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父の土産は 楡周平

 父は北洋サケマスの船団を率いる母船にも乗ったことがある。

 その際チッキで送られてきたのは、木箱にびっしり詰まった筋子とタラコであった。とても家族だけで食べきれる量ではなかったので、お裾分けとして近所に配るのが私の役目だった。当時も筋子やタラコは高価なものだったので大層喜ばれたのだったが、そんな経験をしたせいか、私はイクラよりも絶対的に筋子が好きだ。

 炊きたてのご飯に海苔(のり)と一緒に食すもよし、細巻きにしてもいい。

 それとは別に、父親が北洋に出ると持ち帰る珍味があった。

 航海中は究極の職住近接の中で生活しているとはいえ、二十四時間働いているわけではない。当時の船乗りというのは、何でも自力でこなさなければならず、多彩な能力や技術を持った人間の集団で、空き時間を利用して、珍味の製造に取りかかる人も少なくなかったのだ。鮭(さけ)の腎臓で作った塩辛「めふん」は、子供には難しい代物であったが、楽しみで仕方なかったのは、蟹(かに)の卵の塩辛と、蟹の脚、それも第一関節を北洋の寒風に晒(さら)して干し上げた、蟹ジャーキーである。

 そう書くと、「そんなものがあるのか」「見たことも聞いたこともないぞ」という声が聞こえてきそうだが、実はサケマス漁においては、どうしても蟹が混入してしまい、網から外すのが大変で、厄介者扱いされていたという。

 しかし、さすがに捨てるのはもったいないので、母船にいる器用な人たちが、脚はジャーキーに、卵は塩辛にと乗組員の土産用に加工したのである。

 蟹の卵の塩辛は、インスタントコーヒーの徳用瓶に二つはあったか。だから父親が北洋から帰って来ると、朝食は蟹の卵の塩辛を炊きたての飯に載せてかき混ぜた「桜飯」が定番で、蟹ジャーキーに至っては、ミカン箱に三つはあったので、連日おやつの時間になると、炬燵(こたつ)に寝そべってテレビを見ながら蟹の脚をしゃぶると、今にして思えばまことに贅沢(ぜいたく)な珍味を当たり前のように食していたのである。

 そう言えば、遠足のおやつに蟹ジャーキーを持参したら、引率の男性教諭が目を丸くして、「そ、それは、蟹の脚か……」とおっしゃるので、「先生、食べますか?」と差し出したところ、大事そうにちり紙に包んで持ち帰ったことがあったなあ。

 返す返すも残念なのは、立派な大酒呑(の)みとなったいま、当時の珍味が身の回りにあったら、どれほど良かったか。長い航海を終え、家族で食卓を囲む中、持ち帰った珍味をアテに嬉(うれ)しそうに杯を重ねる父親の姿を思い出すと、一家の暮らしを支えるために、過酷な労働に耐えた感謝の念を改めて覚える一方で、心底羨(うらや)ましくてならないのである。=朝日新聞2019年11月16日掲載