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「ヨーロッパ憲法論」 「人間の尊厳」を基盤に展望を拓く 朝日新聞書評から

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月21日
ヨーロッパ憲法論 (叢書・ウニベルシタス) 著者:三島憲一 出版社:法政大学出版局 ジャンル:社会思想・政治思想

ISBN: 9784588010972
発売⽇: 2019/07/11
サイズ: 20cm/232p

ヨーロッパ憲法論 [著]ユルゲン・ハーバーマス

 2011年初版の本書を8年後の日本で読む読者は、オバマ大統領時代の、昨日の世界からやってきた書物という印象を抱くかもしれない。けれども、「トリクル・ダウン説」で富裕層優遇を正当化した、1990年の「ワシントン・コンセンサス」の行き詰まりを見届けた著者の洞察は、「政治家やその経済顧問たちの大失敗」から目をそらす「象徴政治」の横行、という今日的状況を既に見切っている。「ポスト真実・デモクラシー」の到来もみごとに予見されており、読み応えがある。トランプ大統領の登場やブレグジット、排外主義の蔓延といったその後の展開は、読者が補って読むべきであろう。
 そうした現実にどれほど失望しても、冷戦後の世界における方策は、「資本主義のダイナミズムを内側から馴致(じゅんち)し、文明化する」こと以外にあり得ない。それゆえ著者の関心は、「文明化」に至る「媒体」「メディア」としての、「法」へと向かう。ドイツ社会哲学の最高峰がいかなる法哲学を打ち出すか、80年代末の法学者は固唾(かたず)を呑んで見守ったものだった。この間、急速度のグローバル化が、国際法を立憲化した(本書では「憲法化」)という見方と、むしろ国際法の断片化を促進したという見方とが対立したが、著者は独自の民主政論に基づく立憲化テーゼの基礎づけに取り組んだ。
 応用編たる本書では、「EU市民」の身分とEU構成国の「国民」の身分とが重畳するEU民主政の現状を、国家連合や連邦国家としてではなく、あえて一種の身上連合として再構成してみせた(本書の翻訳はこの点曖昧である)。EUの主権者=憲法制定権者とEU構成国の主権者とを同一人が兼ねる構造を、別々の王国の王冠を同一人がかぶることで成立する、同君連合になぞらえたのである。
 国家エゴでEUを揺さぶる各構成国は、「国民」の主権を過度に強調するだろう。しかし、そこにいう「国家」や「国民」とは、民意形成手続きを定める各国憲法という「メディア」を、実体化したものに過ぎない。幽霊の正体が枯れ尾花だとわかれば、生身の市民の「人間の尊厳」こそが、EUにおける「連帯」を支える基盤であることは自明だ。かくして、「EU市民」に軸足を置き直した「ヨーロッパ」のその先には、カントの構想した世界市民法、つまりは憲法化された国際法への展望が拓けてくる。
 本書には、「市民」と「国民」の双方の立場に配慮しつつ、EUその他の国際組織における民主的正当性の欠如を補うための、具体的な提案も多く盛り込まれている。「良き立論の持つ説得力」が文明化のダイナミズムの鍵である。
    ◇
Jurgen Habermas 1929年、ドイツ生まれ。社会哲学者。フランクフルト大教授などを歴任。ドイツ思想界をリードし、国際的にも影響を与えてきた。著書に『公共性の構造転換』『事実性と妥当性』など。