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いちばん書評したくない本とは 作家・門井慶喜さんオススメの3冊

  • 井波律子『書物の愉しみ』(岩波書店)
  • 木原育子『一郎くんの写真 日章旗の持ち主をさがして』(月刊「たくさんのふしぎ」2019年9月号、福音館書店)
  • サキ『ウィリアムが来た時』(深町悟訳、国書刊行会)

 いちばん書評したくない本は何か。きまってる。他の著者の書いた書評集だ。ましてや井波律子『書物の愉(たの)しみ』のような逸品となると、読者や著者に「ふふん、門井はその程度か」と笑われる可能性がある。書評集を書評するのは、つまりは自分で自分を合否判定にかけるにひとしいのだ。

 それでもこの本をとりあげるのは、もちろんおもしろいことが第一ながら、人間と文体の関係のひとつの理想があるからである。何しろ30年以上にわたり新聞や雑誌へ書きつづけた書評等がおおむね発表順にならべられ、しかも文体に差がない。つまりこの書評家は、いきなり完成形で世にあらわれたのだ。

 となると逆にクリアになるのは技術の成熟で、その最高の達成は、たとえば芦辺拓『紅楼夢の殺人』の文庫解説あたりか。まずは知らない読者も多いだろう『紅楼夢』のあらすじを手ぎわよく述べ(井波氏の専門は中国文学)、それが小説にどう利用されたかを解き明かしつつ、しかしミステリの結末にふれることは完璧に回避する。たいへんな離れわざである。堅実な専門家と、すれっからしの評論家と、いつまでも胸のわくわくを忘れないお話ずきの少女が三人四脚で書いたよう。

 中国のつぎは日本である。『一郎くんの写真』は、子供むけかと甘く見るなかれ。なるほどアメリカで見つかった、戦中の、寄せ書き入りの日章旗のもちぬしを探すという話そのものは珍しくないが、著者は新聞記者である。図書館で電話帳にあたるという小さな一歩から大きな真実にたどり着くまでの道のりは地味でしかも感動的だ。単なる取材の苦労話をこえて、歴史における事実調査のすぐれた実例になっている。

 最後はヨーロッパの長篇(ちょうへん)小説『ウィリアムが来た時』。著者は本名ヘクター・H・マンロー、イギリス人の男性作家。

 発表が1913年、すなわち第1次大戦勃発の前年であることに注意しよう。イギリスがドイツとの戦争に敗(ま)け、ロンドンを占領されたという一種のシミュレーション小説で、主人公であるイギリス人夫妻の態度は対照的だ。新しい権力者に近づいて良い暮らしを保とうとする妻と、イギリス人の誇りを忘れまいとする夫と。

 東京をアメリカに占領された実体験を持つ私たちには少々観念的な話だが、文章は切れ味がある。ことに人間の愚かさに対する皮肉ときたら。=朝日新聞2019年9月8日掲載