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朱野帰子さんが本気で好きだった偉人の伝記 ヘンテコな子供時代が希望に思えた

 作家になると「どんな本が好きか」と頻繁に訊かれるものだと思っていた。

 しかし、びっくりするくらい訊かれない。あれはたぶん「自分もああなりたい」とインタビュアーが思うような憧れの作家にのみ投げかけられるものなのだろう。そんな結論に達したため、このテーマについて真剣に考えてみたことがなかった。普通に本が好きな子供で、図書館にある名作はだいたい読んだように思う。そのくらいしか答えられない。

 一つだけ、他の子と違っていたかもしれない「好きだった本」があるとすれば、偉人の伝記である。これも図書館には必ずあるし、夏休みの読書感想文を書くのに便利なジャンルだが、本気で好きだった子供は案外少ないかもしれない。

 私は自分を変わっている子供だと思っていた。幼稚園でも、小学校でも、友達を作れなかった。普段はさほど困らないが、遠足の班決めの時には、私を受け入れてもいいという言うクラスメイトが現れず、ホームルームが長引いた。そのためか、名作と呼ばれる物語に出てくるような、誰にでも愛されるタイプの主人公に共感できなかった。

 それに対し、伝記シリーズに入っている偉人たちの子供時代は、だいたいヘンテコである。エジソンは小学校をドロップアウトした。キュリー夫人は本を読むのに夢中で、友人たちが周りに椅子を積み上げたのに気づかなかった。ガリレオは質問ばかりして教師を困らせた。後に偉人となるとわかっているから、「やはり子供時代から偉人は偉人だったのです」という風に書かれてはいるものの、実際にこんな子らがいたら、親や教師は扱いかねるだろう。

 けれど、「こんな変な子供でも、大人になって社会に居場所を見つけることができたんだ」という事実は、子供時代の私を心底安堵させた。ただ、その思いを読書感想文に書かなかった。周囲の大人たちが笑うだろうと思ったからだ。「偉人と自分を重ねるなんて、思い上がっている」と。

 私だって、偉人になれると思っていたわけではない。ただ、今は学校で浮いていても、別の場所では受け入れてもらえるかもしれない。今はマイナスに評価されている特徴が、プラスに評価される未来もあるかもしれない。そんな小さな希望にすがらなければ、「朱野さんを入れてくれる班はありませんか」と先生が連呼する教室で立っていることなどできなかった。「エジソンだって、キュリー夫人だって、ガリレオだって」と心で唱えていなければ、あの惨めな時間を耐え抜くことはできなかった。

 そんな私だが、高校に進むと友人がいないという悩みはすぐ消えた。よく考えてみれば、私の育った地域では、外で遊ぶのが大好きな活発な子がマジョリティで、本を読む子はマイノリティであった。その地域から何キロか外に出ただけで、私は平凡な子になった。私の「変わっている」なんて、そんなものだったのである。

 近年、偉人の列に、新たにスティーブ・ジョブズが加わった。子供時代の彼は、ヘアピンをコンセントに差しこんで感電したり、授業中に花火をしたりしていたらしい。やはり偉人のヘンテコは世界レベルで突き抜けている。だからこそ時代を超えて、生きづらい子供たちの英雄であり続けるのだろう。