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「受験」の歴史をひもとく 公平こそが正当性の源泉(中村高康・東京大学教授)

衆院文科委で、自らの英語民間試験をめぐる「身の丈」発言に関して謝罪する萩生田光一文科相=10月30日

 大学入試改革をめぐって世間は今たいへん騒がしくなっている。萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言をきっかけに批判が一気に噴き出し、2020年度から実施予定の新テストの目玉だった英語民間試験導入と記述式問題の出題が、いずれも見送りに追い込まれた。さらに火種は入試改革全体にまで及びはじめている。

 今回の改革が、このように世論の批判を受けて止まらざるをえなかった背景には、試験制度が社会に対して持っている歴史的意味を理解しないまま、政策的に突き進んだということがあるのではないか。

 英語の民間試験を受けるチャンスに社会経済的な格差や地域格差があることが厳しく指摘された。また、記述式問題をめぐっては、採点の公平さが保たれるのかが大きな問題となった。

試行錯誤の歴史

 おそらく政府は、多少の公平さを犠牲にしてでも改革を進めることに価値をおいたのだろう。しかし、社会的に注目度の高い選抜試験で公平性を担保することは、近代以降きわめて一般的にみられる手続きである。そうでなければ、選抜の正当性が失われるからである。

 その先進的事例は、前近代中国において長期にわたって続けられてきた官僚登用試験「科挙」に見ることができる。

 宮崎市定著『科挙』は、その実像を平易に紹介した、古典的著作である。中国史の膨大な知識を背景に、びっくりするようなエピソードも織り交ぜながら描かれる試験の様子は、どこか現代にも通じるところがあり、読み物としても楽しく読める。

 いかに試験を公平に行うかをめぐっては、1300年に及ぶ試行錯誤がある。受験生を氏名ではなく受験番号で扱うというのも、すでに科挙で行われていたことである。科挙は様々な問題を抱えた制度ではあったが、この公平性こそ、科挙の正当性の源泉でもあった。文明史的な観点からみて、この点を軽視すべきではない。

「柔らかな」競争

 また、「知識の暗記・再生」ばかりの大学入試を変えようという改革の動機は、一見もっともらしくみえるが、考えてみれば、同類の主張ははるか昔からあった。すでに大学入学者の半分近くが推薦・AO入試経由だという現代の状況にマッチしていない。つまり、数十年前に大人世代が体験した大学受験と、今は歴史的ステージが異なるのだ。

 その変化を、まだ多くの人が気づいていない段階で仮説的に提示したのが、竹内洋著『立志・苦学・出世』である。

 竹内は、昭和40年代までの努力と忍耐を旨とする「硬い」受験競争を「受験のモダン」、それ以降の少しノリの軽い「柔らかな」受験競争を「受験のポストモダン」ととらえた。近代化が一定の水準にまで達し、教育機会も大きく拡大した後において、受験の報酬としての立身出世の魅力は後退し、受験競争は悲壮感漂うものではなくなった、というのである。

 今日の入試改革はどこか「受験のモダン」を批判して制度設計を行っている節がある。その文脈では竹内のような現代史的な社会変容の理解は、今後役に立つはずである。

 最後に、現代の大学入試改革を考えるのに役立つ1冊として、南風原朝和(はえばらともかず)編『検証 迷走する英語入試』を挙げておく。

 入試改革に関連する書籍は多数あるが、ことここに至っては改革のどこがまずかったのかを反省的にとらえる視点が重要である。本書は、5人の論者がそれぞれの専門的立場から英語民間試験導入の問題点を平易に論じている。実は、英語入試問題は、他の入試改革とかなり問題点を共有している。そうした視点からの一読を勧めたい。=朝日新聞2019年12月21日掲載