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天沢退二郎「光車よ、まわれ!」 言葉が溢れる不穏な世界 福音館書店・岡田望さん

 子どものころ、歩きながら本を読んでいて、何度か電柱にぶつかったことがある。今で言う歩きスマホと同じことだと思うのだが、怒られた記憶はない。大人たちは、読書を習練か何かだと思っている節があって、子どもは、本を読んでいると偉いと褒められる。だから、歩いている間も寸暇を惜しんで本を読む子どもを注意しようなどと、誰も思わなかったのだろう。

 それはともかく、電柱にぶつかった際、本書を読んでいた可能性は極めて高い。ゲド戦記、指輪物語などをひと通り経て出会ったこのファンタジーに、私はたちまち虜(とりこ)になったからだ。

 ゲドが対峙(たいじ)する己の影のように、ファンタジーでは、闇や、恐怖、死といった抽象的な概念に具体的な形が与えられる。この作品でも、子どもたちが対峙する暗黒は、水魔神や緑色の制服の男たちといった姿をとって現れる。だが、確かな土台の上に一つ一つ、石を積み上げるように世界を構築していくトールキンや、ル・グウィンと違って、この書き手が描く世界は、私たちの現実と地続きにもかかわらず、確かな土台を持たず、不定形で、ただひたすら不穏だった。その不穏な世界は、叩(たた)きつけ、疾走する言葉で溢(あふ)れ、私の体は、その言葉の奔流で満たされたのだ。

 それから二十年あまり、百貨店の喫茶室で、私は編集者として天沢さんと向かい合っていた。薄く色の入った眼鏡をかけた天沢さんの口からは、言葉が、訥々(とつとつ)と、しかし、迸(ほとばし)った。その言葉を浴びて、私はたちまち、子どもに戻った。=朝日新聞2019年12月18日掲載