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ヨシタケシンスケさん「わたしのわごむはわたさない」インタビュー ものの価値って何だろう

文:加賀直樹、写真:山田秀隆

アイディアの半分は実話

――「おにいちゃんのおさがり」でもない、「みんなでなかよくつかうもの」でもない、「ちょっとだけかしてもらうもの」でもない、わたしだけのもの……。輪ゴムを手に入れた主人公の女の子の姿に、「自分にも謎の宝物があったなあ」と、昔を思い返してしまいました。この本は、『なつみはなんにでもなれる』『おしっこちょっぴりもれたろう』に続く、3部作という位置付けになるのですか。

 「3部作」というよりは、この判型(B5変型サイズ)がやっていて楽しかったので、味をしめて続けているんです。最初『なつみ~』の時には無かったんですけど、思いのほかこのサイズがご好評をいただけたので、「次にやる時も同じ判型にしようかな」と。とにかく、今まで作った絵本より小っちゃい(約16センチ四方)。どこまで小さくできるかチャレンジした本でもあるんです。これ以上小さくなると、本屋さんで目立たなくなっちゃう。これぐらいだったら、お子さんが外に遊びに行く時にも、持って歩くことができるっていうのがすごく大きかったみたいで。大きさを褒めて頂くことが多かったんです。

――極細のペンを使って、小さく小さく描くスタイルのヨシタケさん。ひょっとして、この小さい本であっても、原画よりは大きく拡大されているんでしょうか。

 このシリーズ、すべてですね、(原画の)2倍の大きさになっているので。

――え、2倍?

 原画はこれの半分サイズです。同じサイズの前作『おしっこ~』の原画が今日、たまたま別件で使うので持ってきたんですけど、すごい小っちゃいんですよ(と言って、原画をごそごそ探し始める)。

――ほほう。企画はいつごろから立ち上がったのですか。

 アイディア自体は1年前から持っていたんです。これは半分実話。当時、5歳ぐらいのうちの次男がある日、本当にゴミ箱から輪ゴムを持ってきたんですね。「これ、もらっていい?」って。捨てるものだったので、「ああ、いいよ~」って言ったら、すっごい喜んだんですよ。「うわーい!」って。それがすごく新鮮で。(原画を取り出して)ほら、この大きさなんですよ。

――うわあ。やっぱり小っちゃい絵!

 A4に6ページ分入っているんです。すごい小ささで描いているんです。それを2倍の大きさに拡大すると、ちょっと線がボヤボヤってするんで、「味」にしているんですけど。線の太さが均一じゃない。元々の線が細いから。

――それにしても、輪ゴムが実話だったとは。じゃあ、息子さんが輪ゴムを使って遊んで……。

 あ、実際に遊んだわけじゃないんですよ、とにかく「もらえた」ってことにすごく喜んだんですね。その後を見てみると、それで遊んでいるわけじゃないんですよ。すぐまたどこかで別なことをやっている。でも、「自分に所有権が移った」ということをすごく喜んでいたんですね。そのシーンを見た時に「分かる分かる!」。自分も、自分だけのものがすごく嬉しかったのを思い出したんです。

 やっぱり、大人でも子どもでも、自分だけのものってすごく嬉しい。特に5歳ぐらいの小っちゃい子って、何も自分では決められないんですよね、生きていて。決定権は何も持っていない。ごはんを食べる時間も、おふろに入る時間も、自分で決められるわけじゃない。「自分の好きにして良いもの」ということが、何よりも価値があるんじゃないか、と。どんなに面白そうなおもちゃでも、それが他人のものであって、5分間だけちょっとだけ貸してもらいながら遊ぶのって、やっぱり楽しくないんですよね。

『わたしのわごむはわたさない』(PHP研究所)より

――たしかに、心の底から楽しめないかも知れませんね。

 どんなにつまらないものでも、それが自分だけのもの、自分が決めて良いものだってなった時に、急にそこに価値が出てくるはず。それが「誰のものか」ってことが大事な時ってあるよなあ、と、その一件で考えたんです。単価の低いもの。どこにでもあるようなものだけど、それが自分のものになるとすごく価値が出る。

 読み終わった子が、なんか輪ゴムを欲しくなってくれたら嬉しいなと思ったんですよ(笑)。どうでも良い、普段は捨てちゃうようなものが、何か一つ絵本をきっかけに、別の価値がその子のなかで出来上がっていくという、その変化みたいなものが面白いと思ったんです。

価値を問い直すようなものが作りたい

――価値観が変わる、その瞬間なのですね。

 何か価値観が新しくなるような絵本。僕、どの絵本に対しても、価値を問い直すようなものが作れたら良いなと思っているんです。今回は、一番安いであろう輪ゴムというものが、一番高価なものになる瞬間に興味があったんです。……で、高価になったものがまたゴミに戻る瞬間(笑)。「そういうものだよな~」って。そういう気持ちの揺れ動きを楽しめるような本がいいんじゃないかな、と思ったんですね。

『わたしのわごむはわたさない』(PHP研究所)より

――輪ゴム1本でも、メチャクチャ喜べる。そしてそれは、束の間の喜びでもある。

 何か包装紙の一部だったんですよね。普段ならただ捨てちゃうようなものを、うちの次男はわりと律儀なところがあって、「これで遊んでいいか?」とか「このお菓子、食べていいか?」とか、許可を求めに来るんですよ(笑)。自分で勝手に遊べば良いんだけど、まず自分のものにして良いかを聞きに来た、というのが面白かった。「いいよー」って言った時の笑顔! そんなに嬉しいのか。大人にとっては新鮮だったんですよね。輪ゴム1本でメチャメチャ喜ぶ姿というのが。でも、小っちゃい子はそうだよなあ。石ころ1つでも、公園の枝1本でも1時間ぐらい遊んでいるわけですよね。

――たしかにたしかに。

 そういう、そのものの価値を自分でどんどんつくり上げていくというさまが、大人からは新鮮に見えたし、楽しいことってそういうことだよな、って。自分の気持ちのなかで価値が作られていくという所の面白さをテーマにできれば良いなと思ったんですよね。

――息子さんのお兄ちゃんの方も、プラモづくりに夢中でしたもんね。

 小っちゃい子はみんなそうですよ。ただ、ウチの場合はやっぱり、面白がっているさまを親が面白がるのでね。「安心して面白がっているなあ」っていうのはありますね。僕が小っちゃい頃、自分がやっていたことを父親に「くだらない!」って言われるのがすごくイヤだったから、そういうことをしたくはない。ひとが楽しんでいることをバカにしちゃいけない、というのは思っていて、自分が親になったらそういうことはしたくないってずっと思っていたので。輪ゴム1個でも喜んだら、嬉しがっていたら、一緒になって喜びたい。どうすればさらにもっと楽しくなるか、ということを一緒に考えられれば僕は嬉しいと思うんです。

――『わたしのわごむ~』では、夢を叶えて輪ゴムを手に入れた主人公の女の子による、果てしなき輪ゴムの大喜利が始まります。輪ゴムで遊ぶパターンをどんどん見つけていきますよね。これはどうやって考えていったんですか。

 まず、前作『おしっこ~』が、表紙の絵を描きたかっただけ。タイトルを言いたかっただけ。ほぼ「出オチ」なんですよね(笑)。

『わたしのわごむはわたさない』(PHP研究所)より

――あっはっは。

 僕の絵本って「出オチ」パターンがいくつかあって。そういう意味では今回の本も、要は所有権が移った瞬間がクライマックスなんですよ。もらってとにかく嬉しい、返さなくていいって、これは私だけのものなんだ、って気持ちの盛り上がりを僕は一番描きたかった。そこから先は何も考えてなかったんですね。それだけだとさすがに本にならないから(笑)、じゃあ、そのせっかくもらった宝物である輪ゴムは、どういう楽しみ方ができるのか、っていうのを彼女が考えていくお話にしよう、と。そういう順番で大喜利が始まっていくわけなんです。

――日本語表現的な観点から言うと、「わ」たしの、「わ」ごむは、「わ」たさない、という、「わ」の字の畳みかけが、すごく心に迫ってくる。ステキだなあと思ったんです。タイトルへの思い入れも持っていらっしゃるのですか。

 そうですね。すごく。最初にやったのが『なつみはなんにでもなれる』。やっぱり「な」(の重複)でね。主人公の子がいろんなものに変身するんです。当初のタイトルは「なんにでもなれる」だった。ある時、「もう1個『な』があると、語呂が良いな」。そういう経緯があったんです。今回の本も最初は「わたしのわごむ」というタイトルで考えていたんです。話の流れは一緒。でも、何かもうちょっとほしいな、と思っていて。この企画を対象年齢的に『なつみ~』から始まったシリーズにできるんじゃないか、って考えた時、私の輪ゴム……「わたさない!」って(笑)。そこで急に「あ、絶対やろう、これ!」って。

――強い意思がそこに加わったのですね。「わたさない」という。

 「わたさない」が付いた瞬間、急に走り出した。急にすごくやりたくなったんですよね。タイトルに「わたさない!」って言葉、なかなかないですよね(笑)。強い語感。口に出して言いたくなる。僕の場合、タイトルが決まると本にしたくなる、って順番があるんで(笑)。ダーッと走り出した。タイトルでテンションが上がれば最後まで行けるという好例ですね。

「何か輪ゴムが欲しくなってきたね?」

――昨晩、本屋さんで買ってきて、表紙を見て、家族で大笑いしました。タイトルのグルーブ感、主人公の女の子の強い意思。「やっぱりヨシタケさんだねえ!」って。

 嬉しいなあ。

――物語は勿論、読んでのお楽しみですけれども、最後にドラスティックな終わり方をしますよね、「子どもって、こういうところがあるよなあ」って思う瞬間がある。

 この本を読んで感じてもらいたいことは2つあるんです。1つは、さっき言ったように「何か輪ゴムが欲しくなってきたね?」ってこと。読んでくれた人が、「ここまで言われたら、ちょっと輪ゴムって、良いかもなあ~」って勘違いをしてほしいな、ということ。もう1つは「子どもって勝手だよなあ」っていうこと。「切り替え、早ぇえなあ~」っていう(笑)、どうしようもない事実を面白がってほしい。切り替えの早いところを、勇気に代えてもらえたら良いなって思いますね。

――完成したらまずご家族に見せるのがヨシタケ家の家訓。お子さんの反応っていかがでしたか。

 ああ、喜んでくれましたね! 思いのほか。ホッとしました。

――お子さんはお父さんの作品の大ファンだから。

 楽しんでくれて良かったです。

――主人公が男の子、女の子って何か思い入れがあったりしますか。

 特にないんです。1冊目が女の子で、2冊目が男の子だったから、3冊目はもう1回、女の子かな、というのと、「わたしのわごむは」というタイトルありきだったので。

――ヨシタケさんご自身にとって、輪ゴムのような宝物って昔、あったりしました?

 そうですねえ……、まあ、あったかも知れないですけども、そもそも忘れてしまうようなものだったはずで、事実、覚えていないです。でも、何だろうな、輪ゴム1個でこれだけ盛り上がれるってことを、もう1回思い出したい、というかね。どんなものでも宝物になってしまえば、何よりも価値を持つものだよなっていうことを、自分自身でもう1回思い出したかった。一番安い、価値のないものが、その人にとって宝物になる瞬間を、面白く描きたかった。僕だったら……。自分の大好きな人が持っていた輪ゴムだったら途端に宝物になるだろうし、道に落ちていた輪ゴムだったら、そうならないだろうし。その輪ゴムを誰かにすり替えられても、気づかないはずだし(笑)。何かその、ストーリーですよね。

――輪ゴムをすり替えられる(笑)。その発想はありませんでした。

 ストーリーにしか価値の本題はないはずなんですよ。そういうところを面白がりたい。この本のなかでは最後、輪ゴムじゃない別なものを宝物にするんですけど、きっとそれもすぐ飽きるんですよ。

――あはは、そうでしょうね。

 最後のページで既に、次の、別のものに惚れ込んでいる(笑)。でも、そうやって日々、自分を盛り上げていっている子どもの真面目さ、純真さみたいなことは、羨ましくもある。自分もそうやって小っちゃいものを拾って、日々盛り上げていきたいな、という「理想のかたち」を物語にしたようなところがありますね。……何か、あったかなあ。小っちゃい頃、大事にしていたもの。でも本当にくだらないものを集めたりしていましたけどね、忘れちゃったなあ。

大事なものって何だろう

――MOEの大賞に選ばれ、初版がものすごい部数を刷り、全国の子どもたち、書店員の皆さんから熱い視線を浴び続けています。今後、やってみたい分野は? そういえば、AERAの取材の時、ヨシタケさんの大学の先輩「明和電機」の土佐信道さんが「ヨシタケブランドはまだまだ広がる。カードをまだ全部見せていない。ヨシタケ遊園地なんてどうか。道具を彼が考えて」なんて、おっしゃっていたじゃないですか。創造の世界を広げていく「種」って、持っていたりするのでしょうか。

 やってみたいテーマはいろいろあります。でも、おおもとにあるのは、「大事なものって何だろうか」。価値の揺れ動きみたいなことですね。だから、「おしっこがちょっぴり漏れる」という話と、死の話、障害の話を同列に扱いたい。大事なことって本当にそんなに大事なのか、くだらないことって、くだらないだけなのか、ってことをテーマにやっていきたい、というのはすごくあります。

 それから、まだ全然、具体的なアレがあるわけじゃないですけど、たとえば「性」の話とか、やってみたい。そういうタブーとされているようなところを、「こういうアプローチの仕方があっても良いんじゃないか」「こういう言い方をしたら、ちょっとまた別のものに見えてくるんじゃないか」みたいなことをやってみたい、と思いますね。ちょっと違う着地点を探ることで、「こういう言い方があっても良いんじゃないか」ということができたら、気持ち良いかなと思って。

――センシティブな「性」について、これまでとは異なる着地点へ。どんな展開になるんだろう。読んでみたいです!

 そういう、何かこう……、大人が口にしにくいようなことって、「何で口にしにくいんだろうね」っていうところから始まってみたり、その辺をフラットにできるもの、それは何かを探ってみたり。「そう言われてみればそうだよね」っていう、ヘンな説得力みたいなものが1冊の中に生まれれば、新しい物事の視点、新しい価値観の作り方みたいなものが生まれるきっかけみたいなもの……。それを「僕自身がほしい」と思っているんです。

――上のお子さんがそろそろ、思春期を迎える時期に差し掛かるのも、もしかして関係があったりするのでしょうか。

 うんとね、いや、まあ、なくはないですけど、昔から持っていますね。それこそ、我が家の問題として生っぽくなる前に(笑)、作品にしたいとは思います。まあ、それは間違いなく、子どもたちが大きくなっていくにつれて、自分の興味となるテーマは間違いなく移ってきている。生まれてすぐで、バタバタで、っていうのは、さすがにウチはないので。大きくなって、大人になっていく時の、迷いだったり悩みだったりというところも、何より自分にとって近い時代の話だし、そういうところで何か言えないだろうか。テーマの対象年齢が上がりつつあるというのは自分の中でありますね。

――ヨシタケさんのファンにとっては、慣れない子育て奮闘記『ヨチヨチ父』(赤ちゃんとママ社)の頃から、定点観測で見つめ続けるヨシタケ家の成長が、手に取って分かるというのも醍醐味です。

 作家さんによってはホント、ファーストブックだけ作る、ずーっと赤ちゃん向けに作る方もいらっしゃるし、我が子と同じように作品の対象年齢が上がっていくという作家の方もいらっしゃる。そういう意味で僕はわりと、リアルタイムで一緒に成長し、その都度出てくる問題についてアプローチしてみたい。その時の自分はどういう答えに辿り着くだろうか、どういう着地点を見つけられるだろうか。そういうことをやっていった方が、僕自身が盛り上がる。やっていて楽しいはず。自分の体験からのスタートに、たぶんなるだろうな、と思っているんですよね。

 子どもの成長もそうだし、自分自身の「老い」の話もですよね。どんどん、ものが出来なくなっていく、いろんなものが衰えていく時に、世の中の見え方って随分変わる。この1、2年、僕も細かいものが見えなくなったり(笑)、トイレが近くなったり。「こわーっ!」っていう。

――メチャクチャ分かります。

 減っていく一方じゃないですか。いろんなものが衰えていくなかで、効率良く、小っちゃい楽しみを見つけていかなきゃいけない。その、切羽詰まった感じにもすごく興味があるし。

――今日より元気な日はもう永遠に来ないわけですもんね(笑)。

 そうそうそうそう(笑)。とはいえ、落ち込んでいるわけにもいかない。それはそれでつまんない。減っていくさまを、どう美しく縮んでいくか。そこをクリアしないことには、こちらが先に進めないという部分があって。子どもが成長していく話もそうですけど、日々変化していくということに対して、どう自分がその変化を受け容れていくんだろうか。何をどう諦めていくんだろうか。そういうことに興味があるし、皆さん同じように抱えている問題だと思うですよね。

 「性」の話も、身体の変化に対する不安、期待という面においては変化の部分だろうな、と。「人って変わっていくよね」って。放っておいてもどんどん、自分の身体が変わっていってしまう。じゃあ、毎回戸惑うけれども、誰にも止めることができない時に、「変わっちゃうよねえ」っていうのを、どう戸惑いを最小限にしていくか、というね。「これはこれで、こういう使い方もあるよね」とか、「こういう考え方も面白いよね」とか。変化をどう受け容れていくか、って、すごく大きなテーマだと思っているんです。

――我が事として読みたいです。去年、密着取材でお話を伺っていた時は、あんまりこういう話がでませんでしたよね。

 最近はとにかく、自らの老化がすごいテーマなんです。「こわあっっ!」って(笑)。