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手塚治虫の〝ノワール作品〟復刻 生命・欲望・復讐、濃密な「黒手塚」

 昨年から濱田髙志(たかゆき)の編集で、雑誌連載のかたちを中心にして手塚治虫の“ノワール(暗黒)作品”の復刻シリーズが刊行され、この9月刊行の『ブルンガ1世』で第1期5巻が完結しました。

 まずは、大きな判型で、カラー頁(ページ)も完全に復刻されているので、手塚治虫の独創的なタッチの魅力が十全に味わえるのが、このシリーズの特長です。

 とくに『アポロの歌』冒頭のカラー頁は、雑誌連載の2色カラーではなく、初めて原画を4色カラーで再現したので、その鮮烈さがショッキングです。射精直前の5億個の精子が擬人化され、1個の卵子にむかって挑むのです。そのばかばかしいほどの生命の狂乱と蕩尽(とうじん)のようすを見ると、バタイユの「死に至るまでの生の称揚」というエロティシズム論を連想するほどです。

 『アポロの歌』は当初、性教育マンガとして描かれたことが話題を呼びましたが、そんなチャチなものではありません。ここには、手塚マンガの最大のテーマである生命の神秘が異様な生々しさで視覚化されているのです。

 一方、『ダスト18』は、このシリーズで初めて刊行されたものです。というのも、手塚はこの作品を単行本化したとき、途中で打ち切りになった連載版を描き換え、『ダスト8』として発表したからです。しかし、今回の雑誌オリジナル版『ダスト18』は、生命の神秘という主題を近代科学的な解釈に委ねずに提出し、『ダスト8』よりはるかに豊かな余韻を響かせています。

 今回のシリーズのもう一つの特長は、いわゆる「黒手塚」の作品を集めたところです。手塚治虫はヒューマニズムを謳(うた)いあげる作家として認められていますが、逆に、悪や人間の否定的な面を強調する作品も少なからずあり、主流をなす前者の系譜は「白手塚」、マイナーだが強い印象を残す後者は「黒手塚」と呼ばれているのです。

 このシリーズでは、人間の欲望が凶暴な馬と化してあばれ回る『ボンバ!』や、悪魔が人類を破滅させるために特殊な生物を人間にプレゼントする『ブルンガ1世』が、いかにも黒手塚らしい寓話(ぐうわ)といえるでしょう。

 しかし、いま黒手塚作品として最もアクチュアルな意義をもつのは『アラバスター』です。これは、差別に復讐(ふくしゅう)しようとする男が正義を見失って無差別殺戮(さつりく)に走る物語だからです。まさに、世界中が国家、民族、宗教の独善から戦いに向かう現在の社会情勢を予言しています。手塚は、正義の主張がたやすく独善と他者の否定に変質することを、先の大戦から骨身に染みて学んだ人だったのです。=朝日新聞2019年10月9日掲載