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川端誠さんの「らくごえほん」 読んで笑いがあふれる絵本は、落語と同じエンターテインメント

文:日下淳子、写真:加藤史人

目指すのはシンガーソングライターみたいな絵本作家

――1994年に『ばけものつかい』が発売されてから現在まで、『まんじゅうこわい』『じゅげむ』『めぐろのさんま』など、人気の落語を次々と絵本にしてきた川端誠さん。落語絵本では、テンポの良い言葉にのせて、ご隠居さんや小坊主さんが生き生きと描かれていく。話芸である落語を、川端さんはどんなふうに絵本として表現していったのか。

 ぼくは、落語と絵本は、表現物としては一緒のところにあると思っているんです。自分で読める小説とは違って、絵本は誰かに向かって読むことが多い。読む人にタイミングや技が任されるでしょう。その人のペースによって、おもしろさが変わってくるんです。落語も、演者や観客によって、間が違ったり、観客とのやり取りが入ったりします。先日静岡の掛川で『まんじゅうこわい』を読んだときは、最後の「お茶がこわい」のオチで「このへんで、“掛川の”お茶がこわい」とそのときの地名を入れて読んだんですけど、こういうアレンジができるのが、開き読む絵本ならではなんですよね。

「落語絵本 まんじゅうこわい」(クレヨンハウス)より

 もうひとつ言うと、絵本はドラマを演じる舞台だと思っています。だから、ページをめくるたびに新しい展開が広がっていきます。話芸はしゃべったことが、全部記憶の中に入ると同時に、次が聞きたくなるように話さなくちゃいけない。絵本も同じで、前ページまでのことは記憶に入って、次を開きたくなるような絵や文章を描かなくちゃならないと思っています。だから「ところが、ついてみると…」と次のページへの含みを持たせたり、絵も縦描きの絵本ですから、左に向かって話が流れていくように顔の向きまで考えて描いています。

 ぼくはもともと、シンガーソングライターみたいな絵本作家を目指しているんですよ。文も絵もデザインもすべて自分でやって、最後に人前で読むところまでできるところに、やりがいを感じます。ぼくは「読み聞かせ」という言葉は好きじゃなくて「開き読み」と言っています。「聞かせる」なんて、そんな上から目線なことはないですよ。そこで聞いている人に対して、コミュニケーションが取れるのが絵本の良さです。

――仕事をしているときは、ずっと落語を流しているという川端さん。しかし落語は時代物なので、聞いた話のおもしろさだけで絵本は描けない。その時代に合わせた生活用品や人情が思い起こされる小物、オチにつながるようなものをさりげなく描くなど、絵で細やかに表現している。落語絵本は、それを発見する楽しさもある。

 おめでたいからとやたら長い名前を子どもにつけてしまうという『じゅげむ』では、まだ名前が決まっていない赤ん坊の枕元に、張り子の虎を置いてあります。これは、両親がそばにいないときも、張り子の虎に守ってもらおうと思う、子煩悩のお父さんを表したくて描きました。『はつてんじん』も子煩悩の両親の話ですが、母親のアゴのほくろ、父親の目の下のほくろ、それぞれを子どもがもらったという設定で、子どもの顔にふたつのほくろを描いています。子どもたちはそこまでよく見ていて、絵本ライブの後に絵つきのお手紙をもらったときも、きんぼうの顔に必ずふたつのほくろが描いてあるんですよ。これを見落とした子は一人もいませんでした。

シンプルで、やわらかな技法で新作に挑戦

――その他にも、世にも珍しい一つ目小僧を探しに行ったら、逆に一つ目の国に迷い込んでしまう『いちがんこく』。お正月に掛け軸を見て回ったら、行く先々で「これは賛(サン)だ」「詩(シ)だ」「悟(ゴ)だ」と言われ、ひと目上がりの洒落が繰り広げられる『ひとめあがり』。仕入れた古い太鼓が、実は名品の火炎太鼓で大金を手に入れる『かえんだいこ』。川端さんの絵本では、落語のおもしろさを損なわずに、取材したりアイデアを盛り込んだりしながら、時間をかけて制作されている。

 『いちがんこく』を描いたときは、奉行所の階段の側面がどうなっているかが見たくて、日光江戸村に取材に行きました。あとは時代物の髪型を、前後左右から見たところを、全部撮らせてもらったりしました。何やってんだ? と思われたでしょうけどね。本来、落語ってのは明治・大正時代に作られた話も多いんですが、ぼくが描く落語絵本の登場人物は、すべてちょんまげものです。明治、大正では時代考証がすごく大変になってしまうので、江戸物ということにしました。江戸東京博物館や東映太秦映画村など、取材のためにいろいろ行きましたね。

 『ひとめあがり』で掛け軸の絵を描くときは、図書館に行って、掛け軸の本を借りてきました。趣味の掛け軸の作り方の本があって、そこにはいろんな掛け軸がオンパレードであって、助かりました。この本ではね、詩人の内田麟太郎さんの手紙を掛け軸にしたりしてるんですよ。内田さんの字も真似して書いてね。あ、ちゃんと了承は取りましたよ(笑)。

「落語絵本 まんじゅうこわい」(クレヨンハウス)より

 最初の落語絵本を描いたときから、絵本にしたい落語はみんな頭にありました。でもやりたい噺の中で、どうしても描けないっていうのが必ずあるんです。古今亭志ん生師匠の十八番『かえんだいこ』もずっと絵本にしたいと思っていたんですが、これが見える芸と見えない芸の大きな違い。3mもある太鼓で、風呂敷で包める大きさじゃないのに、落語では風呂敷で持って帰るんです。絵にしたら描けないでしょう。しょうがないんで取材に行ったら、明治神宮でまわりの飾りじゃなく、中の太鼓だけ釣ってあるのを見たんです。これなら描ける!と思ってやっと本になりました。そういう出会いってありますね。

――7年ぶりにKADOKAWAから出版した最新作『てんしき』は、お医者さんが言った「てんしき(おなら)」の意味がわからない大人たちが、とんちんかんな知ったかぶりをするという話。大人も子どもも大笑いで、読み終わった後に、もう一度最初から読んでみたくなる作品だ。

 2012年に落語絵本の15作目となる『みょうがやど』を描いて、一旦シリーズは完結したんですが、最近、また新しい落語絵本を描き始めたんです。前のシリーズとは趣向を変えて、もう少しシンプルに、やわらかい技法で描いてみたいと思いました。それで作ったのが『てんしき』です。落語の話では全部「てんしきは盃のことだった」と嘘をつくのですが、「これ(酒)をやりすぎると、ブーブー(酔って愚痴を言う)が出る」というオチは大人でもわかりづらい。それで絵本では、「臭かった」と「草刈った」をかけようと、盃をカマに変えました。はじめのページで、珍念さんが草刈りをしている絵を描いたのも、最後のオチにかけているんですよ。

「らくごえほん てんしき」(KADOKAWA)より

 2月下旬には次回作の『ごんべえだぬき』(KADOKAWA)も発刊されます。「ごんべえ、ごんべえ」といたずらたぬきが話しかけてくるという話で、桂枝雀師匠は「こんなファンタジーな落語はない」って言ってますね。動物がしゃべる噺って、あるようでそんなにないんですよ。前座でやるような話なので、短くて、オチもおもしろいです。今日、ちょうど絵が上がったところで、あとはタイトルの色を決めるところです。タイトルも3回描き直して、やっと納得いくものができました。出来上がりが楽しみです。