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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #6 耳福の夏 人生を歌う伝道師との邂逅【動画有】

文・東山彰良 写真・河合真人

 いつからだろう、夏になにも期待せず、ただ暑くて厄介な季節だとしか思わなくなってしまったのは。

 ところがどっこい、今年の夏はひと味違った。フォークシンガーの中川五郎さんに会うべく、猛暑の福岡から炎暑の京都へ赴いたのだ。

 河合塾京都校で「ピート・シーガーと日本のフォーク」と題されたトークイベントがあり、中川さんはそこへ登壇してフォークソングを語り、数曲歌ってくれることになっていた。数年前に亡くなったピート・シーガーは今年が生誕100周年で、それを記念してのイベントだった。

 ピート・シーガーといえば、このコーナーのタイトルに拝借した「TURN! TURN! TURN!」という歌を創った人である。当コーナーと縁浅からぬ(と私が勝手に思っている)そんなピート・シーガーについて、彼の歌を何曲も日本語でカバーしている中川さんが語るのだから、これはもう聴かずにはいられなかった。

 いちおう塾生に向けたイベントだが、近頃の若者はフォークソングなんかに興味はなく、聴衆のほとんどがいわゆるフォーク世代のご年配の方々であった。老いてますます自由という感じで、みなさん目をキラキラさせて中川さんの登壇を今か今かと待っていた。聴衆のなかには片桐ユズルさんもいらっしゃった。片桐さんといえば、中山容さんと共訳した『ボブ・ディラン全詩302篇』を私はいまも愛読している。

河合塾で開かれたトークイベント「温故知新 ピート・シーガーと日本のフォーク」で話すフォークシンガーの中川五郎さん

 中川さんの穏やかなお人柄もあって、イベントは最後まで和やかな雰囲気だった。往年の名曲「受験生のブルース」や中川版「We Shall Overcome」を聴くことができたのは眼福ならぬ耳福であった。トークは軽妙で、フォークソングに対する中川さんの一貫して変わらぬ姿勢のようなものが垣間見えた。フォークソングは社会への抵抗たれ。中川さんの歌には社会に対する怒りと疑問が、おそらく半世紀前とすこしも変わることなく息づいている。控えめな聞き手役、河合塾講師の佐々木米市さんが歌手の早川義夫さんの言葉を引用してイベントを締めくくった。早川さんは中川さんとも縁が深く、かつて一緒に『フォーク・リポート』という雑誌を編集していたそうだ。

 ロックは今を歌い
 歌謡曲は過去を歌い
 フォークは未来を歌う

 そういえば、コーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」という映画の主人公はボブ・ディランの師匠筋にあたるデイヴ・ヴァン・ロンクがモデルだが、彼の決め台詞(ぜりふ)がこうだ。

 「古くて新しけりゃそれがフォークだ」

 なるほど。中川さんの時代のフォークソングとは明日のことを、それもぼうっと座っているだけでやってくる素敵な明日などではなく、いま行動しなければ明日をも知れないぞという苛立(いらだ)ちを歌っていた。そうした危機感は時代とともに更新されていく。なぜなら問題は変わっても、問題の根っこにあるもの――無能な政治家、人々のなかに眠る差別意識――は変わらないからだ。その根っこについて歌っているかぎり、フォークソングはいつまでも古くて新しい。

【動画】作家の東山彰良さんがフォークシンガーの中川五郎さんと語り合った=佐々木亮撮影

 トークイベントのあとは、言うまでもなく飲んだ。じつは、私はシンガーとしての中川五郎よりも、翻訳家としての彼に興味があった。

 この人からは一生自由になれないだろうな、と思ってしまうような人物がいる。出会った瞬間にその人を中心に世界が整理されていくような。私にとってチャールズ・ブコウスキーは間違いなくそんな人物のひとりで、中川さんは日本ではじめてブコウスキーの長編小説を翻訳した方なのだった。中川さんはワインを飲みながら、はじめて出版社に持ち込んだ原稿は『詩人と女たち』だったと教えてくれた。下品すぎるという理由で、出版を断られたのだということも。

 私が初めてブコウスキーの著作に触れたのは、近所の貸本屋が店をたたんだときだった。いまから20年以上もまえのことである。その店で1冊50円でたたき売られていた『くそったれ! 少年時代』を買った。もちろん、中川五郎訳である。

 一読、魂を地球の裏側までぶっ飛ばされてしまった。それからは憑(つ)かれたようにブコウスキーの本を読みあさった。彼が書いているのは下衆(げす)で、悪臭ふんぷんで、どうしようもないろくでなしの、ありのままの人生の詩(うた)だった。夢を追いかけるとはどういうことか、女に苦しめられるとはどういうことなのか、生活に首を絞められる味や、酔っぱらわずにはいられない夜のことや、やさしさとあきらめが紙一重だということを私は彼の本から学んだ。原書でも読んだし、ポエトリー・リーディングの音源まで手に入れて聞いた。

下鴨神社で開催された古本市。多くの出店が並び、ウイークデーにもかかわらず大勢の人が集まっていた

 翌日もまた中川さんの歌を聴きに出かけた。

 京都某所にある自然食屋さんでの、こぢんまりとしたライヴだった。前日のトークイベントとは打って変わって、その日の中川さんはご自身のことについてたくさん歌った。婚外の恋、家庭からの出奔、後悔、ひとりぼっちの夜のことをときに吼(ほ)えるように、ときに訥々(とつとつ)と。

 もしブコウスキーが私にとって神だとすれば、中川さんはさしずめ神の言葉を伝える伝道師だということになる。そして、もしピート・シーガーが中川さんにプロテストソングを歌わせているのだとしたら、ままならない人生について彼に歌わせているのは、やはりブコウスキーなのではないかと思った。

 2019年の夏、私は私とブコウスキーをつないでくれた恩人との邂逅(かいこう)を果たしたのだった。=朝日新聞2019年9月21日掲載