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スーザン・ネイピアさん「ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光」インタビュー 巨匠の世界観の深淵に米研究者が迫る

文:ハコオトコ 写真:斉藤順子

「ナウシカ」は大人向けの娯楽と気付いた

――本作では、宮崎アニメが生み出された背景や作品世界の裏にある監督の真意について、膨大な資料や宮崎駿本人へのインタビューを踏まえ、彼の個人史や時代背景についても緻密に分析しています。日本でもアニメを高度な文芸作品として研究するようになったのは比較的近年です。もともと米国で日本文学を専攻していたネイピアさんが日本アニメを研究するきっかけは何でしょうか?

 私が若い時、米国では「アニメや漫画は一切研究する価値が無い」と言われていました。日本でもそうだったと思いましたが、米国の学者からもこれらは「軽くてマジメじゃない物」として軽蔑されていたのです。

 そんな中、ほとんど偶然でしたが1989年、ロンドンで「AKIRA」の映画版を見に行って「これはなかなか並外れたアニメだ」と思いました。その後「風の谷のナウシカ」を見て、非常に大人向けの娯楽だと気付いたのです。(当時の欧米で)誰も知らないような日本アニメが、とても真面目で興味深かった。

 例えば、米国人から見ると普通は(アニメ作品に)ないテーマを扱った作品が、どんどん出ていると思いました。例えば(ナウシカで描かれた)終末観は、ディズニー作品ではなかなか見られません。登場人物に関しても、米国と日本の映画どちらでも面白い女性主人公というものは、なかなか出てきませんでした。ただ詰まらなかったり、頭が悪かったりしたものです。でもナウシカを見て「これは違うね」と思ったのです。

――その後、米国で日本文学だけでなくアニメ研究も取り組んできたネイピアさんですが、米国の学会ではまだ珍しかったのでしょうか?

 私はアニメについて真面目に取り扱うべき芸術だと思っていましたが、90年代の周囲の学者たちはまだ疑問だったようです。「スーザンは(なぜ)そんな軽くて子供向けの物を研究しているのか」とよく聞かれたものです。私は同僚にそんなに尊敬されず、辛い思いをしました。

 でも、時間が経つにつれて若い学者たちもアニメや漫画に興味を持つようになってきました。米国人に、特に宮崎作品が受け入れられるようになってきたと感じますね。飛行機の中で隣席の人に「何(の仕事)をしているか」と聞かれて、「宮崎駿という日本のアニメ監督について本を書いています」というと大体、「オー、ミヤザキは私、大好きです!」と返ってきます。20年前とは全然違う状況になって、本当に良かったと思っています。

 私は米国の大学で宮崎駿についてのゼミを開いています。学生の中でも地位が高いですね。受講できる人数が15人と限られているのですが、(空きを)待っている学生のリストがあるくらいです。アニメ好きな人自体いっぱいいるのですが、特に宮崎には魅力があるようです。

 宮崎さんは78歳ですが、18~21歳くらいの若い米国人が彼にあれだけ魅力を感じるというのは面白いし、とても素敵ですね。私は米国で何十年も日本文化について教えてきました。谷崎潤一郎や村上春樹、大江健三郎が好きな学生もいますが、宮崎の(魅力の)普及ぶりは特別だと感じます。

「千と千尋」の湯婆婆は絶対の悪ではなく、かわいい面もある

――日本人にとっては「国民的アニメ」とも言える宮崎作品ですが、米国など欧米のファンにとってどの辺が特別なのでしょうか?

 米国では「定型化されている」映画がどんどん出る傾向にあります。『アベンジャーズ』のような、見る前から大体の筋が分かり、登場人物も「こんな風な人だ」と前から知っているような作品です。宮崎作品は全然違いますよね。独特な想像力があります。

 また、米国人が日本アニメを好意的に受け入れるようになったのは、9・11(2001年アメリカ同時多発テロ)の悲劇的な出来事からだと思います。若い米国人はもはや、ハリウッド映画の“ハッピーエンド”を信じられなくなったのかもしれません。みんなが絶望しているわけではないですが、彼らも世の中の暗さや希望・絶望について考えるようになった。その時から、宮崎作品だけでなく日本アニメ全体が流行るようになったのです。

 それら(の作品)は、善悪を超越して人間や世の中が難しいこと、これからどういう風に生きるのかといったことを意識して(作られて)います。例えば「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」を私は思い出しますね。湯婆婆は絶対の悪ではなく、かわいい面もあるでしょう。そういう複雑さが、米国人が世界を知るのに良いのではないでしょうか。

――ネイピアさん自身、宮崎駿をどう評価しますか?

 日本には、押井守や今敏など素晴らしいアニメーターがいます。でも、宮崎ほど偉大なアニメ監督はいないと思います。彼は想像力がすごい。新作映画を見ると、(その発想が)一体どこから来たのかと感動します。ただ想像するだけでなく、想像力を使って1つの独特な世界を形作っている。空の雲に至るまで細かい描写をすべて(作品に)入れて、ちゃんと自分(視聴者)が入っていけるようにしている。

 彼は、『ハリー・ポッター』のJ・K・ローリングや『指輪物語』のJ・R・R・トールキンのように、フィクショナル(架空)だけれども本当に現実だと信じられるような世界を作っているのです。これを「ワールドビルディング」と私は呼んでいます。宮崎ほどの「ワールドビルディング」は、もはやアニメ界だけの(評価に)とどまりませんね。

――そんな宮崎アニメの普遍的な魅力は、いったいどこから来ているのでしょうか?

 簡単な質問ではありませんが……。彼の作品には、トトロのような日本的要素も入っていますが、その下には普遍性があります。同時に他の(いろんな)人々が共感できる物語、そして人物を作っているのです。例えば「魔女の宅急便」。見れば見るほど凄い作品です。宮崎が12~13歳くらいの若い女性の心の中に入り、彼女の暗い時、楽しい時をデリケートかつ現実的に描いているのは大したもの。男性も女性もキキに共感できますよね。

 宮崎さんは英国の児童文学をよく読んでいますが、これらの作品にも普遍性があります。『不思議の国のアリス』や『秘密の花園』などの影響を受けたのかもしれません。それら(の名作)が、独特な宮崎ワールドに“トランスフォーム”できたのでしょう。

宮崎作品には光もあるが闇もある

――ちなみにネイピアさん自身、何度も監督本人にインタビューするほどの熱狂的な宮崎ファンです。でも本著ではただ作品を褒めちぎるのではなく、戦争体験や家族との葛藤など、彼自身の「暗い過去や感情」にまで冷静に踏み込んでいますね。

 もちろん、私は宮崎ファンと言っていいでしょう。8年間も彼の作品を見て研究してきましたから。でも、私は学者でもあります。だから彼の作品にはどんな歴史的・個人的影響があるのか、どうやってそんな作品を作れたのか、なるべく客観的に分析しようとしました。

 私の学生の中には、「宮崎さんはサンタクロースだ」と言う人もいます。かわいらしいイメージなのでしょうね。でも、とても力のあるアニメスタジオを作って11本の映画を制作した彼は(ただの)優しいおじいちゃんではない。あれだけ情熱的で完璧主義でワーカホリックな人であれば、難しい面もありますよね。そんな複雑な面を描きたかったのです。

 私は以前、大江健三郎の本を出したことがあります。本人にも何度もお目にかかりました。この2人は異なる人物ですが、情熱やエキセントリックさ、時々社会に深い怒りを持つ点などは共通している気もしますね。

 宮崎は本当に天才だと思いますが、同時に矛盾も感じる人物です。宮崎作品には光もあるが闇もある。その闇について、普通のファン(の言説)よりも、もっとその暗がりに向けて光を当てたい、という動機もありました。

――宮崎アニメは「トトロのサツキとメイの死亡説」といった都市伝説がささやかれるなど、確かに“闇”に言及されがちです。監督本人についても、少女や兵器への執着といった人物論、引退騒動を始めとしたゴシップも流れます。一方で本書では、俗論を超えた作品風景の“原点”に迫っています。例えば自伝にある「幼少時、自分を連れていた親戚が空襲の中、助けを求めてきた子連れの女性を見捨てて車で走り去った」という“体験”。これは家族の証言によればどうも「宮崎が創り上げてしまった」架空の記憶の可能性があるそうですね。にもかかわらず、子どもを主人公に据えた宮崎作品の世界観の礎になっている、という指摘は非常に示唆的です。

 嘘かもしれないからこそ、(この記憶は)彼に重要な影響を与えたと思っています。ディズニーやピクサーと比べても私が宮崎作品を面白いと思うのは、彼が子どもの視点から映画を作る点です。(作品で)子どもを尊敬して扱っているのはとてもいい要素ですよね。

 ただそれは、大人が(空襲下で助けを求める母子に)車の席を譲らないような時、「子どもが一歩前に進み出て大人よりも大人らしく行動をしなくてはいけなかった」という、悲劇的な態度でもあります。宮崎作品には、大人の世界への怒りや幻滅の気持ちがあると思います。(今の)大人が全然しょうがないのだ、という考えもあると思いますが……。

――子供が主人公で、かつ世界観に“闇”があると言えば、「ラストは死後の世界説」がまことしやかに流れた「崖の上のポニョ」が想起されます。

 でも、ポニョの主人公の宗介はとてもかわいいですよね。理想を課された子どもではなく、あくまで「現実的にあり得る子ども」です。本書でも書いたように、正直私もポニョという作品には暗い面もあると思います。でも、この宗介は「光」を示していると感じますね。こうして宮崎氏が次の世代に希望を持ち、子どもの無邪気さを信じているという点を、私は素晴らしいと思うのです。

――本書は英語の原著を邦訳した物で、中・韓・ロシア・アラビア語版も刊行するとのこと。世界中の読者にどのように読まれてほしいですか?

 まず日本のファンには……。もし宮崎ファンの中から批判が出たりしても、私は喜んで聞きます。私は日本人ではないから、日本人のように(宮崎作品を)分かることは不可能でしょう。この本を対話の1つのきっかけにしたいですね。

 そして、実は本書には、日本文化を世界中に、特に米国人向けに紹介したいというミッションがありました。最近、若い米国人は考え方がちょっと狭くなっていると感じます。特に国際問題に興味を持つ人が減ってきているようですね。今や世界は狭くなったのに、他の国に興味を持たずパスポートも所持していない米国人すらいます。それは残念なことです。

 宮崎駿という戦前生まれの独特な日本人作家が、こうした普遍的な作品とその素晴らしい世界をどのように創り、“ワールドビルダー”になったのか。それらを、本書を読んで分かってもらいたい。私が飛行機の中で感じたように、宮崎が本当に「国際的」になってほしい、と思うのです。