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#22 日常にささやかな変化が生まれた生麩・七変化☆ 藤野恵美さん「初恋料理教室」

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子
 落しぶたを取ると、大根はおいしそうに色づいていた。中央にスペースを作って、生麩をふたつ、煮汁にひたすように入れる。むにむにとした生麩は、智久にとって、未知の食べ物だ。(中略) 生麩は、鶏肉のうまみと大根の甘味をふくみ、くにゅくにゅと歯に吸いつくような食感が楽しい。「生麩って、もちもちしておいしいですね。はじめて食べました」(『初恋料理教室』より)

 「食いしんぼん~ご当地味巡り編~」今回の舞台は京都! 路地にたたずむ古びた町家長屋で、男性限定の料理教室を開いているのは、小柄でちょっと謎めいている小石原(こいしはら)愛子先生(推定年齢は60歳以上)。図書館で出会った女性の一言がきっかけで、愛子先生の料理教室に通うことになった智久は、ここで様々な料理と人々に出会います。愛子先生が教えるのは、一汁三菜を基本とした「おばんざい」の数々。作中に登場するお料理は、作り方のコツも書かれているので、実際に作ってみたくなりますよ。 
 著者の藤野恵美さんに、料理教室を舞台にしたきっかけや、初恋の思い出などを伺いました。

京都へ旅行に行きたかった

——まずは作品の舞台を「お料理教室」にしたきっかけから教えてください。

 この作品を立ち上げる頃、忙しくてなかなか旅行の時間も取れず「そうだ、京都を舞台にした話を書けば、取材という名目で出かけられるぞ」と思い、京都の町家や建築物について雑誌などで調べていたんです。ふと、築百年以上の町家長屋にある料理教室の写真が目に留まり、一目惚れしてそこに取材に行くことにしました。
 モデルとなった料理教室は、若い女性の先生が教えていらして、私が取材に行った時も女性の生徒さんばかりだったのですが、なんとなく、本作の主人公である智久というキャラクターが浮かび、男子限定の料理教室が舞台になったんです。

——愛子先生の料理教室では、フランス人パティシエや女装した大学生など、様々な人が出会い、ここで覚えたお料理をきっかけに色々なご縁にもつながっていくんですよね。「料理教室」というコミュニティーを、どうお考えになりますか?

 「同じ釜の飯を食う仲」という言葉もあるように、一緒にご飯を食べると親しくなりやすいと思います。しかも料理教室は食べるだけじゃなく、作ることも一緒に行うので、共同作業によって分かり合えるというか。それから、習ったことを家で再現する、というところも、ポイントですよね。教室内で完結するわけじゃなく、習った料理をその後も作ることで、愛子先生の教えが続いて、広がっていく……というのが、この作品を書いていて、一つテーマとして見えてきたものでした。

——京都に住んでいながら、これまで生麩を食べる習慣がなかった智久ですが、料理教室で初めて食べたことで、その後の日常にささやかな変化が生じます。京都(または、関西)の方たちにとって、生麩は身近な食べ物なのですか? 

 私が住んでいる大阪のスーパーでも、生麩は普通に売っています。精進料理にも使われるので、関西にいると法事の仕出しなどでも食べる機会があるんじゃないかなという気がします。ちなみに、大阪生まれ大阪育ちの私は、大人になるまで「ちくわぶ」という食べ物の存在を知らず、まだ食べたことがないのですが、グルテンを多く含んだもちもちした食べ物らしいので、生麩に似ているのかな……と想像しています。

——もっちりとした食感や、つるんと滑り落ちていく喉越しに魅了された智久同様、生麩は私も大好物! 華やかな京料理の陰でひっそりとしている食材でありながらも、あの味わいと食感は何ものにも代えがたいですよね。作中では、煮物のほか、麩まんじゅうに田楽、チーズの挟み揚げなど、調理法や食材の組み合わせによって七変化する生麩ですが、藤野さんはどんな印象をお持ちですか?

 生麩は、ちょっとあぶって柚子味噌をぬった田楽にすればご飯にぴったりで、チーズという海外の食材と出会って新しい美味しさを作り、あんこを包んで甘いデザートにもなるなんて、本当に懐が広いですよね。私も物心ついた頃から、生麩田楽が好きでした。多分、初めて食べたのは、どこかの仕出しのお弁当だったと思います。甘辛い味噌の味わいと、むにゅっとした食感がたまらず、たくさん食べたいなぁと思っても一口分くらいしかなくて、その物足りない感じに、ますます心惹かれたのだと思います。

——作中に出てくる「大根と鶏の炊いたん」にも生麩が入っていますが、関東で言うところの煮ものが「炊いたん」になると、なんだか可愛らしくてより美味しそうに感じますね。この他に、京都特有の食べ物の言い方をご存知でしょうか?

 「衣笠(きぬがさ)丼」は、京都ならではの雅やかな名前だなと思います。九条ネギと油揚げの卵とじをご飯にのせた丼で、大阪では同じようなものが「きつね丼」と呼ばれています。それから、メニューではないのですが、竃(かまど)のことを「おくどさん」と言うのが好きです。「お揚げさん」とか「お豆さん」とか、食べ物に対しても、丁寧な言い方をするのが可愛いですよね。あと、大阪でも言いますが、ゆで卵のことを「にぬき」と言うのも響きが可愛くて好きです。

——地域によって、同じ食べものの言い方がそんなに違うとは知りませんでした! さて、本作のタイトルであり、テーマにもなっている「初恋」ですが、藤野さんの初恋の思い出にまつわる食べ物のお話をこっそり(笑)教えてください。

 私の人生のおいて、初めて「恋人に手作りのお菓子を食べさせる」ということをした時に、とてもじゃないけれど食べられないものが出来上がってしまい、大失敗してしまったんです。これまで本やドラマなどのフィクションから得た知識によると「愛情は最高のスパイス」という感じで、たとえ上手にできていなくても恋人の作ったものを男性は喜んで食べてくれるものだと思っていたのですが、さすがに完食してもらえなくて(苦笑)。「どんなに好きな相手が作ったものでも、食べられないものは食べられないよな……」と、その時に現実を知りましたね。

——終章では、愛子先生の過去の出来事についても書かれています。その中に「料理だけが二人をつなぐものだった」という言葉がありますが、ご自身がそんな風に感じたことはありますか?

 恋愛とは違うのですが、地元に帰ってしまった大学時代の友人や、ちょっとしたご縁で知り合った方など、もしかしたらこの先、もう二度と会えないかもしれない人たちが新刊の感想などをくれると、自分の出した本によってつながっている……と感じて嬉しく思います。自分の本を手に取ってくださった読者さんについても同じ思いです。実際に会うことはなく、遠く離れた場所にいて人生が交差するわけではないのですが、やはり特別な結びつきのようなものを感じて「本だけがつなぐもの」という感覚がありますね。