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円居挽さんを大学のミステリ研へと誘った清涼院流水「コズミック」 「なんでもアリ」という希望と複雑な思いと

「今年、1200個の密室で1200人が殺される。誰にも止めることはできない」 ― 密室卿

 1994年の日本、密室卿を名乗る者の予告通りに各地で毎日三件の密室殺人が起きていた。日々増え続ける密室殺人もさることながら、そもそも密室卿とは何者なのか……この巨大な謎を迎え撃つのはJDC(日本探偵倶楽部)に所属する数百人の名探偵たち。はたして彼らは真実に辿り着けるのだろうか?

 ……とまあ、とにかく過剰だ。今でこそこうした出オチすれすれの作品は珍しくもないが、あの当時はコロンブスの卵だったのである。というか、『コズミック』は日本ミステリ界に落ちた巨大隕石だった。出版直後はパーティーそっちのけでミステリ作家たちがみんな『コズミック』の話をしていたそうだ(そんな本が今ありますか?)。当時の私は直接その熱狂を浴びたわけではないが、その破天荒な設定、そして作者や版元の挑発的な言動に痺れ憧れ、氏が在籍していたというミステリ研へ入ることを決めた。

 しかし大学生になり、いざミステリ研に入ってみると、ようやく『コズミック』が、清涼院流水がミステリ研や業界で蛇蝎のように嫌われていたことを知った。ついでに氏がミステリ研と喧嘩別れ同然で退会していたことも知り、「自分は何をしにここに来たんだ」とひどくショックを受けた。

 それでも「何が好きだろうが、書いて作家になってしまえば関係ない」と息巻いていた私もほどなく自分の才能がなさを思い知り、素直にミステリを学ぶ(なんて厭な言い回しだ!)ことにした。しかし学べば学ぶほど、古典に先回りされているような気分になり、新雪の野なんてどこにもないと絶望して、作家志望として長くくすぶる羽目になった。一方で「何もそんなに流水先生を嫌わなくても……」と思っていた私もやがて先輩たちの気持ちが次第に理解できるようになり、そしてやたらと詳しいアンチに反転してしまった。映画「アルマゲドン」の時のようになかったことにできなかったのは、氏が禁じ手のようなネタでさっさとデビューしてしまったことへの複雑な感情もあったのかもしれない。

 とはいえ入学から丸六年以上ミステリに取り組んだ甲斐あって、ミステリ研では劣等生だった私もどうにかデビューの目処が立つぐらいにはなった。そしてそのお陰で(というのは勝手な言い草だが)、作家清涼院流水がどんな苦悩の上に誕生したのか手に取るように理解できるまでになっていた。

 創作意欲に溢れた若者が自作で新しいことに挑んでも、マニアからは褒められるどころか「もう××が書いてるよ」「趣向はともかく全然昇華できてない」と言われてしまう……まあ、その指摘自体はもっともな内容だったかもしれないが、氏がマニアや業界から認められない苛立ちから一連の作品群を生み出していったのは想像に難くない。どこへ向かっても誰かの足跡がついているのなら、その先が袋小路であっても誰も歩いていない道を選んだというわけだ。

 氏は『清涼院流水の小説作法』の中で「20代でサラリーマンの生涯年収ぐらいは稼いだ」と書いていたのだが、おそらくその稼ぎの大部分はJDCシリーズによって賄われていた筈だ。それほどのドル箱作品だったJDCシリーズだが、実は2004年の『彩紋家事件』を最後に中断してしまっている。そもそもこのシリーズの持ち味は過剰なまでのインフレーションだ。だが『カーニバル』三部作で地球規模の事件を扱ってしまった以上、次は太陽系や銀河系、三次元全体、あの世まで拡大しなければならない。まあ三次元全体やあの世は冗談としても、どう考えたって作者や読者の知覚を超えてしまう……そんな袋小路に行き当たってしまったのだろう。最近の氏は英語や翻訳、歴史方面に活動の場を移している。『コズミック』でデビューした時点からいつまでもあのシリーズを続けられないことは宿命づけられていたかもしれないが、氏にはどんな形であれJDCの清涼院流水でい続けて欲しかった。

 ただ『コズミック』の出版は全国の作家志望者たちに「こういうのも許されるんだ」「なんでもアリなんだ」という希望を抱かせた。そういう意味でも出版業界に大きな風穴を開けたのは間違いない。

 作家になって十年経つが、今になって思うとどうしてあそこまで新しさにこだわっていたのか自分でも理解に苦しむ(これはまあ、若さや新しさを新人作家の魅力として宣伝してきた版元も悪いのだが)。ミステリ作家として新雪の野を行くのは格好いいが、それはそれで茨の道であるし、実のところ誰かの歩いた道を歩く方がずっと楽だ。あの頃の私に必要だったのは「誰かが歩いているかもしれませんが、この先に宝がありそうなので自分はこのルートを行きます」と胸を張って言える強さだったのかもしれない。

 あと最後にこれだけは言っておきたいのだが……清涼院流水に憧れてミステリ研に来た作家志望者はそれなりにいた。だがある者は去り、ある者は筆を折った。そんな中、氏の影響下にあって作家になったのは私が初めてだ。勿論、そこに複雑な思いはあるが私が直系なのはまぎれもない事実だ。

 氏にとっては悩んで辿り着いた袋小路だったのかもしれないが、私にとっては起源になった……そういう意味で『コズミック』は今でも特別な一冊である。