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歌人・高田ほのかの短歌で味わう少女マンガ 新田章「恋のツキ」

日常を編む

今回ご紹介するのは新田章先生の『恋のツキ』。
主人公のワコ(31歳)は、イコくん(高校1年生)と、ワコがもぎりのバイトをしている映画館で出会う。
履いているスニーカーがおなじで、ガチャでおなじ景品を指差し、おなじ日に空を見上げて秋晴れが気持ちいいねってLINEする。
会話を重ね肌を寄せ合いながら時間をかけて生まれてくるふたりだけの呼吸。
そこには、年齢が離れていても同棲中の彼氏がいても惹かれてしまう、どうしようもなさがあった。

最終巻(7巻)。
「他に好きな人ができた」と別れを切り出したイコくん。
その後ろで、小学生の男の子がおばあちゃんに「今日わぁ25メートル!」と話しかける声が聞こえてきた。
さっきまで続いていくと思ってたから、思考がイコくんの言う別れについていけなくて、ワコの思考は日常を続けようと、いつものように“わかりあえるイコくん”に話し掛けようとする。

「恋のツキ」©新田章/講談社 モーニングKC

「恋のツキ」©新田章/講談社 モーニングKC

ただガチャをあけるみたいにいいたかった ああそれはもう遥かな背中

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例外はままあるが、一般的に和歌はハレ(非日常)を、短歌はケ(日常)を詠うものといわれている。
男女が日々を共有するなかで生まれた、こんな短歌がある。

 帰り来て嗽をする音ほろほろと途切れとぎれにあなたがわかる 岩尾淳子『岸』

 月陰り霞んだ道の温もりはそばにいた君の体温のよう カン・ハンナ『まだまだです』

 日焼けしたあなたの肩に寄りかかり痛がらせたい許されたくて 村上健志(フルーツポンチ)

一首目、うがいの音という聴覚から相手の体調を推し量る。二首目、恋人とわかれた帰り道、彼の体温を反芻する。三首目、痛がらせたいという甘えた欲望の奥には、自分を受け入れてほしいというせつない感情がある。

私も『恋のツキ』に誘われて、こんな歌がふわり浮かんできた。

 拝殿のまえに並べば初夏の葉陰に濃くなるスニーカーの青

しかし、人生というものは一時(一首)だけではわからない。

 すいほう、と右耳に告ぐ 呼吸から寝息にかわる夜のカーテン

 生卵の殻がツツツツすくえずにわたしに満月はいつまでも遠い

 「あいチーズ」すこし離れてほほえんだふたりの後ろに小さなリース

さあ、ワコとイコくんの一歩先に待ち受けているのは別れか、あるいは……

新田先生が天然色素で染め上げた登場人物たちはそれぞれが人間くさくてチャーミングだ。
そんな魅力的な登場人物、美しいコマ割り、端正な背景から編みあげられた、『恋のツキ』という大きな網。(そのなかには現代の日本社会が抱える問題もギリギリと絡ませてある)
試し読みしてしまった(罠にかかった)が最後、読む者の心にぐるぐる巻きついて最後のページをめくるまで決して離してくれない。

先生は今日も投網を巧みに操りながら、弱くて脆くて醜い、ずるくて純粋で愛おしい登場人物たちの日常を編みつづける。