかった」と言った。飛行機の窓から台湾の輪郭を目の当たりにした私にも、そんな純真なことが言えればよかったのに……。

 国境とはなにか? それは人間のエゴイズムから生まれ落ちた怪物である。

 昔々、誰かが地面を少しだけ囲って「ここはおらのもんだ、無断で入ってきたらただじゃおかねえ」と宣言した。それは野生動物が縄張りを主張するのとなんら変わらない。彼の関心は地球を安全で住みやすい場所にすることではなく、ただ略奪や殺人や獣の襲撃が横行する荒野に安心して眠れるちっぽけな場所を確保したかっただけである。

【動画】東山彰良さんと作品の舞台を歩く=佐々木亮撮影

 やがて、みんながそれを真似(まね)しだした。すると、縄張りが接する境界線で紛争が勃発した。「おらの土地から出てけ!」「おめえこそ出てけ!」強い者が紛争に勝利し、弱い者の土地を取り込んでいった。統合や併呑(へいどん)がえんえんと繰り返され、やがて帝国が生まれた。西の帝国は東の帝国を恐れ、北や南でもそれは同じだった。なぜなら、相手の考えていることが手に取るようにわかるからだ。この恐怖を根絶するには、敵の帝国を滅ぼして自国の版図を広げるしかない。さらに産業革命によって、自国製品のために市場を確保せねばならないという切羽詰まった要求も生じた。そうやって帝国同士が血みどろの戦いを演じ、大量の死者を出したあげく、疲労困憊(こんぱい)して到達した妥協点が国境である。

 いったい誰に、一番最初に土地を囲った者を非難できる? 彼は、彼にとってかけがえのないものを守りたかっただけなのだ。

 予定された折り返し地点から、「あすか」はふたたび北へと針路を取った。まただんだん雲が厚くなり、すべてを灰色に塗りつぶしていく。

与那国島の日本最西端の地。再度チャレンジしたが台湾は暑い雲に阻まれ望むことはできなかった

 台北松山空港に着陸したとき、雨は相変わらずしとしと降りつづいていた。

 私が子供のころ、台北は今とはくらべものにならないくらい胡乱(うろん)な街だった。通りはゴミと檳榔(びんろう)の噛(か)み汁で汚れ、人々は苛立(いらだ)ち、タクシーに乗ればぼったくられ、急発進するバスのせいで年寄りがすっころんだ。泥棒もわんさかいて、家々の壁の上には泥棒避(よ)けのガラス片が埋めこまれていた。

 だからこそ、身内や仲間をとても大切にしていた。それは生きていくうえでの要請だった。私はそんな場所で、愉快な少年時代を過ごした。世界には危険があふれていて、いたるところに罠(わな)があり、ときには痛い目も見たけど、そこにはひりひりするような生の実感もあった。

 私の心の一部はいつだって台湾に帰りたがっている。だけど今回の旅で感じたのは、私が国境を越えて帰りたいと願うのは台湾という場所ではなく、どうやら台湾とともにある私の思い出のなかなのだ。そしてその大切な思い出たちは、あらゆる意味で頑丈ななにかに守られていた。大人たちが守ってくれたその場所で、私はなんの心配もなく、わがままに成長することができた。

 宇宙どころか、地上千メートルからでさえ、たしかに国境線など見えなかった。だけど、それはいたるところにある。ジョン・レノンの歌のように、国境のない世界を想像するのは楽しい。国境を必要としない世界には、いかなる葛藤も危険も不条理も存在しないだろう。そして葛藤や不条理がなければ、愛の存在意義もまたあやふやになる。愛は人を守り、人を傷つける。個人的な見解だが、愛と葛藤は同じコインの表と裏なのだ。

 未知なる脅威から人が人を守ろうとするかぎり、悲しいけれど、他者との境界線がきれいさっぱり消えてなくなることはないのかもしれない。我々の根っこは、いつだってこの境界線に守られたちっぽけな場所とともにある。まあ、もしあなたがマザー・テレサ級の愛を想像しているのなら、話は別だけれど。=朝日新聞2019年6月22日掲載