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東山彰良のTurn! Turn! Turn! #10 台湾・豐田 「湾生」の少女と一本の木

文:東山彰良 写真:河合真人

 リビングから外を眺めると、緑の芝が蓮池を取り巻くようにしてなだらかに広がっている。季節はもう冬だというのに外気は暖かく、玄関先の花壇にはハイビスカスが咲いている。水辺の柳はまぶしいほどに青く、蓮池に泳ぐ錦鯉(にしきごい)たちも気持ちがよさそうだ。ウッドデッキのそばに大きなネムノキが一本あって、小鳥たちが遊んでいる。その先には雲煙に霞(かす)むご当地の名山、木瓜山(ムウグアサン)が遠望できる……。

 台湾は花蓮県の郊外にある、豐田(フォンティエン)というちっぽけな町に2週間ほど滞在した。あてがわれた長期滞在者向けのレンタルハウスは広々として心地よいけれど、なんといっても窓の外に広がる庭園が素晴らしかった。蓮池には白や桃色の花が咲き誇り、聞き慣れない鳥たちのさえずりを聞きながら、毎朝カーテンを引き開けるのが楽しみだった。

花蓮で宿泊したホテルの敷地内には池が広がり蓮の花の間をコイが泳ぎ回っていた=台湾・花蓮

 花蓮にある東華大学に「駐校作家」、つまりライター・イン・レジデンスの招聘(しょうへい)作家として招かれたのだった。ライター・イン・レジデンスとは、大学が作家を招き、講演や授業をしてもらうかわりに滞在費の面倒を見るというものである。

 昨年2月に拙著『僕が殺した人と僕を殺した人』が台湾で翻訳出版された折に、作家の呉明益氏とトークイベントをさせてもらった。この呉氏の勤務先が東華大学で、彼が大学に掛け合って私を呼んでくれたというのが事の次第である。まだ創立25年という若い大学だが、風の噂(うわさ)ではすでに「東華派」を形成するほど若い作家を数多く輩出しているとのことだった。

碧蓮寺。かつて豊田神社と呼ばれ日本人入植者たちが建立した。入り口には狛犬が残っている=台湾・花蓮

 呉氏はご著書の『自転車泥棒』が国際ブッカー賞の候補となってからは多忙を極め、世界中を飛び回って講演したりライターズ・フェスティバルに参加したりしている。ライターズ・フェスティバルというのは、文字通り作家たちのお祭りである。当年に自著の英訳本が出たという条件を満たしていれば、あとはおそらく作家にはあずかり知らぬ力が働いて、呼ばれたり呼ばれなかったりする。アメリカ、カナダ、オーストラリア、シンガポールなどなど、呉氏は各地のライターズ・フェスティバルに出かけては、世界各国の作家たちと交流を深めているとのことだった。私はこの大学の数人の先生たちと登壇して、作家のなんたるかをしゃべることになっていた。

 大学側が用意してくれたレンタルハウスは申し分ない。が、豐田という町はいかんせん周囲になにもないのだ。コンビニとスーパーだけはあるものの、食い物を調達できる場所としては、ほとんどそれだけである。電車を使えば、たしかに30分ほどで市街地に出られる。しかし、その電車が2時間に1本しかないのが悩みの種だった。陸の孤島と言えば大げさすぎるけれど、私はスーパーでカップ麺とビールをしこたま買いこんで、美しい庭園に心の慰めを見出すよりほかなかった。

 はじめて訪れた場所では必ずそうするように、私はひたすら豐田の町をほっつき歩いた。歩けども歩けども、どこへも行きつかない。たまにパパイアが道端に自生していたけれど、それを除けばあまり面白いこともなかった。野良だか飼い犬だかわからない犬がそこらじゅうをうろついていて、吠えるわけでもなく懐くわけでもなく、やはり退屈しているように見えた。私には犬の気持ちがわかるような気がした。暇つぶしに、わざと犬の糞(ふん)でも踏んづけてみようかという気にすらなった。そう言えば、昔の台北ではよく踏んづけたものだ。

豐田で初めて人懐こい犬に出会った。散策している間、ずっと後をついてきた=台湾・花蓮

 トークイベントで聞き手を務めてくださった許又方先生によれば、豐田はかつて日本人が入植した町らしかった。町にある豐裡(フォンリイ)國民小学校は日本統治時代からある小学校ですが、ちょっと感動的な話がありますよと許先生が教えてくれた。

 日本統治下の台湾で生まれた日本人のことを、台湾では「湾生(ワンセイ)」と呼ぶ。そのころ、豐裡國小に湾生の女の子が通っていた。そして日本があの戦争で負けたあと、彼女も家族とともに内地へ引き揚げていった。引き揚げ船に乗るまえに、彼女は豐裡國小の校庭に木を一本植えた。その気持ちはよくわかる。自分のかわりに、この地に根を張ってくれるものが欲しかったのだ。

 日本に帰ってからも、彼女はずっと台湾に戻りたいと考えていた。でも、人生にまつわるあれやこれやでずっと叶(かな)わなかった。思春期を迎え、結婚に苦しめられ、生涯の伴侶を看取ったかもしれない。ともあれ、ようやく願いが叶って台湾を再訪できたとき、彼女は90歳を超えていた。彼女は(おそらく子供か孫に付き添われて)かつて通った小学校の校門をくぐり、自分の手で植えた木を見上げた。

 小さかった木は、立派な大木になっていたことだろう。シルヴァスタインの絵本に出てくる、あの一途でやさしい木のように彼女をずっと待っていたのかもしれない。彼女は木を見上げ、風が吹き、木は彼女を包みこむように枝葉を揺らした。その瞬間、彼女は小学生に戻って、いまよりもっとなにもない豐田の町を駆け抜けた。なにもないけれど、すべてがあったこの町を。

 日本へ帰ってほどなくして、彼女は亡くなった。まるでそれを待っていたかのように、木もそのすぐあとに枯れて死んでしまったとのことである。=朝日新聞2020年1月25日掲載