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広田すみれさん「5人目の旅人たち」インタビュー 「水曜どうでしょう」はテレビに疲れる時代の元気のもと?

文:渋谷唯子 写真:有村蓮

――社会心理学者の広田さんが、「水曜どうでしょう」のファンを研究するきっかけは何だったのでしょうか。

 きっかけの一つは、東日本大震災です。私の専門はリスクコミュニケーションで、数量的な情報、例えば最近では、地震の確率的な長期予測はどう認知されているかという研究をしていました。その中で、リスクを伝えるだけでなく、次第にそういう際の人の不安感は、どうしたら解消するんだろう、ということも考えるようになったんですね。そこで「どうでしょう」についての話を耳にしました。

 震災後、被災者の人たちは、娯楽番組を見るような状況ではなかったはずですが、「どうでしょう」のファンたち(藩士※)は、DVDなどを繰り返し見たという話を聞きました。特に震災当日の晩、(宮城県の)女川の避難所で、ある方が、(番組で言われ、ファンが「名言」としている)「ここをキャンプ地とする」と言い、周りの人たちもそれを聞いて笑ったというエピソードを知った時は驚きました。不安を感じている人やダメージを受けた普通の人たちが、どうしたら元気になれるのか。「どうでしょう」は、そこで元気づける役割を果たしたらしいんです。

※藩士=「水曜どうでしょう」のファンを意味する言葉として定着している。番組DVDの予約・受け取りの主要なルートにローソンがあり、ローソンのシンボルカラーが青いため、ファンはそこに出向くことを「青屋敷」への「討ち入り」と言ったりもする。

――元気になったといえば、被災者の方々ばかりではないんですよね。

 あちこちの番組関連のイベントに行ったら、驚くことにファンには元気になったという人がすごく多いんです。離婚した人やDVにあった人、重いものでは心療内科に通っていた人や働きすぎで燃え尽き寸前の人が、番組を見て元気になったとか。

 ただクライシス(危機状況)から立ち直ったといっても、日常的なものから重いものまでいろいろなケースがあるので、すべてを同じように説明することはできないですが、本の中では考えられる心理的メカニズムをいくつか書きました。そういった人たちは皆、番組に感謝していて、そのことがファンのコミュニティーを支えている一つの要因です。ファンの人たちからも、「癒やされる気がするので、研究してほしい」とも言われたりしました。

――そもそも、ご自身が「水曜どうでしょう」と出会ったのは、いつですか?

 もう10年以上前に、番組の(ウェブ上の)掲示板を見たんです。学生に「すごく面白いんですよ」って教えられて。まだ、他のネットの掲示板には動きがほとんどないごく初期の時代に、「水曜どうでしょう」の掲示板はとても活発で。内容も番組の広報ではなく、今日の夕飯や天気の話など、他愛がない。なのに何でここだけ、こんなに活発で面白そうなんだ?――と。その時も、研究をしてみたいと思ったんですが、あいにくそれが難しい時期で、また当時は(北海道以外で)見るのが難しかったので、そのままになってしまいました。後でわかりましたが、多分このコミュニケーションが、個人視聴が中心になった時期でも番組への「共感の共有」を維持したベースになっています。まともに通しで見たのは3年前(2016年)。テレビ神奈川で放送された「原付ベトナム縦断1800キロ」です。

 その時は癒やされるなどとは思わず、ひたすらすごく面白いと思いました。番組のDVDも買う気はなかったのに、「研究もするんだから」と自分に言い訳をしたりして、いつの間にか全部そろえてしまいました(笑)。

――一緒に旅をしている感覚になる番組ですよね。

 視聴者の生活とつながった「日常性」があると思うんです。誰かの旅行のホームビデオを見ているみたいだという藩士もいました。通常の物語の醍醐味は、自分がいる世界とは違う場所に行くこと、つまり、違う物語の中に自分が入る感覚にあると思います。でも「どうでしょう」は、むしろ私たちのいる世界の延長線上にあるような気がする。そのままつながっている感じ。

 その一因は、嬉野さんが撮影するカメラの画角でしょう。とにかく振らない。広角で、固定したまま、たとえば、(原付きの)カブに乗っている(大泉さんや鈴井さんの)背中が中心にきて、周囲が流れている画面がずっと続く。これは「ベクション(視覚誘導性自己運動感覚)」といって、身体が移動しているような錯覚が起きやすい画面です。VRのような感覚で、番組に対して強い没入感を感じます。

 また、ディレクターの藤村さんは、画面に映らないで、カメラの横から出演者に話しかけます。すると視聴者は、目の前に大泉さんと鈴井さんがいて、藤村さんの横で彼らの会話を聞く感覚になる。こういったことも、番組に没入しやすくなる理由だと思います。

――番組から得られる「安心感」や「癒やし」は、何がカギなのでしょうか。

 私はレジリエンス(回復力)効果と呼んでいます。番組のなかで、藤村さんはよく笑うのですが、たとえ意味がわからなくとも、つられて模倣して笑うことで、「おもしろい」「楽しい」といった感情が逆に湧いてくる。本書では感情末梢(まっしょう)起源説から説明しています。情動は、中枢から出てくるという説のほかに、有力な説として行動が先に出て、そこに私たちが感情のラベルを貼っているという説があるんです。例えば、「笑う」という行動をしているから「楽しい」とか、「泣く」という行動をしているから「悲しい」とか。「どうでしょう」を見る人も、行動が先にあって、そこから楽しい感情が生じている可能性があります。それに声自体も安心感を生んでいます。

 それから、「どうでしょう」の笑いは、人を傷つけない。メンタルで体を壊して自宅で療養したことのある人にインタビューをしたのですが、その人は、外に出られないのでテレビかネットしか見るものが無い。でも、無理をして盛り上げるようなバラエティーは、とても見られない。うつ状態の時って、そもそもテレビを見ることが難しいそうです。臨床では、うつは防衛的になっているので、様々な刺激を遮断しようとすると考えられています。だけど「どうでしょう」は見られた。おそらく顔のズームが少ないなど、刺激が弱いからだと思うんです。淡々と進行し、時々笑う。それをDVDやネットでダラダラ長いこと見て、つられて笑ったりすることで、少しずつ快復するのではないか、というのが私の仮説です。過去の経験による学習効果があると思われる例もありました。

――本の終章では、テレビは「疲れるものになってしまった」のではないかと述べられていました。「水曜どうでしょう」は、その「疲れさせるもの」がないのではないかと。

 「どうでしょう」は日常性を大切にしているし、視聴者を見下したりしていないように思います。マスメディアは、マス(大衆)に対して一方向で情報を送っていましたが、SNSが出てきてからは、マスだった多くの人々が、個に分解される状態になっています。現在は個人がSNSのようなツールで、メディアに対して何かを言うこともできるし、たとえ匿名であっても、その声は認知されます。視聴者は今、以前と違ってマスメディアに一方的に情報を送られる受け身の姿勢に、もはや耐えられないのではないでしょうか。メディアと個人の関係性も変わってきているのだと思います。

――ところで、タイトルの「5人目の旅人たち」は、番組で旅をする4人のあいだに入りたい、という思いからですか。

 本の謝辞にも書いたように、仲のいい藩士のご夫婦などと、アイディアを出し合ったなかで出てきたものです。そしてタイトルを決めた後、ご夫婦の奥さんが、「藤村さんが以前の日記に、こう書いてましたよ」って教えてくれたんです。

 藤村さんは、番組のレギュラー放送が終わり、各地を巡るイベントを始めて、あちこちに行くと、写真撮影を求められたり、「サインください」と言われたりするのが、初めはとても恥ずかしかったんだそうです。でも、ファンのみんなは、「5人目の旅人」として仲間に会いに来てくれているんだから、恥ずかしいと思っちゃいけない、という意味のことを書いていたと。ファンはみんな5人目になりたいし、一緒に旅をしている気持ちになっている、というのは確かだと思います。