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「裸一貫!つづ井さん」のつづ井さんが真面目に語る、作品への思い

文:福アニー

お尻はすぐ応えてくれたのに、歯はなかなか手ごわい…

――『裸一貫!つづ井さん』、とてもおもしろかったです。これからも好きなことや楽しいことに正直に、遊び心を持って我が道を行こうととても励みになりました。もともと絵日記自体はいつから描き始めたんですか? また、当時よく読んでいた漫画は?

 絵日記自体は小学生の時からずっと描いてました。「絵日記を描いてる」って感覚は特になかったんですけど、文章を書くのが苦手だったので、それを補うために挿絵のような図解のような感じで宿題の日記やノートの隅っこに描いてました。高校生になっても誰に見せるわけでもなく、絵日記を描いていましたね。

 年の離れた姉がいるので、その世代の漫画を昔からよく読んでいました。佐々木倫子先生の『動物のお医者さん』、山下和美先生の『天才柳沢教授の生活』、一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』など、ちょっとギャグ寄りの少女漫画のテンポや絵柄がすごい好きで。あと増田こうすけ先生の『ギャグマンガ日和』の言葉使いも好きですね。漫画とか映画とか、カルチャー面は姉の影響を結構受けたと思います。

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

――そこから「つづ井さん」が誕生する経緯というのは? 著者累計40万部、Twitterのフォロワー数は約30万人などここまでの広がりを見せるなかで、なにが読者の心に刺さったと思いますか?

 一人暮らしを始めたタイミングでTwitterをやり始めたことがきっかけですかね。それまでは「こういうことがあったよ」って話をする相手が家族なり友達なりいたんですけど、一人暮らしでそういう話をする相手がいなくなって、寂しくなって、Twitterの本当に少ないフォロワーさんに向けて発信するようになったのが始まりです。

 ここまでいろんな人に見ていただけるようになるとは全然想像してなくて、いまでも実感が伴ってないんですけど……私の絵日記って、変な人がめちゃくちゃなことをやってるんじゃなくて、本当にありふれた日常的なお話だと思うんですね。なのでみなさん自分の身に置き換えて、身に覚えがある出来事として「あるある」と思って、楽しんでくださってるのかなと思います。

――『裸一貫!つづ井さん』は電車の中で読み始めたのですが、「なにを愛でていいかわからず自分のお尻のお世話をし始める」くだりで爆笑してしまい、危険すぎると家に帰ってゆっくり読みました。最近の愛情の注ぎ先はありますか?

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

 お尻はマックスツルツルまでいっちゃったので、次は歯のホワイトニングにしようかなと。目に見えていいかなと思ってやってるんですけど、実感としてまだそんなに効果は出てないです。ホワイトニングといっても本格的なものじゃなくて、いつもの歯磨きの時間を5倍くらい長くするっていう……。

――大丈夫ですか!? 歯削れそうだし歯茎から血出そう!

 いやいや(笑)。専用の歯磨き粉で丁寧に歯磨きして、その後デンタルフロスを丁寧にして、ゆっくり時間をかけてやってはいるんですけどね。お尻は本当にすぐ応えてくれて拍子抜けしたんですが、歯はまだまだ時間がかかりそうです。

――確かに歯は手ごわそうです。この前友人から、「似合うぬいぐるみを見つけたんだけど誕生日じゃないのにプレゼントするのは変かな?」と連絡があったので、「つづ井さんも誕生日じゃないのに祝ってるんだから祝ってよ!」と詰め寄ってみました。このような楽しみの作り方や見つけ方はどうやってされているんですか?

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

 ただ全員がやりたいことをやってるだけなんですけどね(笑)。やりたいことをやるにしても、ひとりではなかなかできないことを誰かがやりたいって言ったときに、瞬発力よくみんながやろうって言ってくれるのはありがたいですね。もうすぐオカザキさんの誕生日なので(取材当時)、どんなサプライズにしようか画策中です。

――改めてMちゃん、オカザキさん、橘、ゾフ田と、お友達がみんな愉快で楽しい人達なので、元気をもらいました。どんな出会いだったんですか?

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

 ゾフ田と私は幼馴染で、昔から仲良くて。橘は高校の同級生だったんですけど、高校では特に仲良くならずに。田舎から名古屋に出てきて同じ市内に住んでるってことで、久しぶりに会った時に、私が酔っ払ってオタクで腐女子ってことをカミングアウトしてから仲良くなったんです。Mちゃんは大学が一緒で徐々に仲良くなって、オカザキさんはゾフ田と同じ大学でゾフ田の紹介で。

 5人とも社会人でみんなで集まれることがめったにないので、「楽しいことやる以外はその時間もったいないよね」みたいな空気になってて、やりたいことは全部やろうっていつも言ってますね。全員好きなもののジャンルがバラバラなのでそこに関して争いもなく、お互いの好きなものは否定せずに、それぞれのジャンルをプレゼンし合いながら楽しむって感じです。みんながみんな協調性ないので、逆にバランスが取れてるというか、それが仲良しの秘訣かもしれないです。ちなみに見た目の造形はみんな全然違うんですけど、ゾフ田だけ割とそのまんまなんですよね(笑)。

――みなさんの会話のテンポもよくて、スラスラ読めてしまいます。

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

 割とみんなで集まってしゃべってるままなんですよ。画力がないので、ポンポン読める台詞で笑ってもらいたいっていうところで、どんな言葉使いが一番読みやすいか考えながら微調整しますね。たとえばすごい細かいんですけど、ここは「うわー!!」のほうがいいのか、「うわー…」のほうがいいのか、どっちが読みやすくて入ってくるかっていうのは自分で何回も読み返して決めてるところはあります。

 絵は最初にパパパパーッと描いちゃって、勢いに任せて描いたのが最終的に一番いいねとなることが多いです。あとオチをどうしてもつけたがるので、結局なにが言いたかったのか、どんなエピソードを自分がどうおもしろいと解釈して描いたのかっていうのはちゃんと読んだ人に伝わるといいなと思いながら描いています。なのでどこが一番の盛り上がりかわからない、どこをメインのコマにしたらいいのかわからないエピソードは、後回しにしたり寝かせてみたりすることが多いですね。

「腐女子」「オタク」「自虐」に頼らずに「裸一貫」に

――今作を描くとき、前作『腐女子のつづ井さん』との心持ちの違いはありましたか?

 タイトルから「腐女子」って言葉が外れたので、『腐女子のつづ井さん』のときにはオタクネタでも腐女子ネタでもないからと絵日記にしてこなかった日常ネタも描けるようになったのは大きくて。お風呂に入っただけでスタンディングオベーションされる話もそうなんですけど、「腐女子」「オタク」「アラサー」「自虐」に頼らずに、ただ一般の成人女性が楽しく生きてますよって日常を描かせてもらえるようになったのはすごいありがたいことだなと身に沁みているところです。

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

――今作を描くにあたってnoteに書かれた文章も胸打たれました。この「決意表明」は大変な反響がありましたが、なぜ書こうと思ったのでしょうか。

 その時なにを思って『裸一貫!つづ井さん』を描いたのかをちゃんと文章にして残して、後々自分が読み返せるようにしたかったんです。「自虐をしない」と決めて描き始めたんですけど、それを自分の内面だけの話にしちゃうと、後々自分に甘えが出てきちゃうかもしれない。自虐への逃げ道を塞ぐ、その初心を忘れないっていう意味でも書きました。

 実生活で自虐してた時期、楽しくやっていても最終的には「いや彼氏いないんですけどね(笑)」「いやモテないんですけどね(笑)」みたいなところに着地しないとウケないんじゃないかって思ってた節があって。自分のオタク趣味であったり、彼氏がいないことだったり、恋愛に対して全然興味がなかったりってことに対して、どこか後ろめたさを感じてないといけないというか。『腐女子のつづ井さん』の初期の段階では、最終的にトホホなほうに持っていかないと、人に読んでもらう商業作品としては成立しないんじゃないか、絵日記としてもおもしろくないんじゃないかっていうある種の強迫観念が自分の中にあったと思うんです。

 でも知らぬ間に円形脱毛症になったときに、そんな自分の自虐が一番のストレスになってるんじゃないかと自覚して、やっぱり体に悪いからやめたい、やめてもおもしろいもの描けるんじゃないかなと思って。多かれ少なかれ社会人、特に若い女の子は苦労したり我慢したりするのが当たり前だしと思ってたんですけど、別に我慢せんでいいなとそこで初めて気づきました。私の人生はいまのところすごい楽しいし、友達にも環境にも恵まれてるし、自虐の部分を取っ払っても描けるぞと。それで描き始めて、その時の決意を忘れないためにもnoteに文章として書いたんです。

――とはいえ、実生活ではまだまだモヤモヤを感じたり、言葉を飲み込んだりということもありますか?

 そうですね、「自虐をやめよう」って決めた次の日から、実生活の生身の私がすっぱり自虐ゼロになったかっていったら全くそんなことはなくて。でも私の自虐待ちみたいな空気になったときに、いままでだったら率先してピエロになってましたけど、そこはちょっとグッと耐えたり軽くあしらったりして。本当に小さいことの積み重ねですね。自分と関係ない人の機嫌を取るために自分が削られてるって自覚したにも関わらず、次の日からもその人たちの機嫌を取りにいってる自分がすごい悔しくて情けなくて意志弱いなあって思ってたんですけど、実生活ではいきなり自虐をやめるのは無理だったからこそ、絵日記ではきっぱりやめようと思えました。

 なにが起こるとかなにを言われるとか、実生活での出来事って自分では変えられないし、自分で選ぶことはほぼできないじゃないですか。でも絵日記に起こす段階で、自分の人生や生活に起こったことのどこを切り取って絵日記にするかっていうのは、唯一選べるところだと思うんです。事実自体は変わらないんですけど、自分の人生はこうですって、どういう解釈で、どう表現して、その出来事を描くのかは自分で選べると再認識したというか。『裸一貫!つづ井さん』はノンフィクションのコミックエッセイなので、起こってることや自分の感じたことはもちろん実際のものです。その中でも意識して楽しい部分だけを抽出して描いてるので、「あのときあんなことがあったな」と、自分でニコニコしながら読み返せるような一冊になったと思ってます。

――文中の「特にな~んとも思ってませ~んピッピロピ~~」というのが痛快で。「自立してますがなにか?」というような。つづ井さん自身も兼業されていて、本の副題が「INDEPENDENT WOMAN TSUDUI」と「INDEPENDENT」を使っているのも、Destiny's Childの「Independent Women」を彷彿とさせていいなと思いました。

 私はフルタイムで働きつつ、絵日記も描かせてもらってます。幸いどちらも好きなことをやらせてもらってるので、理想的な働き方ができていると思っています。

 副題の「INDEPENDENT WOMAN TSUDUI」は担当編集の白川恵吾さんがつけてくださったんですけど、一番最初に「INDEPENDENT」って単語が浮かんだそうなんです。その後も「POWER」「NATURAL」「NAKED」といろいろ考えたけど「INDEPENDENT」には「独立、自立」って意味があるし、響きもアゲだし、私にぴったりだと思ったそうで入れてくださいました。それを聞いた時に、本当にウケました(笑)。映画の「インディペンデンス・デイ」のイメージがあったので、すごい大層な名前を付けていただいて、日常の絵日記なのにもったいないくらいだなと。長い間一緒にお仕事させてもらって、日常の話もいつも聞いてもらって、この数年間の私の考え方や人生の変遷を間近で見てくださってる方がこの副題をつけてくださったっていうのが、認めてもらえたようですごく嬉しかったです。

知的なひょうきんさにすごい憧れる

――ところで初めてできた三次元の推し、極端に情報が少ない俳優さんについてお聞きしたいです。その後、有力情報が掴めるなどなにか進展はありましたか?

『裸一貫!つづ井さん』(文藝春秋)より

 それがなくて……本当にドット絵みたいな画像しかないんですよね。もちろん実在はしますし、劇場で見てることは見てるので、歯がゆいところです。

――本のサイトということで、いまイチオシの漫画などあれば教えてください。

 漫画だといま一番推してるのは、佐倉準先生の『湯神くんには友達がいない』です。この前もRadiotalkでその良さをひとりでずっとしゃべってました(笑)。あと、いそふらぼん肘樹先生の『神クズ☆アイドル』や、アニメ化も決まった平尾アウリ先生の『推しが武道館いってくれたら死ぬ』などオタクが出てくる漫画が好きです。自分自身、推しが三次元になったので共感できる部分が増えてきたっていうのもありますけど、楽しそうにしてるオタクがおもしろいなと思って。小説だと森見登美彦先生が好きですね。ああいう知的なひょうきんさにすごい憧れます。

――それでは最後に、「毎日生きるのがたのしい~!!!」(本の帯より)と感じられない読者に向けて、メッセージをお願いします。

 女性だからとか年齢とかにとらわれずに、自分の意志でなにを選んでもいい、なにをしてもいいっていう風潮が世の中的にはあって、それはすごい喜ぶべきことだと思うんです。でも「自分の人生は自分次第」という自己選択の自由が、自己責任的な形に収束してくのはすごい辛いなとも思っていて。もちろん自分で勇気を出して、いろんなことを能動的に選び取って生きていける人もたくさんいると思うんですけど、そうじゃないからといって意志が弱いとか劣ってるとかでは絶対にない。

 自分の人生に起こることって、そんなに選べないなっていうのが私の中ではずっとあるんです。どの時代に生まれるかっていうのも、自分のルーツも、それこそ性別も。そうやってほとんど選べないけど、せっかく自分に生まれたんだから、その人生を楽しみたいよねって。その表れが絵日記なんですよね。

 もっと底抜けにポジティブなことを言ったほうがいいのかなと思うんですけど、私自身そこまでポジティブなわけではないので(笑)。多少あきらめや妥協もありつつ、自分の手の届く範囲で自分を楽しませていこうって。どうせやったら幸せなほうがいいなと思いながら、もがきながら、模索しながら生きてる途中です。これからいろいろと考え方が変わっていくかもしれないし、世の中の風潮みたいなものも変わっていくかもしれないですけど、みんなそれぞれ楽しんでいこうぜって思います。