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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #4 東京 憂鬱から逃れられぬ街【動画有】

文・東山彰良 写真・河合真人(上の写真は佐々木亮撮影)

 先日、ある文学賞の贈呈式に招かれて上京した。

 たらふく酒を飲んだ翌朝、ふとかつて暮らしていた界隈(かいわい)を散策してみようと思い立った。30年ほど前、私は1年間だけ東京に住んでいた。前夜の酒がまだ残っていたし、雨も降っていたが(またしても!)、やめようとは思わなかった。宿のある飯田橋から九段下までとぼとぼ歩き、地下鉄に乗った。

 私が就職したのは1991年のことである。1985年のプラザ合意によってもたらされたバブル経済はこの少し前に崩壊していたが、世の中にはまだその余韻がうっすらたなびいていた。私は実力もないくせに夢見がちで、努力を惜しんで楽することばかり考えているような大学生だったので、いきなり世の中に放り出されてひどくうろたえてしまった。それまでのほほんと暮らしてきた生ぬるい福岡から引き離され、東京ではじめて一人暮らしというものを経験したのだが、まるで釣り上げられた魚みたいに人生に騙(だま)されたような気がしたものだ。

 ざっくばらんに言って、東京は私にとってひどく苛立(いらだた)しい街だった。そこでは夢を追うこともできるけれど、私の夢はなにもかも捨てて旅に出ることだった。それが叶(かな)わないのなら、死んだほうがましだと思っていた。噓(うそ)じゃない。それまでも自分は社会的不適合者なのではないかと恐れていたのだが、東京へ出てみてそれが確信に変わった。他人が当たり前にできることが、私にはできなかった。他人が平気な顔でやりすごせることでも、いちいち腹が立つ。本当に笑いたいときしか笑いたくなかったし、くだらないものに対してお愛想をふりまいたりしたくなかった。これが人生ってやつなのか?

 食って寝るだけのために、みんなこんなつらい思いをしているのか?

停車中の世田谷線のヘッドライトが線路を照らした

 私は1年きっかりで会社を辞めた。その頃に書いた日記がある。1992年1月22日、どうやら私はこの日に退職の意思を会社に伝えたようだ。

 課長と面接をする。会社を辞めて、なにがある? 金の問題じゃないとかっこつけてみても、やっぱりそれは金で苦労したことがないからだ。いい会社に入ったのに、それを捨てる? けど、おれはもう止まらん。夢を手にできるだろうか? 今までずっと中途半端にやってきたおれが、これからどうがんばれる?

 それでも、おれはやってみよう。どっちにしろ後悔するかもしれんのやったら、思うとおりにやってみよう。おれの人生、たいしたことないぜ。執着に値せん。やけん、思い切ってやってみよう。やってみよう。

 わっはっは! まあ、ようするに私は馬鹿なガキで、本物の人生の重みに耐えかねて駄々をこねていたのだ。

 三軒茶屋で電車を降りると、街の変わりっぷりにまず戸惑った。東京はいつだってよそよそしいけれど、少しだけ知っているはずの街がこうもよそよそしいと無常観もひとしおだった。辞表を出した日、私はこの街で景気づけにトンカツを食べた。ビールも飲んだ。私がひとりぼっちで壮行会をやったその小さなトンカツ屋は、オシャレな商業施設に駆逐されていた。

 背中を丸めて雨のなかを歩いていると、かつて三軒茶屋映劇があったと思(おぼ)しきあたりでなにかに呼ばれたような気がした。一度だけ会社をサボってそこで映画を観(み)たことがある。作品名まで憶(おぼ)えている。ブルース・ウィリスが出ていた『ハドソン・ホーク』だ。どうしても観たかったわけではないのだが、私が会社を辞める時期にこの名画座も閉館することが決まっていて、なんとなく一度くらい入っておこうという気になった。映画はどうしようもなくくだらなかった。滅びゆく映画館の暗がりで、私は憂鬱(ゆううつ)な未来におびえていた。

今ものどかな風景が残る世田谷線沿線。夕方、子供たちが家路についた

 つぎは東急世田谷線に乗って、宮の坂まで行った。同行の記者とさんざんほっつき歩いたが、私が昔住んでいたアパートを見つけることはついぞできなかった。それでも、いくつかの記憶が雨に打たれて道端にたたずんでいた。

 ある日、私は見知らぬ人から壊れた自転車を譲り受けた。彼はそれを粗大ごみとして捨てに行くところだった。私はそのポンコツを自転車屋まで押していき、破れたタイヤと壊れたブレーキを修繕してもらった。自転車屋のオヤジはタイヤを替えなければだめだと言ったが、私は応急処置でかまわないと言い張った。オヤジは溜息(ためいき)をつき、タイヤの破れ目にパッチをあててくれた。これじゃまたすぐにパンクしてしまうだろうよ。オヤジが警告し、私はうなずいた。

 タイヤがふたたび破裂してしまうまで、私はひと月ほどその赤い自転車を乗りまわした。翼が生えたような気分だった。その夜、三軒茶屋の路地裏を走っていると、ペンキで絵が描かれた石ころを見つけた。どんな絵だったのかはもう思い出せないが、たいした絵ではなかった。自分のなかにまだ子供の心が残っていることをほのめかしたい大人か、さもなければ本当に子供が描いたものにちがいない。掌(てのひら)にすっぽり入るくらいの小石で、ほかの石に交じって落ちていた。私はその石を拾って持ち帰り、しばらく部屋に飾って眺めていた。

三軒茶屋の通称「三角地帯」。地図にも載っていない迷路のような路地に飲食店がひしめいている

 東京へ行くと、私は人に会い、酒を飲み、それなりに楽しい時間を過ごす。だけど、ふとした瞬間にひんやりしたものを感じてうろたえてしまう。深夜に自棄(やけ)っぱちで自転車を乗りまわし、なんの価値もない石ころに(つまりは自分自身に)なにか意味をこめようとしていた時代から冷たい風が吹いてくる。すると、私はもっと酒を飲む。もっと楽しくならなければ、もっともっと幸せにならなければと焦ってしまう。その逃れられない回帰が、私にとっての東京の本質なのだ。=朝日新聞2019年7月20日掲載

作家・東山彰良さん 20代の頃に1年間住んだ街を再訪=佐々木亮撮影