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怪奇小説の「沼」へ引きずり込む英米短編のマスターピース 「幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成」

文:朝宮運河

 まだまだ厳しい残暑が続く今日この頃。A・ブラックウッド他『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』(平井呈一訳、創元推理文庫)は、暑さ対策にもってこいの納涼怪談本である。部屋のカーテンを下ろしてページをめくれば、エアコンなしでも1℃、2℃と体感温度が下がってゆくのを感じられることだろう。

 収録されているのは、英米両国の作家によって書かれた怪奇小説の名品13編。怪奇小説の巨匠として知られるH・P・ラヴクラフト、A・ブラックウッド、M・R・ジェイムズらの代表作をはじめとして、E・F・ベンソン、シンシア・アスキス、オスカー・ワイルドなど、いずれ劣らぬ手練れの短編を厳選収録している。英語圏において長い歴史を誇る怪奇小説というジャンル。その頂点において光を放つ宝石だけを拾い集めたような、決定版的セレクションである。これから英米怪奇小説を読んでみたいという人は、本書から読んでおけばまず間違いはないだろう。

 表題作の「幽霊島」は、カナダの離れ小島に一人滞在することになった男の物語。夜ごと聞こえてくる怪しい物音に悩まされていた彼は、やがて湖水を滑ってゆく丸木舟を目撃する。濃淡のある自然描写によって雰囲気を盛りあげながら、ここぞというタイミングで決定的な怪異シーンを描き出す。
 どぎつい現代のホラーとは異なり、恐さの中にもどこか懐かしく、奥ゆかしい手ざわりを感じさせるのもクラシックホラーの魅力。中世の遺跡で古い笛を拾った男が、この世ならぬ恐怖に見舞われるM・R・ジェイムズ「〝若者よ、笛吹かばわれ行かん〟」は、そんな怪奇小説の醍醐味が詰まった逸品だ。もしこの作品を面白いと感じられたなら、怪奇小説の〈沼〉にはまりこむ素質は十分である。
 そのほかにも、今日の貴族的な吸血鬼イメージを確立したジョン・ポリドリ「吸血鬼」、サイコホラー的恐怖の先駆けとなったJ・D・ベリスフォード「のど斬り農場」、古い屋敷に住みついた幽霊が現実主義者のアメリカ人一家を恐がらせようと奮闘するオスカー・ワイルド「カンタヴィルの幽霊」などバラエティに富んだ諸編は、発表から長い年月を経てもなお恐さと面白さを失わない。

 これらの作品を訳出した平井呈一(1902~76)は、『全訳小泉八雲作品集』『アーサー・マッケン作品集成』などの訳業で知られる一方、『世界恐怖小説全集』『怪奇小説傑作集』などの画期的アンソロジーの編纂にも携わった在野の翻訳家。戦後の日本で怪奇幻想小説が受け入れられる土壌を準備した、偉大なる先達である。
 怪奇小説のもつ愉しさを達意の語り口で紹介した平井の文章が、後続世代に与えた影響は甚大なものがある。私自身は平井の没後このジャンルに開眼した世代だが、『怪奇小説傑作集』などに収められた名解説によって、どれほど〈怪奇魂〉に火を点けられたことか。平井呈一が存在していなければ、今日の怪奇幻想文学シーンは大きく変わっていただろう。
 『幽霊島』はそんな平井の偉業を、一望できるアンソロジーでもある。緩急自在の名調子で訳された13編に加え、フランス文学者・生田耕作との対談、怪奇小説の魅力を伝えるエッセイ・書評などを収録。世俗的成功には背を向け、こつこつと怪奇小説の翻訳に取り組んだ平井の生涯には、思わず感動を覚えずにはいられない。

 注目すべきホラー系の新刊が多数刊行された2019年夏。『幽霊島』は、そんな怪奇のシーズンを締めくくるにふさわしい決定打的一冊だ。平井翁の素晴らしいガイドに導かれて、身も凍る英米怪奇小説の世界を訪れてみてはいかがだろうか。