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#34 文学としての「地球の歩き方」 ウズベキスタン・ヒヴァ

ウズベキスタンのヒヴァにある、パフラヴァン・マフムド廟

 最近のデジタルネイティブ世代は、旅の情報をSNSの「#(ハッシュタグ)」で探すと聞いたことがある。見たい風景、食べたいローカルフード、泊まりたいホテル、やってみたいアクティビティなどから、旅先を決め、さらに詳しい情報収集に当たるのだとか。出版されているガイドブックよりも、インターネットに書かれる口コミを頼りにする傾向にあるという。

 そう考えると、私は随分と古風なやり方をしているかもしれない。なんとなく行きたい旅先が決まったら、その土地に関するガイドブックを一通り買い、読み込む。特に、海外旅行の場合、『地球の歩き方』はマスト。むしろ、買わないと落ち着かないし、買わないといけないとさえ思っている。他誌を圧倒する情報量で、痒いところにも手が届く感じがするし、郊外の小さいな街の情報も、ページ数はわずかだが、きちんと載っている。感覚としては、旅の「お守り」として持っている感じ。

城壁に囲まれているヒヴァの街並み
城壁に囲まれているヒヴァの街並み

 その情報量が一番の魅力だとは思うが、同時に『地球の歩き方』の面白さは、文章にあると思う。先日、ネットの記事で「『地球の歩き方』を100冊読んで発見した、最も詩的な一節を発表する」という企画が拡散されていたが、まさにその記事の通りで、『地球の歩き方』は読み物として実に面白い。行った人にしか分からない、独自の「文学」が書かれていると思う。

私の場合、世界一周中に読んだ、ウズベキスタンのヒヴァでの記述が最も記憶に残っている(『地球の歩き方 D15中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々 2015~2016年版』)。

この町に入った時の第一印象をどう表現したらよいのだろうか。サマルカンドの青色、ブハラの茶色の町並みから受ける印象とはまったく異質のものであり、完全にタイムスリップしてしまう。特に朝と夕方の、観光客やみやげ物屋の人たちがいなくなった時間は、自分が何者であるかを考えさせられてしまうだろう。また月光に照らし出された時など、かつて存在した奴隷市場のにぎわいや、残虐なヒヴァのハンの仕業を思い出したら、怖くて歩けなくなるに違いない。(93ページ)

 この文章を見つけた時に、自分で書いた文章かと錯覚した。首都のタシケントから入って、青の都サマルカンド、古都ブハラにそれぞれ滞在し、チャーターしたタクシーで片道7,8時間ぐらいかけて、ようやくたどり着いた、ヒヴァ。城壁に囲まれた迷路のような街は、マドラサ(学校)やモスク(礼拝所)が立ち並び、まるでロール・プレイング・ゲームの主人公にでもなったかのよう。そう、私も「タイムスリップ」した感覚に陥ったのだ。

 英語もあまり通じないし、いつも以上に一人旅の孤独を味わうのかなと思っていたが、宿でたまたま1人の日本人の大学生と出会う。彼女はタシケントに語学を学びに来ている留学生で、ウズベキスタン国内旅行の最中だった。彼女の語学力に大いに助けられながら、一緒に地元のオススメのレストランに行き、ウズベク料理を堪能。そして、一緒に夜の街を散歩する。

ヒヴァで出会った日本人留学生と一緒に食事をした
ヒヴァで出会った日本人留学生と一緒に食事をした

 月が綺麗な夜だった。静まり返った旧市街。8世紀には存在したと言われる街に、日本人女性が2人。聞こえるのは自分たちの話し声と、風の音ぐらい。ふと、その悠久の歴史と、自分たちのちっぽけな存在のコントラストを肌で感じる。こんなにも昼と夜とで街の表情が変わるなんて。写真を数枚撮って、20分足らずで宿に戻った。頭のどこかで「かつて存在した奴隷市場のにぎわいや、残虐なヒヴァのハンの仕業を思い出した」のかもしれない。

 『地球の歩き方』を読み直しては、私はあの旅を思い出す。