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「線虫 がん検診」とは? 研究者・広津崇亮さんが語るその全貌と可能性

文:北林のぶお 写真:山田秀隆

尿を取るだけの高精度ながん検査を実現

――線虫を使ったがん検診の仕組みについて、あらためて教えてください。

 他のがん検査との違いは、生物の能力を使っている点にあります。昔から研究動物として使われてきた「シー・エレガンス」という線虫は、匂いを受け取る受容体が人の3倍、犬の1.5倍あり、優れた嗅覚を持っています。その線虫が、健康な人間の尿に対しては嫌いだから逃げていくのに対して、がん患者の尿には好きだから寄っていく、という性質を発見したのがスタートです。

――線虫を利用することで、がん検診はどう変わるのでしょうか。

 現在のがん検査に問題があるとすれば、精度が高いものは値段が高く、安いものは精度が低いという、二極化している面が大きいです。次世代の検査は数十万円もかかるとされ、一方で気軽に受けられる腫瘍マーカーの多くは、早期がんだと10%程度の精度しかありません。日本人のがん検診率は先進国の中でも低いのですが、精度が高く値段が安いものをつくらないと、検診率は上がらないのではないでしょうか。がん検査を面倒だと思っているような人たちにも、尿を取るだけの簡単で、かつ精度が高い検査があることを知ってほしいと思います。

――N-NOSEの実用化に向けて、当面の計画は?

 2つの大きな壁をすでに突破している状況です。一つは、精度の高さを証明するために臨床試験の症例数を増やすことですが、目標の数値をクリアしてゴールにたどり着きつつあります。もう一つは、人間が目で見て解析していたのを効率化しなければなりませんが、必要最低限な部分の機械化には成功しました。検査センターの場所も決まっており、あとは尿を運ぶスキームを確立させようという段階。もう少しすれば、正式に発表をさせていただけるはずです。

――実際にN-NOSEを受けると、費用はいくらかかりますか。

 最大でも9000円台のラインは守りたい。1万円を超えないことが大切だと思っています。社員が検診を受けるのに全額あるいは半額の補助を出す、と言っている企業も出てきました。がん患者1人に対する抗がん剤やオプジーボ(免疫治療薬)の費用は、1千万円単位とも言われています。それを健保組合などが保険料で負担しなければならなくなる前に、全員に安い検査を受けてもらって、がんを早期発見しようというのが時代の流れだとも言えます。

――2年目以降に規模が大きくなれば、受ける側の負担もさらに減るのでは?

 もっと安くなる可能性はあります。初年度は25万の検体数を予定していますが、ニーズに応えているとは言えません。医療機関などから「25万人しか受けられないのでは困る」との声もいただいています。がんの早期発見が求められる中高年の方は日本国内だけでも6000万人いますが、それだけの数に対応できる検査態勢を、できるだけ急ピッチで進めていきたいですね。もちろんグローバル展開も並行して急がなければなりません。

嗅覚の研究は、医療を超えて広がっていく

――がんの種類の特定に関する研究もスタートしたそうですが。

 実用化の段階でのN-NOSEは、がんのリスクしかわからないので、1次スクリーニング検査としての利用になります。陽性だった人は、次にがんの種類を特定する検査を受けるのが大変だという問題は残っています。そこで、特定のがん種の匂いに反応する受容体がわかれば、線虫でがん種も特定することも可能です。現在は、すい臓がんで研究を先行して進めているところ。さらには、白血病を含む小児がんを検査するための研究も始まっています。

――線虫の嗅覚を使った研究について、どんな展望を持たれていますか。

 がんだけではなく、いろんな病気を克服するために使えるのではないかと思います。アルツハイマーなどは、早く予防すれば薬である程度進行を抑えられるのですが、検査する手段がないそうです。他にも早期発見すべき病気はたくさんあるはずで、機械では検査できなかった病気も、生物の能力を使えば早期に発見できる可能性があります。

――本書では、医療以外のアイデアにも触れていましたね。

 例えばアロマテラピーって、今は科学的ではないように言われていますが、科学的に根拠づけることができないかとか、そんなことをずっと考えてきました。匂いで集中力を上げるとか、気分を良くするとか、そういう効果を解析できたら面白いですし。もしかすると免疫力を高めることができるかもしれない。未知の分野であるだけに、アイデアはいろいろ思いつくのですが、今はそこまで手が回らないですね(笑)。

若い研究者に新たな道の可能性を示したい

――線虫でのがん検査に至るまでには、3つの「発想の転換」があったとのことですが、その中で最も大きかったのは?

 私自身が生物学者だったので、線虫の能力を生かして検査をすることについては、皆さんが思われるほど大きな発想の転換ではありませんでした。大きかったのは、検査を使う尿を薄めるという発想の転換です。これは、尿が原液のままだとうまくいかなかったので、普通なら濃くすると思うんですけど、むしろ濃すぎるから変な反応をするのではないかと考えて、薄めたら大正解でした。

――香水の量が多すぎると不快感を与える、というのは人間も同じです。

 たまたま、匂いの濃度によって線虫の感じ方が違うという基礎研究をやっていたので、それがなければ成功していなかったかもしれません。基礎研究というのは、何の役に立つのかわからないと言われがちですが、基礎研究なくして科学の発展はないのだということを実感しました。

――一方で、基礎研究の現場をめぐる環境は厳しくなっています。

 それが、この本を書いた理由の一つでもあるんです。研究費が年々下がっていく中で、研究者の方も自ら外に発信していなければいけない。基礎研究と言えども、そもそも研究というのは世の中を良くするためのものであって、すぐには役立たないにしても、こういうことができるというのを説明できるはずです。私自身の体験を伝えることで、研究者が将来に向けて進んでいくやり方として「こういう道もあるんだよ」と示せたらいいなと思っています。

――研究者自身が一念発起して起業するのは、あまりなかったケースとも言えますね。

 40代前半で、大学教員として生きる道もあったのに、新しい道に勇気を持って踏み出すというのはこういうことだと知っていただけたら。基礎研究者なのにベンチャーをつくって、お金をどうやって集めて、協力者をどう得て、研究がこう進んだ、という例を示したかったんです。まだ成功例だとは、現段階では言えないのですけど(笑)。

――学生時代から実験が大好きで、社長になった今は研究室が恋しくなったりすることは?

 研究所に行くと懐かしく思うこともありますが、今は社長業が面白くて。根っからの経営者ではないからなのか、新鮮な驚きが多いです。理学部の基礎研究とベンチャーは、ゼロから1を生み出すためにどうすればいいのかを考えるという点で似ています。フィールドは違いますが、研究を前に進めようとしていたのと同じような感覚でビジネスに臨んでいます。毎日が楽しいですね。