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驚異と怪異に魅せられて モンスター好きに贈る「クトゥルー神話」アンソロジーなど4冊

文:朝宮運河

 ギリシャ神話からホラー映画にいたるまで、「怪物」はわれわれ人類にとって長らく恐怖と好奇の対象であり続けてきた。今月の時評では、そんな恐ろしい怪物たちが登場する新刊をいくつか取りあげてみたい。

 エレン・ダトロウ編『ラヴクラフトの怪物たち 上』(植草昌実訳、新紀元社)は、現代作家による〈クトゥルー神話〉のアンソロジーだ。アメリカの怪奇作家H・P・ラヴクラフトによって創始され、今日ではアニメやゲームの元ネタとしても広く知られる〈クトゥルー神話〉の関連作品はすでに数多くの邦訳書があるが、その多くは前世紀に執筆されたもの。2014年に原著が刊行された本書は、今日の〈クトゥルー神話〉の動向を伝える貴重な一冊ということになろう。
 ハードボイルド小説のタッチで神話の世界に挑んだニール・ゲイマン「世界が再び終わる日」と、レアード・バロン「脅迫者」の2作で肩慣らしをした後は、インドネシア出身の作家ナディア・ブキンの「赤い山羊、黒い山羊」で血まみれのゴシックホラーに浸りたい。丘の上に建つグナワン家の屋敷に、子供の世話係として雇われることになったクリシュ。まだ幼いプトリとアグスの姉弟は、生まれたときから〈山羊乳母〉と呼ばれるものに庇護されてきたという。ほどなくクリシュは、暗い廊下で下半身を剛毛に覆われた、山羊のような人間を目撃することになる。
 「山羊乳母がほんとうのママなんだもん! 山羊乳母はみんなのお母さんなんだもん!」と叫ぶプトリの姿があまりに痛々しい同作は、ホラーの古典的名作『ねじの回転』を換骨奪胎しながら、魔に魅入られたグナワン家の怪異を荒涼としたムードとともに描ききった。インドネシアの土着信仰を巧みに取り入れた、一読忘れがたいアジアン・クトゥルー怪異譚である。

 続くブライアン・ホッジ「ともに海の深みへ」もなかなかの秀作だ。人気テレビ番組に出演する動物行動学者のケリーは、ある日アメリカ軍のヘリコプターに乗せられ、孤島に設けられた捕虜収容所へと運ばれる。そこに収容されていたのは、1928年にマサチューセッツ州の港町インスマスから連行された異形の住人たちだった。ケリーに与えられた任務は、人の言葉を話せなくなった収容者たちとのコミュニケーション。魚のように変貌し、恐るべき長命を誇る彼らは、海底から響き渡る音に反応しているらしいのだが……。
 ラヴクラフトの代表作「インスマスの影」の後日談の形を取った同作は、海底への畏怖と憧憬というアンビバレントな感情を、家庭にトラブルを抱えたケリーの視点を通して描いてゆく。大胆にして独創的なアプローチには、この手があったか、と快哉を叫んだ。

 その他にも、博覧強記の作家キム・ニューマンによる洒落た小品「三時十五分前」、密林の奥に潜む巨大水棲モンスターの脅威を冒険小説風に描いたウィリアム・ブラウニング・スペンサー「斑あるもの」など、〈クトゥルー神話〉の新たな可能性を感じさせる8編。タイトルが示すように、「私たちの次元の外から侵入してくる、生物学的にはありえない巨大な」(「序」より)怪物の勇姿をたっぷり堪能できるアンソロジーでもある。下巻にも期待したい。

 ところでそもそも〈クトゥルー神話〉って何? という方にお薦めしたいのが、H・P・ラヴクラフト『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(南條竹則編訳、新潮文庫)。
 魔術によって生み出された透明の怪物が派手に暴れまわる「ダンウィッチの怪」、忌まわしい神が海底で復活の時を待つ「クトゥルーの呼び声」、魚顔の住人に支配された港町を描く「インスマスの影」など、〈クトゥルー神話〉の中核をなす8編のホラーを新訳した傑作コレクションである。各編で断片的に示される情報を繋ぎ合わせることで、壮大な暗黒神話の世界観が浮かびあがってくることだろう。収録作のセレクトといい、平易ながら格調ある訳文といい、初めてラヴクラフトに触れる若い読者にぴったり。それにしても一部のマニアが知るのみだった〈クトゥルー神話〉が新潮文庫に入る日が来ようとは……感慨深いものがある。

 石神茉莉『蒼い琥珀と無限の迷宮』(アトリエサード)は、かつてヨーロッパで流行した〈驚異の部屋〉をイメージしたという怪奇幻想短編集。珍奇で人を驚かせるものを蒐集・陳列した王侯貴族の部屋さながら、同書にはホムンクルス、鉱物、地図、人形と魅力的なアイテムがずらりと並ぶ。
 人魚などの怪物も数多く登場するが、日本の妖怪〈小豆あらい〉とイギリスの妖精伝承をさりげなく綯い交ぜにした「I see nobody on the road」のように、いずれもマニアを唸らせる趣向が凝らされている。個人的には同作と移動カーニバルの一夜を描いた「月夜の輪舞」、クトゥルー神話を幻想的に扱った書き下ろし作品「You are next」がベスト3だろうか。異界に呼ばれ、眠るように滅びてゆく人びとの姿を端正な文体で綴った、密度の濃い一冊。デビュー以来、営々と非日常・非現実の夢を紡いできた著者の存在は、もっと知られてもいいはずである。

 今回なぜ怪物をテーマにしたのかと言えば、国立民族学博物館で開催中の特別展「驚異と怪異――想像界の生きものたち」が見たくてたまらないからである。
 霊獣、幻獣、怪獣など「この世のキワ」に存在するものを集め、現代のクリエイターの作品もあわせて紹介した同展示は、ホラーファンなら見逃せないものだろう。しかし東京在住の私にはなかなか大阪まで足を運ぶ機会がない。カタログ『驚異と怪異 想像界の生きものたち』(国立民族学博物館監修、山中由里子編、河出書房新社)を眺め、渇きを癒やしているのだが、奇怪な仮面や人魚のミイラなど楽しげな展示物の数々に、いっそう興味を掻き立てられてしまった。ああ、すぐにでも飛んでゆきたい!