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憲法学者・芦部信喜、没後20年の夏に 弁護士・遠藤比呂通さん寄稿 

芦部信喜(1923~1999)

靖国参拝への「異論」 政治への怒り

 憲法学者の芦部信喜(あしべのぶよし)が75歳で他界してから、今年で20年である。芦部は、日本を代表する憲法学者であり、憲法訴訟論の開拓者として著名である。

 1983年、私は22歳のとき、憲法学の研究者になることを志して、芦部の研究室の門をたたいた。翌年、芦部は、中曽根康弘政権下で設けられた官房長官の私的懇談会「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」のメンバーとなった。後年、私は憲法訴訟をテーマとする対談で、政治利用がなされる可能性が高い靖国懇になぜ入ったのか、という質問を芦部にぶつける機会があった。93年のことである。

 このとき、穏やかだった芦部の態度が一変した。芦部が「ペテンにかけられたようなものでね」と権力者に対しての激しい怒りをあらわにしたのである。芦部の根底には、人間の命を犠牲にして積み重ねられる政治犯罪への激しい怒りがあることを知った。

 「学徒出陣」させられた経験を持つ芦部は、43年10月の「出陣学徒壮行会」において、「一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を亨(う)けたる諸君の進むべきただ一つの途(みち)である」との内閣総理大臣の辞を、このとき想起していたのだと思う。

 85年8月9日の靖国懇報告書は、「内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきである」とした。この報告書を「社会通念」として利用した内閣総理大臣中曽根康弘は、同月15日に公式参拝を実施した。しかし報告書には、芦部の次のような「異論」が明記されていた。

 「靖国神社公式参拝は、政教分離原則の根幹にかかわるものであって、地鎮祭や葬儀・法要等と同一に論ずることのできないものがあり、国家と宗教との『過度のかかわり合い』に当たる、したがって、国の行う追悼行事としては、現在行われているものにとどめるべきである」

 芦部が「異論」を明記させたことは、日本の立憲主義の歴史の中で記録されるべきことである。97年、最高裁判所は、愛媛県知事が靖国神社へ公金を支出したことを憲法の政教分離原則に違反すると判断した。その際、考慮されたのは、靖国懇報告書の結論ではなく、「異論」の方だったからである。

 芦部は、憲法9条の改正に一貫して反対する平和憲法学を提唱した。またくる8月15日を前に、その礎が、「学徒」を「英霊」として利用する試みに対する怒りであったことをおぼえたい。=朝日新聞2019年8月14日掲載